魔王
「ほう、ヴェッヒャーがやられたか……」
そこは、ほの暗い洞穴だった。
凶悪な魔物が多数生息する、魔王領エルゼキア。
魔王が君臨し支配している場所の中でも最も危険なその場所は、今なお天然の要害として、あらゆる侵入者を防ぐ役目を果たしている。
そんなエルゼキアの潜まった場所に、一つの洞穴があった。
その入り口は巧妙にカモフラージュがなされており、一見するとただの石壁にしか見えない。
壁の下にある板をとある規則性で叩いて石壁をスライドさせない限り、その姿が露わになることはない。
更に万が一にも存在に気付かれぬよう、巧妙な魔力的な隠蔽が施されているほどの徹底ぶりだ。
誰もやってこない場所に、誰にも気付かれないだけの仕掛けを施したその場所は、正しく密談をするにはもってこいの場所だった。
洞穴の中は、掘削され、広いスペースが取られている。
そこにあるのは、翡翠を削られて作られた長テーブルと、大理石でできた椅子。
床にはリノリウムが敷き詰められており、その上に真っ赤な絨毯がかけられていた。
内側は魔力を吸うことで発光する暗光苔に照らされ、常夜灯程度の明るさがあった。
緑の光に照らされる洞穴は薄暗く、そしてジメジメとしていて湿っぽい。
結露して濡れているテーブルの前には、いくつもの影があった。
「ヴェッヒャーがやられたか……」
そう呟くのは、フードを被った魔物だ。
隣の魔物も、更にその隣の魔物も、皆一様に己の身体と顔を隠すフード付きのローブにその身を包んでいる。
このローブは魔王が開発した、魔物を人型に変形させる魔道具。
彼らはこれを用い、人間と接触を持ち、時に暗躍し、また時に力を解放してきた。
彼ら魔王軍幹部は、魔王に気に入られ、その血を取り込むことで力を分け与えられた存在だ。
魔王の血という非常に強力な魔力媒体で繋がっている彼らは、魔力的な繋がりを持っている。
そのため彼らには、同じ魔王軍幹部に起きた異常を、ある程度感じ取ることができる。
「シリウスに続いてヴェッヒャーまで……こうも連続してことが起こるはずがない」
「もしかして僕らの中に裏切り者とか……」
「……(ぎろり)」
「ひぇっ!! なんでもありません、すいませんっした!」
調子が良さそうな魔物がペコペコと頭を下げる。
その軽い様子に何体かが不快そうな顔をしたが、リーダー格と思しき魔物はこう続けた。
「こうも訃報が続くとなると、警戒をする必要がある。我々は少し、人間共を甘く見過ぎていたのかもしれない」
「たしかに魔物や魔人達を大胆に浸透させすぎたかもしれませんね」
「得られたものも多いのだから、別にいいのではないか?」
「何にせよ警戒は必要だ。特に初見では倒すことが困難であるシリウスがやられたということからも、人間側にはかなりの手練れが存在すると考えた方がいい」
そう言うとリーダーの魔物が、パチリと指を鳴らす。
するとそこに、あるメッセージが浮かび上がる。
それは死に際にヴェッヒャーが魔道具によって送ってきた短文だった。
魔力の信号である魔信は未だ発展途中の技術であり、送ることができる文字は極めて少ない。そのため通常は、事前に決めている符丁を用いてやりとりをすることが多い。
けれどヴェッヒャーは、事前に決めていた符丁ではないメッセージを送ってきた。
その内容とは……。
『勇者』
浮かび上がった文字を見た魔物達。
沸き上がる感情は多種多様だ。
怒りに肩を震わせている者、好奇心を隠そうとしていない者、なぜか艶っぽい息をこぼす者。
彼らに共通して言えることは……今回ヴェッヒャー達を倒した相手へ、並々ならぬ思いを抱えているということだ。
「シリウスとヴェッヒャーを倒した者こそが――神託の勇者に違いない。急ぎ情報を集めなくては。そして魔王様にその牙が届く前に……我らがその芽を摘む必要があるだろう」
当然ながらその場にいる者達に、それが勘違いであることを指摘できる者などいなく。
「場合によっては……人間界への侵攻を、早める必要があるかもしれぬ」
結果としてアッシュは、更なる激動の日々に巻き込まれていくことになる――。




