オワリトハジマリ
「終わった、のか……?」
アッシュは振り下ろした剣を下げ、目の前に居る男の姿を見つめる。
『白衣の死神』ヴェッヒャー。
勇者覚醒イベントのためにアッシュを殺すことになる、魔王軍幹部が一人。
アッシュ達にトドメをさされたヴェッヒャーは、一度大きく目を見開き、虚空に手を伸ばしてから……そのまま目を瞑り、完全に活動を止めていた。
強力な魔物であるヴェッヒャーを倒したことで、アッシュのレベルが上がる。
肉体の感覚が鋭敏になり、身体の内側から力が湧いてきた。
だがそれでも、アッシュは目の前の現実を完全に信じ切ることができなかった。
なので彼は骸となったヴェッヒャーに、魔法の弾丸を打ち込んでみる。
当然ながら反応はなく、魔法はヴェッヒャーの死体を容易く貫通し、そのまま床のタイルを割り砕く。
「死体撃ちは、あまり誉められたものじゃないと思うけど」
「もしかしたら死んだっていう幻覚を見せられてるのかもしれないだろ」
「ものすごい念の入れようだね……レベルも上がったし、そこまで手の込んだ幻覚なんかありえないと思うけど」
「そうか、そうだよな。それじゃあ本当に……終わった、のか……」
先ほどと同じ言葉を、もう一度呟く。
最初は呆けたように口にした言葉を、たしかな実感を込めて繰り返す。
「は、はは……」
徐々に、意識が現実に追いついてきた。
(とうとう、やったのか)
このゲーム世界に転生してから、アッシュが必死になって頑張ってきた理由。
――己の死亡フラグを乗り越え、運命をねじ伏せる。
アッシュはとうとう負けイベントを乗り越え、死の運命を克服してみせた。
自分一人では勝つことはできなかったかもしれないが、こうしてライエン達と共に戦うことで、なんとか勝利を収めることができたのだ。
シリウスと戦った時も、そうだった。
アッシュ一人では、今の彼を相手にして勝つことは不可能だった。
シルキィとナターシャ、二人の師が手を貸してくれたおかげでなんとか勝てた。
思えば、アッシュが一人で最強を目指そうとしていた期間は短かった。
彼はいつだって、誰かに助けられてきた。
自分一人でなんとかできたことの方が少ないのだ。
そのあたりは、今後の課題だろう。
「今後の課題、か……ふふふふ……あっはっはっは!」
今後について考えることができる。
アッシュがライエン覚醒イベントなどというふざけた負けイベで死ぬことはもうないのだ。
視界が色づき、世界が美しさを取り戻していく。
今まで狭くセピア色だった景色が、一気に花開いたような気分だった。
これからアッシュが生きてゆくのは、未来の世界だ。
今までとは違い、この世界をなんの気兼ねも泣く自由に飛び回ることができる。
「な、なんか笑ってるぞ……気持ち悪っ」
「ふふ……まあでも気持ちは、わからなくもないですけどね」
後ろで聞こえてくる女子達の言葉も、今のアッシュにとっては雑音と同義だ。
アッシュは強くなった。
そして強くなった彼は、己の運命をねじ伏せてみせた。
けれど……。
「はははははっ!」
最強への道程は、未だ道半ば。
レベル差はそれほどないにもかかわらず、シルキィとナターシャの背は未だ見えてこない。
まだまだ成長途中のライエンに負けないようにするためにも、師匠達を超えるためにも、より一層精進する必要があるだろう。
こうしてアッシュは勇者であるライエンと共に、魔王軍幹部を倒すことに成功した。
死の運命をねじ伏せて上機嫌な彼は、気付いてはいなかった。
アッシュという人間が、最早人間と魔物のどちらの勢力からも、無視し得ないほど大きな存在となっていることに。
自分にライエンに勝るとも劣らないほどに熱狂的な視線が、注がれているということに……。




