15 夢の中の口付け。
「恋に落ちる音がしたの」
開口一番に、私は言う。
「なんですって?」
突然何を言い出すのか、という表情で、ルヴィンスは問うた。
「恋に落ちる音がしたの」
私はもう一度言ってみる。わりと真顔で。
「はぁ……」
わけわからないといった相槌をするルヴィンス。
「あなたは聞いたことある? 恋に落ちる音」
「それが何か。私にはさっぱり見当がつきませんが」
「聞いたことないでしょうね。ルヴィンスって、全然他人に興味なさそうだもの。親しい友はいる? なんでも話せるような親友。いなさそう」
「失礼ですね。アイナ。あなたという人は本当に」
「正直者なの」
「失礼だってことは否定しないのですね」
ルヴィンスは、呆れ顔になった。
青のストライプ柄のベストを着た見目麗しい男性。白金色のなめらかな髪は、青いリボンで束ねている。
私達は丘にいた。天空にあるのではないかと疑うくらい、下は霧で見えない。他にも周りに丘がある。桜のように花がぎっしり咲いた木が伸びて、花を散らしていた。散らす花びらの色は、白だ。だから雪のようにも見える。
「相変わらず、あなたの夢は美しい場所ね。ここはどこ?」
「ネーヴェ二パスの花丘ですよ」
「ふぅん」
ふと、自分を見下ろせば、前開きのドレスだった。
私はすぐさま立ち上がって、軽く下の段のスカートを上げる。
「どう? ルヴィンス、このドレス」
「……お似合いですね。髪の色によく合っていると思います」
私はダレンのようなウブな反応を期待したのだけど、ルヴィンスはしっかり短パンと靴下の間の絶対領域を見ても、平然と感想を述べた。
「何その反応、ダレンと違う」
きっと見慣れているのだ。つまり王都住まいと予想。
「ダレン? それがあなたが恋をした男の名ですか?」
ルヴィンスがサファイアブルーの瞳を細める。
「私が恋? なんの話?」
「アイナが二回も言ったではありませんか。恋に落ちた、と」
またもや呆れ顔をされた。
「え? 違う違う。私が恋に落ちたわけじゃない。恋に落ちたのは、今日……それとも昨日かしら。新しい街で出会った少年ダレンと少女アメーがね、互いに恋に落ちたみたいなの。いや、絶対に恋に落ちた音だわ、間違いない」
私はルヴィンスの勘違いにケラケラ笑ったあと、断言をする。
丘の端に座っているルヴィンスは、肩を竦めた。
「紛らわしいですよ、言い方が」
「あら、ごめんなさいね?」
反省の色なく謝る。
「二人とも、とってもいい子なの。友だちになったわ。ふふふっ、他人が恋に落ちる瞬間を目の当たりにするなんて初めて」
しゃがんで自分の頬を押さえ、笑みを溢す。
「それは、面白いものですか?」
「うん、面白いわ。ルヴィンスは自由に美しい光景を夢で見れるけど、人が恋に落ちる瞬間は夢で見れないわよね」
「……そうですね」
「あ、今興味ないって思ったでしょ」
「否定しません」
「恋は、この景色くらい、尊いわよ?」
私はルヴィンスから視線を外し、吹雪くように風に吹かれて延々と降り注ぐ花びらを見た。数秒して、ルヴィンスに目を戻せば、彼も景色を眺めている。
「えーいっ」
私が突き飛ばせば、ルヴィンスの身体は簡単に倒れた。
丘に横たわったルヴィンスの胸に肘を置いて頬杖をつく。
「なんの真似ですか?」
驚きで目を丸めるルヴィンス。
「人を登場させることが出来ないって聞いてから思ったのだけど」
「なんです?」
「つまり、夢の中でキスしたことがないのでしょう?」
「……だから、なんです?」
見下ろすルヴィンスの顔が、怪訝に歪んだ。
逆に面白がる私は笑顔である。
「私としてみない? 夢の中のファーストキス」
「……」
ルヴィンスが顔を歪ませたまま固まった。愉快である。
「それをして、なんの得があるのですか?」
「んー、それはしてみればわかるんじゃない?」
「私には不毛な行為にしか思えないのですが」
「そうかしら。私としては気になるわ。触れる感触がするでしょう? 夢の中のキスはどんな感触か、確かめたいわ」
ぷにぷに、と人差し指でルヴィンスの頬をつつく。
それはすぐに振り払われた。
「錯覚ですよ。それと想像にすぎません。どうせ想像通りですから、試す必要性はありません」
錯覚と想像か。
「余計試したくなったわ。キスしましょう」
「……女性が自ら誘うことに、躊躇と恥じらいはないのですか?」
「異性の露出した足を見ても動じなかったのに、それは気にするの?」
私はおかしくてケラケラと笑った。
「じゃあ、ルヴィンスから誘ってよ」
「何故私が……」
「誘ったことないんでしょう?」
「ありませんね」
ルヴィンスがきっぱりと答える。
「そもそもキスしたことないんでしょう?」
「……」
あ、黙った。
言いたくないって顔だ。
「わかった、白状する。私もないわ」
これでお互い様。
「だからしましょう」
「だからするっておかしくありませんか?」
「未経験な二人が経験しようってことでするのよ。おかしくないわ」
全然おかしくない。
「それとも、こんな美少女としたくない理由でもあるの?」
「自分で言いますか?」
「私とキスしたくない理由を勝手に想像するわよ?」
「今度は脅迫をしますか……」
想像と言っても、想像力は落ちたのだけれど、あんなことやこんなことまでなら想像出来る。
「わかりましたよ。では、私とキスをしましょう、アイナ」
やっと心を決めたようで、ルヴィンスから誘ってくれた。
身を乗り出せば、長いルビーレッドの髪がルヴィンスに降りかかる。それを退かすように、頭に手を添えられた。
私から少し顔を近付ければ、ルヴィンスも軽く起き上がり、唇を重ねる。
そう、重ねるだけの口付けだ。
互いに目を閉じていたけれど、唇が離れれば目を開いた。
「……どうですか? 想像通りでしょう?」
「んー……そうね。想像よりいいと思うわ」
「……。何がですか?」
想像より、何がよかったのか。
尋ねるルヴィンスに、私はにっこりと笑って見せた。
「秘密」
ちょんっと人差し指でルヴィンスの柔らかな唇を叩く。
ルヴィンスとキスをするということ。
キスのドキドキする甘酸っぱさ。
想像よりいいものだ。
「私で実験しておいて、秘密はなんですか……」
「実験とは人聞き悪い」
「実験的にキスがしたかったのでしょう?」
「いいえ、ルヴィンスだからしてみたかったのよ」
またルヴィンスの胸の上で頬杖をする私を、大きく見開いたサファイアブルーの瞳で見上げた。そんなルヴィンスは、私の額に指を伸ばしたものだから、ガッと掴む。
「ちょっと! 話の途中で夢から追い出そうとしないでよ!」
「っ!」
私を追い出すことに失敗したルヴィンスは、頬を紅潮させて、そっぽを向いた。もう片方の腕で隠していても、見え見えである。
あら。可愛い反応。
きゅんとしてしまう。
「もう一回する?」
「全く……困った客人ですね」
私はクスクスと笑ってしまった。
「妙に余裕ですね」
じとり、と睨まれる。
「まぁ? 私の貞節を疑っているの? 失礼しちゃうわ!」
私は大袈裟な演技をして、自分の胸に両手を当てた。
「正真正銘、純潔よ?」
微笑んでまた頬杖をついて、もう片方の手でルヴィンスの髪をくるくると指で弄ぶ。
「私はルヴィンスの純情に驚きが隠せないわ。あなたの容姿なら、女性に困らないでしょう?」
「……そう容易く、近寄らせていなかったのですよ」
「ああ、私は特別なのね?」
「……。ええ、あなたはある意味で特別ですよ」
ニヤニヤしていたら、ルヴィンスが仕返しに笑みを返す。
私に押し倒されている形なので、虚勢にしか思えない。
「色気もあって……周りが放っておかなそうなのに……」
耳をなぞり、輪郭を沿って指を滑らせて、スカーフに視線を落とす。
これを剥いで、胸もとを晒せば、とても色気が出ると思った。
けれども、ガシッとその手を掴まれて阻止される。
明らかに拒絶を感じた。
「……いつもスカーフで首元隠してるよね……もしかし首なしなの?」
実は首が繋がっていないデュラハンという妖精なのかもしれない。
なんて私が恐る恐ると問うと、またもや呆れ顔をされた。
「何故そうなるのですか。私はデュラハンという魔物ではありません」
あ。この世界では妖精という位置ではなく、魔物なのか。
「じゃあなんで首を隠したがるの?」
「やめてください」
白い花びらが私に襲いかかってきたので、私は手を離した。
私とキスしてもいいけれど、首を見せるのは断固拒否なのね。
仕方なく引き下がってあげることにした。
「そう言えば、あなたの種族は人間?」
「……何故問うのですか?」
隣に寝転がると、ルヴィンスは起き上がって私の顔を覗き込んだ。
「この前、獣人族に会ったの。色んな種族と会ってみたいから、王都を目指してたけれど、気付かないだけですれ違っているかもしれないなーと思って」
ルヴィンスが私の髪に引っかかってしまったであろう花びらを一枚、また一枚と外す。
「見た目は人間でも、違う可能性があるでしょう?」
「あなたはどうなんですか?」
「私は……。神よ」
「………………」
ちょっと返答に迷ったけれど、正直者なので答えた。
一枚ずつ花びらを取り除きながら、ルヴィンスは黙り込んだ。
「……なんの神ですか?」
そのうち、口を開いた。信じたのだろうか。
「神シヴァール様と女神フレーア様の娘」
この世界で崇められている二人の神様の化身。
ふっと吹き出すように笑うルヴィンス。
「そうですか。そろそろ起きる時間ですよ。話の続きは、また次に」
「そう? また夜に会いましょう」
ちゃんと理解してくれたのか、よくわからない反応。
最後に見たルヴィンスは、どこか儚い眼差しをしていた気がした。




