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第35話 スラム街に咲く花




「ったく、手こずらせやがって」

「……」


 薄暗い路地裏で、黒髪の女が男に壁に追い込まれていた。

 女の背後には壁。男は女を閉じ込めるように両手を壁に付いて、立ちはだかる。


「このスラム街で女が普通の暮らしできると思うなよ?」

「……そうね。私に逃げるのに疲れたわ」

「そうそう。そうやって大人しくしてればいいんだよ。そうすれば、俺がお前のこと可愛がってやるからよ」


 男が下卑た笑みを浮かべ、顔を近付けてきた。

 女は手に持っていた花びらを口に入れ、それを嚙み潰して男に口付けた。

 激しく舌を絡められ、男は楽しくなってきたのか女の服に手を伸ばそうとした。だが、男は突然息を詰まらせて苦しみだした。


「がっ、は、あぁああぁあ」

「……下手くそな口付けですこと」


 女はふっと唾を吐き捨て、苦しみ藻掻く男を残して去った。背後から聞こえる声はだんだんと小さくなり、聞こえなくなった。


 ここでは誰かが気付かれずに死んでいくのが当たり前。

 それは息を吸うのと同じくらい、自然なこと。大人も子供も飢えに苦しむ毎日。赤子は言葉を覚えるよりも盗みや殺しを身に付ける方が優先される。

 それが、このスラム街。


「ディ、ディゼルさん!」

「……ナナエ。どうかした?」


 路地裏から出てきた女に、青年が駆け寄ってきた。

 黒髪の女、ディゼルは足を止めてナナエの方へと体を向ける。


 ナナエはこのスラム街で生まれ育った。つい最近この場所に来た彼女を気遣っているのか、こうして見かけるたびに声を掛けてくる。


「あの、さっき男に追いかけられてたって聞いて……」

「ああ。もう平気よ」

「そ、そうなんだ。ディゼルさんはやっぱり強いんだね。ここに来たばかりなのにスラム街で生きていけるなんて……」

「当然よ。だって私、死なないもの」

「初めて会った時もそれ言ってましたね」


 ナナエは彼女と出逢った時を思い出して小さく笑った。

 ディゼルがこの場所にやってきたのは二週間前。少し裾がボロボロにはなっていたが、綺麗なドレスを身に纏っていた彼女はこのスラム街では格好の餌食になる。

 だがディゼルは男たちを翻弄して虜にしたり、暴漢相手にも怯むことなく対処してきた。先ほどの男もそうだ。

 ここでは誰が誰を殺そうと、何も言わない。そうやって自分を守りながら生きていくしかないのだ。


 そんな彼女に、ナナエは興味本位で近付いた。どうしたらそんな風に立ち回れるのかと。怖くはないのかと彼女に問うと、ディゼルはそれが当たり前のように答えたのだ。

 絶対に死なないから、怖くないと。


「本当にディゼルさんは強いですね」

「別に私は強くないわよ。貴方こそ、ここで生まれ育ったのだから、十分たくましいじゃない」

「……そんなことないですよ。毎日必死です。俺もディゼルさんみたいに余裕をもって過ごしたいな……」


 ナナエは憧れるような眼差しでディゼルを見た。

 このスラム街で、こんなにも堂々としている人はそういない。長い黒髪も陽の光に反射してキラキラと輝く姿も、とても美しい。

 彼女に憧れるものは少なくない。特にここに住む女性たちも、最初は妬ましく思っていたが次第に羨ましく、そして憧れを抱くようになっていった。


「そうだ。さっきの男から財布を掏っておいたの。何か食べ物でも買いましょうか」

「ディゼルさんは本当に凄いね。この間教えたばかりなのに、もう覚えたの?」

「貴方の教え方が上手いからよ」


 ディゼルはふわりと微笑んだ。

 彼女はこのスラム街に咲いた一輪の花だと、誰かが言っていたのをナナエはふと思い出す。

 確かにそうだと思わせる、彼女の美しい微笑み。

 薄暗いこの場所にもようやく光が差し込んだと、彼は思った。いや、思っていた。





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