3.変な噂
「お前のせいで変な噂が流れている」
午前の訓練が終わり、午後の予定まで休憩を取るため宿舎へと向かっていたリタは、団長が呼んでいるという報告を受け、執務室まで来ていた。そこでディハルトから暗い面持ちで言われた言葉に「噂……ですか?」と、首をコテンと傾けて尋ねる。
「お前が任務以外にも、どこでも構わず必要以上に俺にひっついて回るせいで、周囲からあらぬ誤解を受けている!」
「誤解、ですか……」
ふむ、と考えるそぶりをみせてみる。
リタは近頃耳にした噂を思い浮かべた。まぁ大体予想できるが……
騎士団団長は今まで堅物の、そういうイメージのない人だったんだけどなぁ。近頃は新入りの団員と四六時中一緒にいて、連れ回しているって。あそこは男所帯だからね。なんでもその子がちょっとばかし目がクリクリっとして背も低くてかわいいらしいのよ。あーあの子でしょ、よく厨房に遊びにくるわよ、まだ幼さがあって子供みたいでかわいいからついついお菓子あげちゃったり。あ、あんたも?
あ──……
「だ、団長になら、俺……いいですよ」
わざとらしく胸元の服をギュッと握りしめ、伏せ目がちに頬を染めながら言うリタ。それを見たディハルトは、今にも吐き出しそうなほど青い顔をして「やめろ」と叫ぶ。
「やめろって何をやめるんですか、なにを想像したんですか!浮気ですよ!」
「殴るぞ」
クソがつくほど真面目人間なディハルトは、リタが悪戯にからかった言葉にも真剣に返す。
しかし、拳を握り怒りを抑えているディハルトを前に、リタはこれ以上はいかんいかんと、スッと朗らかな表情に切り替える。
「まあでも、その俺の噂のおかげで、言い寄ってくるお嬢さん方が減ったんじゃないですか?」
「まあ、それは……」
ディハルトは29歳という年齢にもかかわらず、未だに誰とも婚約も結婚もしていない。年齢は少し高めではあるが、その真面目さと騎士団団長という地位、そして見目の良さから、彼は現在、多数の女性からアプローチを受けていた。また、言い寄ってくるのは貴族の女性だけではなく、騎士という仕事柄、街などで助けた平民の女の子たちからも、特別な感情を向けられることが多かった。
それに関して言えば、あの日、孤児院の前で救われた俺も傍から見れば、近いようなものなのか?
リタはふっと視線を感じ、考えるのをやめ、ディハルトと正面から向き合う。
「お前本当に、違うんだよな?」
「何がですか?」
「俺のことを……その、そういう」
気まずそうに探るような視線を向けてくるディハルトに、先ほど落ち着かせたリタの悪戯心がむくむくと芽を出す。
「………団長のことは大好きですよ!!!」
「やめろ! 大声で言うな、そういうのが原因だ!」
「俺の本気を疑ってるんですか! 団長!!!」
「うるさい!!」
わざと大声で騒ぐ俺の口を、団長は慌てて手で塞ぐ。
「ングーーーーッ」
「静かにしろ!」
ついつい楽しくて弄りすぎてしまった……いけない、いけない。とリタが反省した矢先、部屋の入り口付近でドサッという物音がした。
そこには、先ほどリタに団長が呼んでいると伝えに来てくれたハリソンがいた。どうやらディハルトに書類を届けに来たようだったが、その書類は無惨にも床に散らばっている。
ディハルトとハリソンがお互いに目を合わせ、サーッと青い顔をしている横で、リタは堪えきれず「あははっ」と声を出して笑った。
*
五年前、前世の記憶を取り戻したリタは、怪我の手当てを受けたあと、落ち着いて今後について考えた。自分の現状、最推しのディハルトについて。そして、行きついた先は……
『出来るだけ推しの近くで生活しながら、やがて訪れる危機から推しを守ろう』
そのためには、まず王国騎士団に入って、推しの部隊に所属しなければ!
思い立ったリタは、即行動に移した。
後に、前世の記憶を取り戻したリタの体には、微量の魔力があることがわかった。どの程度の魔法が使えるのか、原作で見たような技を出せるのか、自身で調べ試してみたり、こちらの世界の書物を読んで勉強もした。
剣術は、あの時手当をしてくれた白髪のおじいさんに教えてもらった。実は昔、剣士だったというおじいさんは、いつもは穏やかな雰囲気だったが、剣はスパルタで今まで一度も勝てたことはない。
早い段階から、師匠を持ち手ほどきを受けていたおかげで、リタは最年少で騎士団の試験を受け、合格することができた。さらにここ一年の間で、騎士団長直属の部隊に所属するまで昇格した。背の低さと、女と間違えられるような見た目から、卑しい噂を流されたり、それをリタ本人に直接言ってくる者もいたが、そういう輩は全員、剣で黙らせてきた。
ちょっとかっこよく言っちゃったけど、俺の剣の技術はディハルトを頂上として考えて、中の上くらいだ。微量に使える魔力を剣に纏わせ振るう事で、通常の数倍もの速さと重さを出すことができる。
入団当初は、何事も真面目に取り組む姿を見せていたリタ。だが、このまま、ただの一騎士でいるだけでは、いざという時に推しの傍にいられないのではないか。そう気づいたリタは、時間を見つけてはディハルトの元を訪れ、積極的に距離を縮めるよう努めた。
その過程で、ディハルトが原作通りの真面目人間であることに変わりはなかったが、それ故に、時折おもしろい反応を見せることに気づいてしまったリタは、徐々に悪戯心を芽生えさせる。命の恩人であるディハルトを心から信仰し、大好きで仕方ないと大袈裟なほどに表現する反面、隙を見つけてはからかうようになり、やがて……今のような関係に落ち着いた。
ディハルトとは、普通の団長と部下の関係ではないような、謎の距離感を持つことができた今……準備は万端!
──そう!全ては計画の内!
決して、大好きな最推しと近距離で接するうちに、もっと話したい、もっと最推しを近くで見ていたい、という欲が勝ったわけではない! 断じて!
あれから五年が過ぎた今、ディハルトは29歳。原作では、この先の敵との戦いで敗れ、死んでしまう。
今年が勝負……いよいよだ。
──見ててね団長! 俺が必ず、貴方に待ち受けている悲しい運命をぶち壊して、あの未来を変えてみせる!
リタの目はやる気に満ちていた。