8.兆し
「いって!」
間近で聞こえた叫び声に、リタはハッとして目を覚ました。
「え……?」
確か、今まさに目の前に出された脂ののったジューシーな骨付き肉にかぶりついた瞬間だったはず。しかし、今目の前にある肉は……いや、腕だ。人の腕。
「……お前」
「アル……?」
アルバートは、くっきりと歯型のあとが残っている腕をさすりながら、忌々しそうな視線をリタへ向ける。
「なんでアルがここに」
「ここは俺のベッドなんだが」
「ありゃ、本当だ」
ふっと横にある自分のベッドに顔を向け、軽い口調でそう言ったリタに、はぁ、と溜息を零すアルバート。
「どうせまた、夜に寝ぼけて入りこんできたんだろ」
ふむ……確かに。昨日はたくさんブドウジュースを飲んでいたから、夜中に一度トイレに行ったかも知れない……。それにしても
「こんな風に、寝てる間にベッドに潜り込まれても全く起きないなんて、アルがいつかどっかの令嬢に既成事実を作られないか心配だんぐっ」
「言いたいことはそれだけか?」
両頬をアルバートの親指と中指でギュッと掴まれ、リタの言葉は遮られた。自分が夢の中の肉と間違えて噛んだのであろう、くっきりと痛そうな痕が残っているアルバートの腕に視線を落とし、……ふひはせんれひた、と謝れば、フンッと手を払うようにして離され、開放される。
いててて。
肉……食べたいな、最近思いっきり食べてなかったから夢に見るまで欲していたのかな。頬をすりすりと撫でながら、そう考えててると、横にいたアルバートはさっとベッドから出て着替えはじめる。いい体だ。鍛えられた筋肉を盗み見る。
……それに比べて俺は。
リタはそっと襟元を掴んで、自分のつるぺたのおなかを覗く。
「はぁ……」
*
「あ!団長」
部屋を出たリタとアルバートは、通路で団長と遭遇した。
「あ、あぁ……」
リタを見て一瞬何かをためらうような表情をしたディハルトは、隣にいるアルバートに視線を向けた。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう」
一度リタを一瞥した後、アルバートにじっと視線を送るディハルト。
「…………」
「なんですか?」
「いや」
アルバートの問いに、ディハルトはどこか遠くを見るような視線で言った。
「そういえば……君がリタと同室だったんだな……」
「はい…………」
「なんですそれ!!」
なにその哀れみの目は!!
アルもなんで?! アルのそんな顔初めて見た!!
くっそー、こっちは昨日のリリーナとの出来事をさりげなく切り出して、根掘り葉掘り聞きながら団長の反応を楽しみたい気持ちを、アルが居る手前我慢してあげているというのに……ッ!
どこか似たような表情を浮かべる二人の前で、キ~~ッと鳴き声を上げるリタ。
その時、ガチャ、と扉が開く音が聞こえた。
顔を音がした方へ向けると、身支度を整えたディランが丁度部屋から出てきた所であった。
「あ」
げ。
よりによって、ディランに団長と一緒にいるところを見られてしまった。きっとキツイ目つきで睨まれて、団長が居なくなった後でまたネチネチ嫌味を言われるんだろうなぁ、とリタは内心げんなりとした。
しかし、そんなリタの予想は外れ、どこかぼーーっとした様子のディランはふわふわとした足取りで、こちらには目もくれず訓練所の方へと歩いて行ってしまった。
「………?」
「なんだあれ」
おかしい。
明らかに様子がおかしい。
目の前に団長が居るのに、挨拶もせず、いや、そもそも気づきもせずスルーして行ってしまうなんて、ディランらしくない!
口元に手を当て、ふむ、と考えるポーズを決めたリタの背中に刺さる視線。
「なに?」
振り返ってその視線の主に問いかければ、はぁ、と息を漏らしたアルバート。
「お前、昨日アイツをどっか連れまわしてたろ」
「あ、あぁ!」
そういえばそうだ!そうだった!
日頃からしつこく粘着してくるディランに、力の抜き方を教えてやろうと、いつも行く飲み屋に連れて行ったんだった!確かディランの傍にはエミリーがついてたと思ったけど……。
どうせお前がまたなんかやったんだろ。という表情でこちらを見てくるアルバートに気づいていないふりをして、リタは団長に話を振る。
「ところで、団長はなんでこんな所にいるんですか?」
「あぁ……」
ディハルトは、視線をそらし少し口ごもった後、小さな声で話始める。
「まだ正式に皆に報告はしていないが……第五部隊の新人騎士が数名、行方が分からなくなっている」
ピリッとした空気がリタをまとう。
「彼らは先日、北部への遠征途中に姿を消したそうだ」
「脱走、ではないんでしょうか?」
アルバートの問いに、眉間にしわを寄せたディハルト。
「あぁ、その線も考えたんだが、班長も他の騎士からも、該当の騎士は模範生のようだったと、そんな事するはずがない、と口をそろえて言われてな」
「…………」
「それに、当時の状況が……どうもおかしくてな」
「おかしいとは?」
ディハルトは少しの沈黙の後に口を開いた。
「遠征に出た誰もが……彼らがいつから居なくなっていたのか分からない、と言っている」
ザワリ、と耳の奥で何かが疼くような感覚がした。
当時の詳しい状況を、できれば内密に帰還した第五部隊の団員に聞きたかった。そのためにディハルトは、自ら団員の宿舎まで足を運んだのだそうだ。
「……それを、俺らに言ってもよかったんですか」
「そうなんだが、リタはこういう時妙に勘が働くだろう。」
今回も、もしや……と思ってな。とリタに視線を向けるディハルト。
「…………リタ?」
二人の会話を聞きながら、徐々に頭を下げていっていたリタに、アルバートが呼びかける。リタは薄く開き始めていた口をきゅっと閉じ、ぱっと顔を上げる。
「ううん、なんでもない」
「……?」
話の内容に合わないパッとした顔を向けたリタに、軽く不審な目を向けるアルバート。
「でも、それは気になりますね。俺もツテを使って調べてみます!」
「……前々から思っていたんだが、お前のそのツテとは何なんだ」
「え~~?それは俺の切り札というか最終兵器なんで秘密……あっ、でも団長になら特別に」
「いや、いらん」
頬に手を当てながら顔を染めたリタに、いつもの調子でからかわれる気配を察したディハルトは、朝の訓練に遅れるなよ、と言って去っていった。
……団長が学習している、だと……。
「ン~~ッさすが団長~~~!」
「…………」
ディハルトの背中が小さくなっていくのを見ながら、楽しそうに声を出すリタをアルバートは呆れた顔で見ていた。しかし、ひとしきり騒いだ後、いつもとは違う……瞳の奥に、何か得体のしれないものを宿しているかのような、ギラついた目をしたリタに、アルバートもまた表情を変えた。
「……お前」
「なに?」
「また一人で勝手な事すんなよ」
過去に何度かリタの独断行動で、同室者として連帯責任を負わされた経験があるアルバート。少し険しい顔で釘を刺すように言ったアルバートに、リタはニンッと良い笑顔を返した。