5.街へ
(アルバート視点)
その日、カサカサと布の擦れるような物音で目が覚めた。
布団をつかみ、音がする方とは反対側へ寝返りを打てば、伸びてきた手に肩を掴まれ、ゆさゆさと体を揺すられる。
「ね、ね、今日、街に行かない?」
うっすらと目を開ければ、ひょっこりと笑顔を向けるリタの姿。
元々、今日が非番であったアルバートとは違い、急に非番を言い渡されたらしいリタは、昨日から妙に上機嫌だ。
「なんでお前は、休みの日だけ起きんの早いんだよ」
あ、髪の毛はねてる、ちょっとかわいい。と発するリタに「うるせえ」と吐き捨てる。眠そうに目をこすり文句を言いつつも、アルバートはベッドから起き上がった。
「何しに行くんだよ」
「別に普通に買い物とか、食い歩きとか」
あとはまぁ、ちょっとね、と意味深に何か企んでいる顔をするリタを前に、アルバートは無言で服の袖に腕を通した。
騎士団宿舎がある王宮から徒歩30分ほどの所に、王国内で特に栄えている賑やかな街がある。そこの商店街には、持ち家以外にも毎日たくさんの出店が並ぶ。
リタにひっぱり出される形で目的地へ着いたアルバートは、辺りを見渡して不服そうな顔をする。
商店街は、さぁこれからと店を開ける準備をしている所がほとんどで、すでに開いている店もまぁ少しはある。
「早すぎんだろ」
「えーだって、ここの揚げ饅頭、出来立てを食べたかったんだよ」
半数以上が準備中の商店街で、どうやらリタのお目当ての店は開いていたらしく、ほら、アルも食べてみ!と、たった今お店のおじさんから受け取った熱々の饅頭を口に放り込まれる。
「熱っ!」
「はは、でもおいしいでしょ」
「……ン」
カリッとした表面に、ほくほくと甘みのある餡。まぁ美味しい。もぐもぐと口を動かしながら歩いていれば、隣で「あとは、あの店と、あっちはまだ準備中か~」とリタは、店を回る計画を立てている。
口の中が空になったため、リタが抱えている紙袋の中からそっともう一つ饅頭をつまんで口に運ぶ。「あ゛!!」という声に続いて、何で食うんだよ!俺の!と抗議するリタ。
「もー……そんなに食べたかったら帰りにもっかい寄ってく?」
「いや、いい」
「なんでだよ! もうあげないからな!」
ぶつぶつと文句を垂れるリタをよそに「で、次はどこに行くんだ?」と問いかけるアルバート。しかし、リタはそれには答えず、ピタリと足を止めた。
「リタ?」
首を横に向けた瞬間、後方から「やめてくれ!」と年老いた老人の悲痛な声が聞こえた。声がした方に振り返ると、路地裏でボロ切れをまとった爺さんが、少し体格のいい男に布袋を奪われそうになっていた。
──ったく、こんな早い時間から何やってんだ。
そういえば最近は、昼前ごろから警備隊がパトロールしてるんだったな。それに被らないよう、この時間帯を狙ってんのか。ご苦労なこった。
はぁ、とため息をつきながら、路地裏へ向かおうとするアルバートだったが。
「何してんの?」
今の今まですぐ隣にいたはずのリタが、気付けばその爺さんと男の傍まで移動していた。
リタの言葉で気がそれた男から、無事布袋を奪い返した爺さんは、そそくさと路地裏の向こうへと消えていった。周りが見て見ぬふりをする中、勇敢に騒動の中へと向かっていったリタに、騒ぎの主はにじり寄る。
「なんだぁ?お嬢さんかと思ったら男か。可愛い顔してんじゃねーか」
先ほど爺さんを脅していたガラの悪い男は、下卑た笑みを浮かべながらリタに近づく。それを見ているアルバートは眉をひそめながら、やめておけ……と小さく声を漏らした。
非番のため、今日は二人ともラフな格好をしている。そのため、目の前に居るまるで女に見間違えられそうな見た目をしている少年が、まさか王国騎士団だとは男も考えつかないのだろう。
それにしても、今日は妙に大人しいな?
不審に思ったアルバートがリタの方を見れば、奴は頬を赤らめながら目の前の男から視線を逸らしていた。
「か、かわいいとか、そんないきなり……困る」
ぶっ。
思わず吹き出してしまったアルバート。
「……ノリがいいな、物好きか」
意外に一般的な感覚の持ち主だったらしい男は、状況に似合わないリタの態度を見て、一応、不審がっている。
「お兄さん言葉攻めが好きなの? 俺も嫌いじゃないよ」
でもそれより、とリタは少しだけ口角を上げて笑いながらその男に近寄る。おそらく、今までこういった返しをされた事がなかったであろう男は、リタが一歩一歩近づくたびに、警戒してじりじりと後ろへと下がっていた。
「こうやって路地裏に連れ込んでさぁ、悪いことしてやろうって思ってるお兄さんみたいな」
笑顔を作りながらも、ゆっくりと近づいてくる得体のしれない雰囲気を身にまとう少年に、男がゴクリ、と生唾を飲み込む音が聞こえた。
「自分が食う側だと思ってた人間が、いざ食われる側だったと気づいた瞬間の、混乱と絶望が隠しきれない顔と、必死で許しを請う姿の方が最高にモエるんだよね」
いつの間にか鞘から抜いていたリタの剣は、男の首元にあった。
「……ひッ」
「飛んでみろ」
「へっ……?」
このまま飛べば、剣は確実に男の喉を引き裂くだろう。
「飛んでみろ」
それでもなお、飛べと要求するリタ。
「安心しろ、お前の動きに合わせてこれも動かしてやる」
ペシペシと剣の先端で男の顎を叩く。
さっきまでの威勢はどこへ行ったのか、男の顔は真っ青になり、小さく震えていた。そりゃあまぁ、目の前にこんなサイコじみた奴がいれば、そうなるわな……。
やれやれと言った様子で、アルバートは人が増えてきた通りの方へ向かう。後ろからは「今チャリンって音がしたな! 全部出せ!」と威勢よくはしゃいでいるリタの声が聞こえてくる。
「フンッ、カツアゲをするなら、自分もカツアゲをされる覚悟をもってすることだな」
しばらくして満足したのか、男から有り金を奪い取ったリタは、吐き捨てるようにぺっと唾を吐き、上機嫌にアルバートの元まで戻ってきた。
「お前な……それどうすんの」
「? どうって使うに決まってんじゃん」
「…………」
仮にも、仮にも王国騎士団。例えまだ子供だと思われるような風貌でも、この国の騎士団に所属している人が、小悪党相手にカツアゲ……。
止めるべきか。
いや、でも、あの男にお金を返すのもなんか嫌だし……。
う~ん、とアルバートが頭を抱え悩んでいた間に、リタは近くの出店まで行き、そのお金でフライドポテトや焼き鳥やらを大量に買い込んでいた。
──どんだけ食うんだ。
白い目を向けていたアルバートだったが、大量の食糧を受け取ったリタは、先ほどの路地とは別の路地へ入り、そこにいた浮浪者たちにそれを配り始めた。
「……アイツは先月もその前も、あそこの浮浪者や子供を狙ってお金を巻き上げてたんだ」
驚いた表情でリタを見つめるアルバートに、あのままお金渡しても、また奪われちゃうかもしれないし。と言ったリタは、立ち上がり言った。
「だからちょっとくらい、いいよね?」
振り向きざまに、にこっとまるで何も知らない無垢な子供のような笑顔を向けられ、返答に困る。
──団長が知ったら連帯責任とか言われそうだしなぁ……まぁ、いっか。
こうして俺はまた、リタの問題行動を報告することなく、そっと目をつむる。
「……アル」
「なんだ」
「さっき路地裏で子供に饅頭あげちゃったから、帰りにもっかいあのお店寄っていい?」
神妙そうに言うから何かと思えば。
アルバートはふっと笑い声を漏らし、じゃあ俺も買ってくかな、と答えた。