2.五年
「団長〜〜〜!」
騎士団宿舎から練習場まで続く通路を進んでいたディハルトの元へ、大声で叫んで走ってくる一人の少年。淡い栗色の髪にクリクリっとした大きな瞳で、一見すればまるで腕白な少女にも間違えられそうな容姿をしているが、れっきとした男である。
「……騒がしい、走るな」
その姿を確認したディハルトは、呆れたようにため息をつきながら、手に持っていた書類の束をその少年の頭に軽く置いて諫める。
毎度のことだ、と大して咎められる事もないことを知ってか、そんなディハルトの様子を伺う事なく、まるで周りに花が咲いているかのような満面の笑みを浮かべて話し始める。
「団長! 今からお昼ですか?」
「あぁ」
「おー、リタも一緒に行くか?」
ディハルトの部下であり、リタの先輩になるローガン。ディハルトの横からひょこっと顔を出した彼がそう提案すると、リタは「はい!」と満面の笑みで答えた。そんなリタの目の前で、「おい、勝手な事を言うな」とローガンに咎めるような視線を送るディハルト。
ニコニコと何がそんなに楽しいのか、とリタを見て怪訝な表情を見せるディハルトだったが、彼は本気で嫌がっている訳ではない。いつも通り、しぶしぶといった態度で同行を許可してくれた。
「食堂で食べますか? 今日は本舎のメニューがおいしいですよ!」
「詳しいな」
「今日は臨時でクレアさんが手伝いに来てくれてるんです!」
下町でお店を経営しているクレアさんの作るご飯は絶品だ。騎士団の中でも何人もの人が、休みの日にはわざわざクレアさんのお店まで通い詰めてしまうほど。
「特にヒレ肉のスープが絶品で」
「そういえば、今朝の訓練遅れてきていたな」
食堂へと続く道を歩いていた三人だったが、ディハルトの指摘で、瞳を閉じて幸せそうに語っていたリタがピタリと固まる。
「違います! 団長!」
「……何も言ってないが」
「自分は断じて」
急に凛々しい顔つきに代わり、ディハルトの前に出て物申すリタだったが、食堂から顔を出したクレアの「あら!リタまた来たのかい!今朝は間に合ったかい?」という言葉により、言い逃れができなくなる。
「お昼にも食べにくるって言ってたけど、本当にまた来てくれたんだねぇ。団長さん達も一緒かい?」
「……うん、クレアさんのごはんがおいしくて」
ジトっとした目でリタを無言で見つめるディハルトから、カクカクとぎこちなく視線を食堂へと向けて答えるリタ。
「美味しそうに食べてくれるのは嬉しいけどねぇ。今朝もおかわりして遅刻しそうになってただろう。今度はもっと早くおいでよ」
「……うん」
遅刻「しそうに」ではなく、「した」のだが。バレないように上手く途中参加できたと思っていたリタは、団長に見つかっていた上、クレアさんに追撃されたことにより完全に逃げ場を失う。
「リタ」
先ほどよりも低くなったディハルトの声に、リタはきゅっとこぶしを握る。
「馬小屋の掃除と週末の買出しの人が足りなかったか」
「買出し! 手伝います!」
「両方だ」
誰が選べと言った、と言い放つディハルトに、リタはか細い声で「はい」と返事をするしかなかった。
*
「ははっ、だからお前、最近馬小屋にいんのか。ウケる」
「うぅ……」
リタがこうして“罰として仕事を増やされている原因”を知ったワイズマンは、けらけらと笑いながら藁を運んでいた。
リタは「でもいいんだ」と言いながら、ブラッシングをしている目の前の馬に話しかける。
「久しぶりに会えたし。な、ポニー」
「そいつはレイニー」
ポニーはこっち、と言ったワイズマンは、運び終わった藁を整え、パッパッと手を掃う。
「リタ、お前この後非番だろ?」
「うん」
「だったら、また楽しいとこ行こうぜ」
ニヤっとしながらそう言ったワイズマンに、リタはう~~んと悩んだ後、「今日はやめとくよ」と答える。
「なんだよ、いつもなら喜んで行くのに」
「今日はね、ちょっと用事があるんだ」
チェッ、と拗ねたような顔を見せたワイズマン。しかし、すぐにハッとした様子でリタを見る。
そうか、今日は……。表情を曇らせながらそう言ったワイズマンに、リタは「うん」と優しく微笑んだ。
──あれから、五年。
あの日──リタがディハルトに命を救われてから、前世の記憶を取り戻してから、孤児院のみんなが亡くなってから、今日でちょうど五年の歳月が過ぎていた。
*
「お姉さん、あれと、あとそっちのもください」
「はいよ」
鮮やかに咲く花束を胸に抱き、リタは店の女性にお礼を言って代金を支払う。ニコッと笑うと、店員の女性も嬉しそうに笑って言った。
「誰かにプレゼントかい? 喜んでもらえるといいね」
「うん!」
ありがとう!じゃあね、と元気に店を飛び出していくリタ。しばらく歩きながら、胸に抱いた花の香りを嗅いでいたリタは、やがて目的地に着くと、先ほどのまでの穏やかな表情を一変させる。
そこには、雑草や小石があたり一面に広がる、両脇を建物に挟まれたガランとした空間があった。中央に一本、大きな木が植えられており、その奥ではおそらく、この辺りに住んでいるのだろう子供たちが数人、駆け回って遊んでいる。
ここにはかつて、セイトラン孤児院があった。
「久しぶり、みんな」
リタは中央の大きな木の前まで来ると、花束から一本ずつ花を抜き、地面へと並べていく。一人一人、忘れないように。
「あれからもう、五年たったよ」
あの日、リタだけが助かった、あのテロで犠牲になった人たち。一緒に育つはずだった孤児院の子供たち、面倒を見てくれていたシスター、それから、もうひとり……あの日死んだ俺に。
リタは、最後の一輪を置き終わると、スッと立ち上がり空を見上げた。
それは、覚悟を決めた顔だった。