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第2話 前世の記憶




 地下の物置に入り、ディゼルはボロボロの毛布の上に腰を下ろす。

 先ほどまで姿を消していた悪魔がディゼルの前に現れ、その部屋のみすぼらしさに少し驚いた表情を見せた。


「仮にも貴族の娘がこんな粗末な場所を寝床にしているとはな」

「物心ついたときにはこの部屋に入れられていました。そして妹、トワが産まれてからは屋敷の掃除などをやらされるようになりました。悪魔の子と呼ばれたくなければ自分達に奉仕し続けなさいと言われて……」

「ククク……本当の悪魔も知らないくせに、そのような戯言を言うとはな」

「ええ。そうですね。私も、こうして本当の悪魔に出逢い、考えを改めました」

「と言うと?」


 ディゼルは立ち上がり、悪魔の前に立った。そしてそっと微笑み、胸に手を置いた。

 まるで神に祈りを捧げるように。


「あなたは、私に未来をくださった。生きる理由を与えてくださった。私にとってあなたは、神様です」

「悪魔を神と呼ぶか。お前を餌に人間の不幸を呼び寄せようとしている俺を」

「ええ。やっと私は、自分に存在価値を見出したのです」


 そう言って嬉しそうに笑うディゼルの頬を、悪魔は撫でた。

 悪魔に感謝するおかしな女。だが、面白い。悪魔にとってディゼルを生かす理由はそれだけで十分だった。

 面白いかそうでないか。悪魔にはそれが重要なことだからだ。


「では、ディゼル。お前はこれからどうするつもりだ? このまま屋敷に籠るか? それだけでも効果はあるぞ」

「そうなのですか?」

「ああ。その体は不幸を招く。そうだな、屋敷の住人、お前の家族たちが病気にかかるとか、もっと長く居ればこの街の奴らが感染病にでもかかって死に絶えるかもしれないな」

「……そうですか。家族がどうなろうと私の知ったことではないのですが……街の人達も……」

「ツラいか? お前がそう思えば思うほど、俺はその不幸で腹が膨れる。どんどんお前の心も絶望で熟されるのを見ているだけで、とても愉快だ」


 悪魔が笑い、ディゼルも嬉しそうな表情を浮かべる。

 今のディゼルにとって、彼が微笑むこと、喜ぶことが何よりも幸せだった。不幸こそ、至福。この矛盾した感情に、悪魔はただただ笑いが止まらない。

 紛れもなくディゼルは不幸。しかし、その認識は本人によるものだけでなくていい。周囲がそう思えば思うほど、彼女は不幸な娘になる。

 ディゼルは可哀想な子。不幸な娘。その認識があれば十分なのだ。

 悪魔を神と崇める娘。それは人間の価値観でいえば不幸なことだ。


 基準など、その程度でいい。これは、悪魔の気まぐれ。ただの戯れなのだから。


「……いえ、やはりこの屋敷を……街を出ようかと思います」

「ほう。それは何故だ?」

「……少し、私のお話をしても良いですか?」

「つまらない話でなければ聞いてやろう」

「ありがとうございます。実は私、死の間際に前世の記憶を思い出したのです」

「前世?」


 ディゼルは小さく頷き、思い出したことを全て話した。

 異なる世界で自分は普通の少女として暮らしていたこと。ゲームという遊び道具の中で自分によく似た少女が出てくる物語が存在すること。

 その物語の中で自分は悪魔に体を乗っ取られ、主人公であるトワを虐めて苦しめること。最後にはトワと彼女を慕う男たちに殺されてしまうということ。


「興味深いな。この世界は異界で描かれた物語の世界だと?」

「よく似ているだけかもしれないし、もしかしたら悪魔様の言う通り物語の世界なのかもしれませんが……それは私には分かりません」

「それで、お前はその筋書き通りに殺されるのか?」

「いいえ。私の知る限り、もうその物語に描かれた未来とは違う道に進んでいます。現に私は悪魔に体を乗っ取られてはいません」

「なるほど。ちなみに、そのお前を乗っ取った悪魔は俺のことか?」

「どうなのでしょうか……私の記憶にある悪魔と、あなたでは性格が違うようにも思います」


 ディゼルは前世の記憶を思い出しながら言った。

 ゲーム内でディゼルの体を乗っ取った悪魔は、今ここにいる悪魔と違って少し知能が低いような印象を受ける。

 もしかしたらディゼルが死ぬ直前に前世の記憶を思い出し、憎しみが増したことで召喚される悪魔が変わったのかもしれない。

 ディゼルがそう悪魔に告げると、彼も納得したように頷いた。


「それと、その物語はトワが誰と結ばれるのかによって話が分岐しました。私が死ぬ未来は変わりませんが、少しだけ筋書きが変わるようですね」

「ふうん。異界には面白い物語があるのだな」

「……それから、話しているうちに思い出してきたことが他にもあって……あの子、トワはどうやら聖女としての力を目覚めさせるみたいです」

「聖女? ここ百年現れなかったあの聖女か」

「はい。その聖女としての力で、私に憑いた悪魔を払おうとしているようですね」


 悪魔の子と呼ばれた娘の妹が聖女。物語のシナリオとしては悪くないと、ディゼルはクスッと笑みを零した。


「あの子から逃げるわけではありませんが、せっかくなのでその筋書き通りに行動してみようかと思いまして」

「ふむ、そこで不幸を振りまくと?」

「そうすればあの子は私を追ってくる。そして私によって苦しむ人たちを見て、あの子は思い悩むのです。姉のせいで多くの人が苦しんでいると……あの子が苦しむのなら、筋書き通りに進むのも悪くありません」


 自分と違い、皆に愛される妹。この感情はただの嫉妬かもしれない。憎しみをぶつけることはただの八つ当たりと思われるかもしれない。

 だがディゼルにとってはどうでもいいのだ。

 トワは自分の幸せのために姉を見捨てた。その事実さえあればいい。それだけで憎む理由になる。


「悪魔様……私の物語に、付き合ってくださいますか?」

「ああ。俺はお前に付いていく。その魂が熟すときまでな」


 悪魔はディゼルの顎をクイっと上げて、口付けた。

 極上の不幸。憎しみと嫉妬、絶望の味。

 口の中を舌で犯し、それを味わっていく。今、この時点でもう悪魔の好みの味になっている。それがもっと深みを増していくのかと思うと、涎が止まらなくなるというもの。


「んっ、ふ……」

「もっと……もっとだ、ディゼル……俺の腹を満たせ」

「はい……悪魔様……あなたのお望みのままに」


 初めて、自分自身が求められている。

 それだけでディゼルは嬉しい。相手が悪魔だろうと、関係ない。

 喜んで、この身を差し出せる。


 ディゼルは初めて自身の寝床が地下室で良かったと思った。

 愛おしい悪魔との艶事を、誰にも聞かれることなく邪魔されずに済むのだから。





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