おじさんと女子高生
風呂上り。
俺はバスタオルで頭をガシガシと乾かしなら、鏡を見ていた。
「……はぁぁ……」
ため息をつく。
視線の先には鏡に映った自分の乳首。
他の野郎どもとは明らかに見た目の異なる、おかしな乳首……。
「……くそっ。
なんで俺だけ、こんな乳首なんだ……」
それは俺の抱えるコンプレックスである。
この乳首。
色はピンクで大きめの乳輪がふっくらと盛り上がっており、男らしさのかけらもない。
感度も人一倍で、肌着に擦れるだけでも刺激されてしまうから、普段はニップレスを貼って凌いでいる。
この乳首にはろくな思い出がない。
「……はぁぁぁ……」
鏡に映った乳首を眺め、俺はもう一度、盛大なため息をついた。
◇
これは学生時代の嫌な思い出話――
俺は特異な乳首のせいで、陰惨な学生時代を過ごした。
特にプールの授業は最悪だった。
お調子者揃いで容赦のない同級生たちから、いつもからかわれていたのだ。
『ぶはっ、発育乳首だ!
おい、見ろよ佐里のやつの乳首。
ぎゃははは!
あれが噂の発育乳首だぜ!』
『やだぁ、なにあれ?
佐里くんの乳首、かわいい形してるぅ。
発育乳首って言われてるんだってぇ。
くすくす』
なんて具合だ。
まじ、これだけでも十分なトラウマだと思う。
だが極め付けはあれである。
大学に進学して、俺にもようやく交際相手が出来た。
その彼女と、さぁ初めて身体を重ねようか、となったあの日の夜。
ホテルのシャワー室から出てきた上半身裸の俺を眺めた彼女は、乳首を指差して――
……あろうことか、笑い転げた。
『ぃひいー!
し、士狼先輩、なんですかその乳首!
発育乳首だ、噂の発育乳首!
あははっ。
おっかしいー!』
あの女の笑い声は、いまでも覚えている。
脳裏にこびり付いたまま、忘れられない。
交際相手にまで笑われたこの乳首。
当時の俺は、ぷるぷると肩を震わしながら服を着直し、笑い転げる彼女を残してホテルを後にするのが精一杯だった。
……あれから彼女は作っていない。
だから28歳になったいまでも、俺は童貞のままなのである。
風呂上がりに鏡を見るたび、気分が重くなる。
おかげですっかり俺は人間嫌いだ。
なかでも恋人だったあの女に植え付けられたトラウマ体験から、俺は女のことが特に嫌いなのである。
◇
家着に着替えて脱衣所を出た。
乳首にはちゃんとニップレスを貼ってある。
これで擦れても安心だ。
風呂上がりに冷えたビールでも飲もうかと冷蔵庫に手を伸ばしたちょうどそのとき、リビングに置いていたスマートフォンが鳴った。
壁掛け時計をみると、時刻はもう23時。
こんな遅くにいったい誰だろう。
着信画面を確認してみると、地元仙台にいる年の離れた姉からの電話だった。
「……俺だけど。
なんだよ姉貴」
『あ、もしもし士狼?
夜遅くにごめんねー。
もしかして寝てた?』
「いやまだ眠ってはない。
それより用件はなんだよ」
『なぁに、あんた。
久しぶりに話す姉に向かって、随分とご挨拶ねぇ。
まぁ士狼のその態度はいまに始まったことじゃないけど、あんた、無愛想さに磨きが掛かったんじゃないの?』
「……知るか。
用がないなら切るぞ」
通話を終えようとする。
『あー、待って待って!
まったく短気なんだから、もうっ。
じゃあ手短に用件だけ伝えるわよ?』
「ああ。
そうしてくれ」
『えっとね。
あんた、希凛と仲良かったわよね?』
希凛とはこの姉の娘、つまりは俺の姪だ。
最後に会ったのは、もう5年も前になるだろうか。
性別的には一応女には違いないが、真っ黒に日焼けしたボーイッシュなガキで、里帰りしたときは俺のことを叔父さん叔父さんと呼びながら付き纏ってきたものだった。
「……希凛?
別に仲良くも、仲悪くもないだろ」
『あらそう?
でもあの子のほうは、あんたによく懐いてると思うけど。
それで、その希凛なんだけどね。
ちょっと預かってくれないかしら?』
姉がいきなり訳のわからん話をしだした。
『あの子、この春から高校生じゃない。
それでなんか、都会でしか学べない勉強がしたいから上京したいんだって。
あんたのマンション、2LDKだっけ?
どうせ部屋余ってるんでしょ。
ちょっとあの子を住まわせてあげあてよ』
「……はぁ⁉︎
ちょ、ちょっと待てよ姉貴。
いきなりなに言い出すんだ。
だいいち、うちのマンションは2LDKじゃなく2DKだっつの」
『2LDKも2JKも変わんないでしょ。
ほんと士狼は昔から細かいわねぇ』
2JKってなんだろう。
それに俺が細かいのではなく、姉貴のほうが大雑把なんだと思う。
いくら姉弟だからといって、年頃の愛娘をひとり暮らしの男の家にホームステイさせようなんて、この女、正気だろうか。
それに希凛は姪とはいえ、厳密には俺との血縁関係はない。
どう考えても預かるには無理がある。
さらに付け加えるなら、俺は発育乳首のトラウマから女嫌いだ。
姪だからまだマシとは言え、希凛と言えども例外ではない。
そんなことを考えていると――
『じゃあ、あの子の到着は明日だから。
よろしく頼むわよ。
それじゃあねぇ〜』
「あ⁉︎
おい、ちょっと待――」
プツっと音が鳴る。
「――てよ、ふざけんな姉貴!」
どなりつけるも、一方的に通話が切られあとだった。
「…………。
…………。
…………まじ?」
俺はツーツーとなるスマートフォンを耳に当てたまま、しばらく呆然と立ち尽くした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌日。
俺は苛立ちまぎれに膝を揺すりながら、ソファに腰掛けていた。
あれから何度電話を掛けても、姉貴には繋がらない。
これは確信犯だろう。
次に会ったら絶対に文句を言ってやる。
時計をみると時刻は9時。
俺は土日祝が休日のどこにでもいるサラリーマンなのだが、金曜日の今日、こうして出社もせずに希凛を待っている。
会社に無理を言って有給休暇を取得したのだ。
そのことがまた、俺のイライラを加速させている。
――ピンポーン。
呼び鈴が鳴らされた。
インターホンから、元気な声が響いてくる。
『やっほー、おじ(叔父)さん!
来たよぉ。
開けて、開けて』
希凛の声だ。
数年ぶりに聞いた彼女の声は、記憶にあるよりも幼さが抜けていて、年頃の女性を思わせる。
とはいえあの希凛だ。
どうせ成長したのは声くらいなもので、見た目は真っ黒に日焼けしていたあの頃と、さして代わり映えしないだろう。
「……入れ。
部屋の鍵も開けてある」
パネルを操作して、マンションエントランスのオートロックを解除する。
『えへへ。
おじさん久しぶりぃ。
すぐにいくから、ちょっと待っててね』
◇
しばらくすると、玄関のノブからガチャガチャと音がした。
ドアが開かれる。
差し込んでくる朝陽を背負って、ひとりの女の子が入ってきた。
彼女は俺を見つけるなり、満面の笑みを浮かべる。
「シロウおじさん!
おはよう。
すっごい久しぶりじゃーん!
元気にしてたぁ?」
俺は呆気に取られて小首を傾げた。
「…………。
…………。
……えと?
……どちらさま?」
「あっ、ひっどーい⁉︎
おじさん、わたしの顔忘れちゃったのぉ?
希凛だよ、希凛。
シロウおじさんの姪の、キリちゃんでぇす!」
女がウィンクをしながら可愛らしく舌を出し、横ピースをしてみせた。
俺は目をパチクリとさせる。
姪を名乗るその少女。
JKになった希凛は、俺の記憶にある姿とは似ても似つかない美少女に成長していた。