莱姆-lime-
私は夢を見ていた――
しがないサラリーマンとなって、家庭をもつこと。
何か人々に渇望されたいわけではなく、はたまた何か担ぎ上げられたいわけでもない。
ただただ純粋に、平凡な人間として生きていたかったのだ。
今だからこそ、そう言い切れる。
どんな夢だったか――当時の私は自分を見失っていたのだ。
子供の頃は、空を飛ぶ遊覧船や青い背景に浮かび上がる真っ白な入道雲を見るだけで、心が飛び跳ねたものだった。
自分の名前さえ間違えて書いてしまっていた無邪気な少年時代は、ドス黒い入道雲の真下にいるかのように今では感じられる。
就職に困らなかったことは、ありがたいことではあったと思う。
最初は小さな会社だった勤め先は、今や大企業に数えられ、設立当初からいた私は古参となっていた。
一際頼りにされたと言えば聞こえは良いが、面倒事を任されていただけだった。
そう思ったのは、これまでの私が順風満帆だったからだろう。
煌びやかな街並みを窓の外に見つめながら、書き綴る書類はいつかの飛行機雲のようだった。
「もうすぐ、けたたましい音で鉄の塊がやってくる時間だ」
響き渡る私の声は部屋を独り歩きする。独り言なんてこんなものだ。
深夜と言うほど遅いわけでもないが、ふといつもより早く地に降り立ってみる。
駅までまだ距離があるが、もともとダイエットしようとしていたから歩く良い機会だ。
街の明かりは消えることなく、周囲を照らしている。
漂う匂ひは、私には酷く心地悪く感じた。
蓋をするような異臭という訳ではない。恐らく誰もが涎をしたためてしまうものなのだろう。
香りにつられ、多くの人達が足の向かう先を変更する。
町裏へと続く路地に目を細めると、誰かに手招きされているかのような錯覚に陥る。
「じゃんけんしよや」「負けたら奢りやで」「負けられへんわ」
感傷に浸っているかのように霧に阻まれた思考を他所に、私の足は一件の居酒屋へと向かう。
匂ひに誘われた訳ではない。そう自分に言い聞かせる。
「いらっしゃいませ」
メニューに書かれた文字からは、今にも倒れそうな頼りなさが滲み出ている。
「ご注文は?」「おすすめで」
会話というものはこの程度だった。
出された料理は定食で、自慢の一品料理が4品ほどプレートに乗っている。
一口食した瞬間、何というのだろう。――この世の汚れた部分を全て口の中に詰め込まれ、吐き出しそうな気分になる。
「癖になる味だ」
自然と飛び出た言葉に、店員は視線をコチラにチラッと向けて、笑顔で返してくれる。
少し汚い皿をあとに、財布に包まっている札を広げて会計に向かう。
「あぁ、あん子、ついに採用が決まったのね」――耳から入る環境音は、雑音ばかりだが、たまに聞こえる声はなぜか脳に響き渡った。
テレパシーという意思疎通はこのようなものなのだと、自分でも驚いてしまう。
満腹になったのかは覚えていないが、何だか不思議な気分であったことだけは覚えている。
家に帰るとヒュルルと風の音が出迎えてくれ、電気の瞬きには温かみを感じる。
郵便受けに入っていた文書には懐かしい名前が書かれていた。
見覚えのあるキャラクターは、子供の落書きにしてはしっかりと描けていると自画自賛する。
部屋に溜め込んでいた落書きの匂ひが、職場から持ち帰った書類に染み込んでいく。
ふと本棚を眺めると、いつか買った気象予報士の参考書が並んでいる。
内容は古くなってしまったが、まだまだ元気だと言わんばかりに、本の背がこちらを睨む。
ある種の強迫観念のようなモノを感じ、頭が震えてしまう。
私はどうすれば良いのだろうか。自分の状態さえよく分からない。
桜が咲き始める季節――立春やら春一番やら彼岸やら、桜前線の北上やらで世間はことあるごとに春を感じさせてくる。
相も変わらず、私は悩んでいた。――どうすれば良いのか果てしなく遠い水平線に身を投げ打つように心は揺れる。
今日はある大きな決断をしなければならない。
そのことを考えるだけで気分が重い。
昨夜は眠れなかったので、早めに家を出て、いつもは通らない道を行く当てもなくブラブラ歩く。
どのくらい時間が経っただろうか。道路脇に構えるカフェのチェーン店を眺めながらひたすら歩く。――憧れのカフェは今の私には眩しすぎて入る気にもなれない。
足を動かし続けていると、こぢんまりとした定食屋が目に入る。額に汗がうっすらと湧き出し始め、足を速める。
すると、街道を滑らかに滑空する落とし物の朝刊が、私の足にまとわりついた。
そこには、格式ばった文字で大きく見出しが躍る。
『〇〇社、業績悪化で大量リストラ――』
私はその瞬間、心が少し晴れて通り過ぎたカフェに入りなおす。
手っ取り早く、今日のモーニングメニューを注文する。
軽く見回すと、チェーン店らしく統一感のある内装は、非常に華々しく美しい。
出された洋食料理を軽く平らげ、最後に紅茶に手を付ける。
紅茶には薄くスライスされたライムが浮いている――ライムティーだ。
「妥当だな……」
一気に飲み干した紅茶は体に染みわたり、心にまとわりついた悩みの間を抜けて流れ込んでくる。
これまでの憂鬱を奇麗に避けて、一本の道を作る。
ライムがこれほど素晴らしい存在だったとは、思いもしなかった。
私はティーカップの底に張り付いたライムを拾い上げて、思わずニヤけてしまう。
そして、ポケットに入れてあるハンカチで包み、再びポケットに忍ばせる。
会計を済まし、店を後にした私は自宅へと歩みを進める。
不思議と足取りは軽く、そう時間はかからなかった。
自室の机の上には、いつかの飛行機雲に似た書類が並んでいる。
私は気象予報士の参考書を紙の下に忍ばせ、黙々と署名する。
我ながら、こんなに丁寧に書いたのは久しぶりだ。
硬筆コンクール参加賞レベルの出来栄えだった。
「仕上げだ」
私はポケットに忍ばせていたハンカチを取り出し、薄切りのライムを書類の上に乗せる。
ライムの果汁は書類を通り抜け、気象予報士の文字を歪ませる。
その瞬間、部屋に溢れる何てことのない普通に美しい香り――
今寝れば、別世界に行けるような気がする。
思考を整理し、徐に上司に電話をかける。
「明日からが楽しみだ」
憂鬱は心の隅に同化し、来る末行く末に私は飲み込まれる。
まるで難破船の如く流されていく心を落ち着かせ、大きく背伸びをする。
そして、私の未来はここに生まれたと言わんように、部屋に差し込んだ光を風は押し流していった。
初めまして
初めて小説を書きます.悠です.
高校時代,現代文が赤点すれすれだった私は,小説のルールさえ知らない素人中の素人です.
基本的には理系人で,一時期,所謂ライトノベルを少し読んでいた程度のレベルです.
そんな私ですが,この度少し転機を迎えました.
とある動画の影響で小説に興味を持ち,初めて文学小説を買いました.
動画で見た大学入試に備えた小説の解説をチラッと流し聞きしましたが,文学の奥深さに驚くばかりでした.
文学作品の伏線,言い回し,語彙力などなど,全く及ばぬ素人ですが,どうぞ暖かく見てやってください.
実はジャンル選びに頭を悩ませました.
小説は読んでこなかったので,各ジャンルがどのような作品なのかイメージすらできません.
横に添えられていた簡易的な説明文から,想像を膨らませ純文学にしましたが,何か敷居が高く気軽に選べるようなものではありませんでした,
高い壁とはこういうことなんだと,高鳴る心臓と突き刺さる不安の槍に頭はクラクラしている中,必死の形相で投稿ボタンを押しました.
その後も入力項目が多く,その都度戻ってまた進んでの繰り返し.
まるでAmazonの購入決定ボタンを押すときのような,はたまた国際学会のAbstractの提出ボタンを押すときのようなそんな緊張感があり,事実汗まみれの手がそれを如実に物語っていました.
兎にも角にも,このような拙い文章を純文学として世に公開することが本当に良いのか,悩んだ末の投稿なのです.
結局何が言いたいのかと言うと――お手柔らかにお願いします――という事です笑