辺境伯
「ふむ……」
「ど、どうも……」
アッシュがぺこぺこと頭を下げている。
彼が相対しているのは、筋骨隆々の大男だった。
実年齢は既に五十近いはずなのだが、まったく衰えを見せぬその堂々たる体躯。
鈍器にしか見えないオリハルコンの杖をテーブルの上に置いているその人物の名は――リンドバーグ辺境伯。
アッシュは結局ライエン達との遭遇をのらりくらりと躱してから、変わらぬ日々を過ごしていた。
自分なりにできることはやりながらも、やはりそれほど遠出をすることはできず。
かといって下手に動くのも悪手かと思い、基本的には静観を貫く。
とりあえず自分の運命を決めることになる『始まりの洞窟』への潜入が始まるまでは静かに暮らしていよう……そう思っていたのだが。
既に教育を放棄していたはずの校長から、どういうわけか呼び出しを受け。
アッシュもさすがに懲罰を食らったり退学はマズいと思い、しぶしぶと校長室に入った。
すると中では、校長先生であるマリアは隅の方でちっちゃくなっており。
筋骨隆々の大男であるリンドバーグ辺境伯が、仁王立ちで自分を待っていたのだ。
もしかするとシルキィと関係を保ったままだったのがマズかったのかもしれない。
彼女の行動先から、自分とシルキィの関係がバレた可能性は十分に考えられる。
だがシルキィと辺境伯は仲が悪かったはず。
彼女から直接漏れてはいないなら、いったい情報はどのあたりまで――。
「やはりモノだったか。話を聞いてもしやと思ったが、実際に会って正解だったな」
(ぜ、全部ばれてるっ!!)
リンドバーグ辺境伯の野生の勘、戦場で鍛えた第六感は一つの固有スキルのようなものにまで昇華しているのだろう。
一度会っただけで、顔が違っているはずの自分の正体を看破してみせるとは、さすがのアッシュも思ってもみなかった。
「ど、どなたのことでしょう……?」
「しらばっくれても無駄だぞ。ある程度魔力の扱いに長けたものであれば、お前が姿を偽っていることを看破するのは容易い」
「そ、そうなんですね……はい、俺がモノです。でも本名はアッシュの方なので、以後はアッシュでお願いします」
「承知した」
どうやら自分の汎用巻物の能力は、ある程度の実力者には見破られてしまうらしい。
原作では得られなかった知識だな……と考えていたアッシュは、そう言えばと思い出す。
自分が最初にシルキィと会った時にも、正体がまだ三歳児であることを一瞬のうちに看破された。
どうやら『偽装』の力を過信するのは禁物らしい。
「ではアッシュ、最近うちの娘と仲良くしているようだな」
「ええ、はい。ありがたいことに、『風将』シルキィ様より教えを請うております」
「どうだアッシュ、うちのシルキィの婿に来るか?」
「は――はああああっ!?」
身分の違いとかを気にする間もなく、心の底から出てきてしまった本気の疑問。
アッシュは正気かよ辺境伯……と思いながら顔をまじまじと見るが、リンドバーグ辺境伯の表情はまったくと言っていいほどに変わらない。
どうやら冗談を言っている雰囲気でもなさそうである。
「ど、どういう意味でしょうか。言っちゃああれですが、自分は生粋の庶民ですし、実は傍系の血を引いている云々みたいな裏設定もないです」
「俺が大切にしている……というか婿に唯一求めているのは純粋な戦闘能力だけだ。少なくともお前なら、シルキィとちゃんと殺し合いができるだろう?」
アッシュは助けを求めて周囲に視線を配る。
だが彼が見つけることができたのは、縮こまって私は何も聞いてませんと知らぬ存ぜぬを通す校長の姿であった。
そこに救いはなかった。
――なれば、自分で言わなければならない。
アッシュにはそれができない理由があるのだと。
「すみませんが、お断りします」
「ほう、何故だ? フェルナンドの王国法に照らし合わせれば、結婚をして俺が辺境伯の地位から降りれば、お前が新たな辺境伯だ」
「できません……好きな子が、いますので」
「――ほう」
ドラゴンですらも射殺せるのではないかというほどに強い視線を向ける辺境伯。
けれどここだけは譲れないと、アッシュは負けじと見つめ返した。
アッシュはメルシィが好きなのだ。
……それが恋愛的な意味なのかどうかは、本人すらよくわかってはいないのだが。
アッシュのそのバカ正直な答えを聞いた辺境伯は――。
「ふ……フハハハハッ! いい、いいぞアッシュ、実にいい」
相好を崩して嗤う。
彼が座っていた机をバンバンと叩くと、その度ごとに校長の机に新たな凹みができていく。
とうとう校長先生が、しくしくと音を立てずに泣き出してしまう。
これが貴族社会の辛いところだな……とアッシュは思った。
絶対にそんなことはない。
「実に俺好みの答えだ。ますます欲しくなったぞ」
「またまたご冗談を……あれ、もしかして全然冗談じゃない?」
「当たり前だ、俺は思ったことしか口にせん」
その獰猛な笑みは、アッシュにライオンが己が子と戯れている姿を連想させた。
(結局目をつけられてしまった……もう後はなるようになれだ)
アッシュは色々と吹っ切れたので、早速お願いをしてしまうことにした。
この場を見れば、リンドバーグ辺境伯が学院においてどれだけの力を振るうことができるかなど一目瞭然。
色々とすっ飛ばして彼と交渉ができてしまえば、校長や教師陣も後から文句はつけられなくなる。
正体がバレてしまったのなら、せっかくならばそれを利用すべきだ。
そういうところ、アッシュは結構強かなのである。
「長期の遠征をする許可をいただきたいです」
「いいだろう、俺の名代……は無理だな。冒険者登録は済んでいるか?」
「別名義ならCランク、アッシュ名義だとDランクです」
「それならアッシュに俺から指名依頼を出す……という名目で好きなことをしてこい。まあなんとなく、想像はつくがな」
フッと、今度は清々しい笑みを浮かべた。
そして少しだけ遠い目をしながら、
「男は誰しも強くなりたいものだ……まずは属性弾丸か?」
「はい、メレメレ鉱山に行くつもりです」
「いいな、あそこは火酒が美味い。買ってやれば親御さんも喜ぶぞ」
「そうなんですね、ありがとうございます」
アッシュは強くならなければならない。
己の死の運命の象徴である――ゲームで自身を殺すことになっている、ヴェッヒャーに勝利するために。
そしてそれで終わりではない。
生きることさえできれば、その後アッシュが参加できる大規模イベントは多数ある。
その全てで好きなキャラ達を、この世界で新たに知り合った皆を守るためには……力が要るのだ。
繰り返す。
アッシュは強くならなければならない。
運命というやつを、ねじ曲げるために。
(まずは属性弾丸でいい……汎用巻物を集めるのはその後だ。幸い遠出の許可は出たんだ。焦らずじっくり、実力をつけていこう)
アッシュは「わかってるだろうな?」と校長を威嚇するリンドバーグ辺境伯を尻目に、一人決意を改める。
執務室を後にする時には、校長は号泣していた。
(……どうせなら、校長にも火酒を差し入れしてあげよう)
アッシュはさすがにかわいそうになったので、あとで校長にしっかりと謝っておこうと思った。
校長のことは少しかわいそうとは思いながらも、せっかく得たチャンスを早速活用せねばと、アッシュは急ぎメレメレ鉱山へ向かうことにした――。
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