知られたくないあの名前
「そ、それでは私はここで失礼します。ありがとうございました」
笠井を無事に家まで届け、俺も自宅に帰ろうかと歩き出そうとすると、声をかけられた。
「さて、素人君。話を聞かせてもらおうか。どうして真優君をわざわざ家まで送り届けているのかな?」
今日はどういうわけだか、綾乃と紫藤先輩がついてきていた。先輩はおもちゃを見ているかのような目でこちらを見ている。綾乃は何か不満そうに頬を膨らませていた。
「なんで二人ともついてくるんだよ……笠井の奴、ずっと顔を俯かせてビビっていたし」
「いやー、何だか面白そうな気がしたし? 興味本位だよ興味本位」
この人はまったくもう……。
「で? 綾乃は? まさかお前も先輩と同じ興味本位か?」
しかし、綾乃は俺の質問に答えることなく、逆に質問で返してきた。
「ね、ねえ。冬士郎と笠井さんって……もしかして付き合っているの?」
「何だ藪から棒に。付き合ってねえよ」
綾乃の顔が明るくなった気がした。その顔のままさらに質問を飛ばしてくる。
「じゃあなんでわざわざ家に送り届けてあげたの!?」
「えーと、ここで言わなきゃいけねえの?」
チラッと紫藤先輩を見る。事情を話さそうとするには、俺がグレていた頃の話をすることになってしまう。
「私も是非とも聞いてみたいなあ、興味がある」
言いたくねえ、よりによってこの人の前で言いたくねえ。
「いいから早く教えて!」
「ああもう! 分かった! 分かったから!」
それから、二人に中学時代に笠井と初めて出会った時の事、彼女が当時の俺と同じ金髪に染めている理由。さらに、その金髪が原因で不良に絡まれたことにより、俺が責任を持って家まで送り届けている事を伝えた。
話す過程で、紫藤先輩に俺が昔グレていた事を知られてしまう。これ以上、他の人に知られたくねえんだけど。
「ぷぷ、なるほどな。そんなことがあったのか……ぷぷ」
「先輩、笑ってます? そんなに堪えなくてもいいんですよ? いっそのこと、思いっきり笑ってくれてもいいんですよ」
「いや、実は知っていたんだよ。君が中学時代にグレていたという事自体はね」
「……え? 何で? 言った覚えはないんですけど」
「だって、君の悪名は一つ上の私達の学年にも伝わっていたんだよ。それどころか、学校中に伝わっていたんじゃないかな」
「え、あの、先輩ってまさか、川口中出身ですか?」
先輩は笑顔で頷いた。
マジ? この人、今までそれを知っていた上で、俺と接していたのかよ。
「じゃ、じゃあなんで笑って……」
「ああ、話を聞いているうちに思い出した事があってね。実は私、昔君の喧嘩を見た事があってね」
「……え?」
「こっそり影から見ていたんだけど、君が喧嘩相手を殴りながら叫んでいた必殺技名を思い出してしまってね……」
「先輩、ちょっとストップ」
「確かあれは……」
「ストップ! 千円差しあげますからこれ以上はやめてください! 一生のお願いです! おい、やめろゴラァ!」
「思い出したぞ! “ダークデスゴッドナックル”って叫びながら殴っていたな!」
「ああああああああああ!!!!」
二人を置いて真っ先に走り出す。やめろっつったのに! やっぱ話すんじゃなかった! もう嫌だ! このバイトやめたい!
枕、枕、枕! プリーズマイ……枕って英語で何て言うの!? とにかく、枕に顔埋めてえ!
***
ま、まさか、冬士郎が中学時代に笠井さんと出会っていただなんて……しかも、自分で責任感じてしっかりと家まで送り届けるだなんて……。
さすが冬士郎! 優しくて超格好いいわ! 後輩の面倒もキッチリ見られるなんて、あの時と比べて随分と成長したわね!
笠井さんが冬士郎の舎弟になりたいって言っていたのにも納得がいったわ! 前に「もしかして冬士郎の事が好きなんじゃ?」って思ったことがあったけど、その線は完全に抹消したわね!
「おーい、待ってくれよ素人君! あーあ、行っちゃった」
し、しまった! 私が感心している間に冬士郎が物凄い速さで走っていっちゃった! 追いかけなきゃ!
「紫藤先輩! 私もこれで失礼します! さようなら!」
「ああ、お疲れ様。これからもよろしく頼むよ。素人君には後でラインで謝っておこう……」
こ、この人冬士郎のラインを持っているの!? 私ですら入手するのに時間がかかったっていうのに……!
そんなことを気にしている暇はない! 早く冬士郎を追いかけないと!
「あ、待ってくれ綾乃君」
「何ですか? このままじゃ冬士郎を見失ってしまって寂しい……じゃなくて、門限を過ぎて怒られちゃうんですけど」
「えーっとだね……その、もう少し隠す努力をしておいた方がいいと私は思うよ」
「? どういうことですか?」
「あ、いやいいんだ。気を付けて帰ってくれ」
「はい、失礼します!」
紫藤先輩は何の事を言っていたのかな? 全く心当たりがないわね。
それにしても、ダークデスゴッドナックル……冬士郎の喧嘩における必殺技の名前……なんというか、こう……。
超格好いい。さすが冬士郎、ネーミングセンスも天才級のそれだわ! 何をあんなに恥ずかしがる必要があるのかしら?
それにしても、今日のアルバイトは楽しかった!
冬士郎は格好良かったし、冬士郎は可愛かったし、冬士郎の面倒見の良いところも見れたし! まさか、バイトがこんなに楽しい物だったなんて思いもしなかった!
これからも頑張ろうっと!
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