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笠井真優は恥ずかしい

「さて、真優君。さっきは私一人でテンションが上がってしまい、申し訳ない。これから君の新人研修を始めようと思う」


 俺、紫藤先輩、笠井は店の倉庫にて研修をする事になった。事務所に来た時は私服だった笠井はあの後に渡された店指定の制服に着替えていた。黒のチノパンに緑色のエプロン、頭には三角巾を着用している。


「さて、まずは基本中の基本である挨拶からだ。私に続いて復唱してくれ」

「は、はい! よろしくお願いしましゅ!」

「笠井、落ち着け。練習だから緊張する事なんてないぞ」

「はい!」


 そう言いながらも、掌に“人”という字を書いて飲み込んでいる。


「じゃあ早速いこうか。いらっしゃいませ!」


 大きくハキハキとした声、普段、先輩が客に挨拶をする時の物と同じ物だ。まさしく手本としてはこの上ないと思う。その声に対して笠井も復唱する、


「い、いらっしゃいませ……」


 非常にか細い声だった。後半、何を言っているかよく聞こえない程だ。


「もう一度だ真優君。いらっしゃいませ!」

「い、いらっしゃいましぇ!!」


 声は大きくなっていたが、緊張のせいか、また噛んだ。今日はよく噛むなこの子。

 

「ふむ、最初はこんなものだろう。次は素人君と向かい合ってやってみてくれ」

「え!? く、久我先輩と向かい合って……ですか!?」


 笠井の顔が一層赤くなる。


「だから落ち着けって、別に噛んだからって即刻クビにするわけじゃねえんだしさ」

「そ、そういう問題じゃ……」

「よし、それじゃ素人君が先に言ってその後に真優君が続くように頼む。はい、素人君」

「いらっしゃいませ!」


 笠井の顔を見ながら、いつもの接客時の時のようなハキハキした声を出す。

 さて、次は笠井の番だ。


「い、いらっしゃい……ませ……」

「おーいどうした! さっきの方が声出ていたじゃないか! あと、相手の顔をしっかり見ること!」

「す、すみません……」


 結局、笠井が俺の顔を見てしっかりと声を出せるまで十回くらいやり直す事になった。まあ、恥ずかしがり屋の笠井にしては頑張っていると思う。


 その後、レジ打ちのやり方を教えたり、商品の出し方について教えたりしていた。

 こっち方面についてはすんなりと覚えてくれた。正直、一年前の俺よりも覚えが早い。

 

***


「それじゃ、私はもう上がりの時間だ。君達二人は確かまだ一時間残っているんだったね。残りの一時間は任せたよ素人君」

「分かりました。お疲れ様でーす」

「お、お疲れ様です!」

「素人君、しっかりと教えてあげるんだよ」

「はいよ」


 先輩が上がり、笠井と二人で倉庫の在庫を確認し、定番に足りない商品を足していく。やはり、笠井は物覚えが良く、スラスラと進めていっている。

 そんな笠井に一人の客が声をかけた。


「あのーすみません」

「ひゃ、ひゃい!?」

「ハチミツって何処にありますかね?」

「ハ、ハチ……!? えっと、その……」


 惜しむらくは接客の苦手さだ。そこさえ直すことが出来ればかなりの有力なバイトなんだが。今はそんな事を考えている場合じゃない。助けないと。


「はい、お客様。ハチミツですね! こちらでございます!」

「あ、そうですか。どうも」


 ハチミツの案内を終えて、笠井の元に戻ってくる。すぐに笠井は頭を下げてきた。


「すみません! 私がしっかりと接客を出来なかったばかりに……ご迷惑をかけてしまって……」

「そんなに謝らなくても大丈夫だって。少しは遠慮なく先輩を頼れ」

「でも……」

「最初は皆そんなもんだ。俺だって昔は緊張してて、商品の場所とかもすぐに案内することは出来なかった。少しずつ時間をかけて覚えていったんだよ。だからな笠井、お前の接客も少しずつ出来るようにしていこうぜ。何かあったら俺が助けてやるし」

「……はい。ありがとうございます」


 笠井は少し微笑んでからまた頭を下げる。ホントに一個下とは思えない程しっかりした子だなぁ。涼太とはどうしてこう差がついたのか。


「さて、バイトが終わるのもあと少しだ。頑張ろうぜ」

「はい!」


***


 夜十時、高校生がバイト出来るタイムリミットになり、俺達二人は上がる。制服から着替えて更衣室を出た所でこれまた私服の笠井を見つけた。


「久我先輩、今日はありがとうございました。それと、色々ご迷惑かけて申し訳ありません」

「気にすんなって。ていうか、ずっとここで俺を待っていたのか?」

「は、はい。お礼を言いたくて」

「なんだ、俺はそんな大したことはしていないのに待たせて悪いな」

「い、いえ! 大丈夫です!」


 折角笠井がいることだし、聞いておきたい事を聞いておく事にした。


「なあ笠井、何で人と関わるのが苦手なのにスーパーのバイトなんて選んだんだ? 接客のないバイトなんて探せば他にあると思うぞ」

「確かにお客さんと関わらなくていいアルバイトは他にもありました。でも私、こんな情けない私を変えたかったんです。いつまでもこんな引っ込み思案じゃダメだって。だから、敢えて接客の多そうなここのスーパーのバイトに決めたんです」

「すごいなお前。今の自分を変えようだなんて立派な心掛けじゃねえか」

「そ、そんな大したことでは……それにしても、まさか先輩がここにいるとは思いませんでしたよ。ビックリしました」

「ああ、俺も。紫藤先輩も言ってたけど、これも何かの縁かもな。これからもバイト頑張っていこうぜ。お前の成長に期待している」

「はい!」


 そのまま話しながら、笠井と共に店を出る。


「それじゃ、私の家はこちらなので……」

「こんな夜道を一人で大丈夫か? なんなら送るけど」

「おく……!? だ、大丈夫です! さすがに家くらいなら一人で帰れます!」

「そうか、気を付けろよ」

「はい! 今日は本当にありがとうございました!」


 笠井は今日何度目になるか、頭を深々と下げて俺の家とは反対方向へと帰っていく。


 さて、明日も学校だし早く帰って寝るか。

 ……そういえば、あいつ言ってたな。中学の時に不良に絡まれたって……。

 …………。

 俺はUターンする。


***


 せ、先輩に送っていくって言われた……! 素直に頼めば良かった! 私なんで断っちゃったんだろう!

 いや、駄目だ! これ以上家が反対方向の先輩に迷惑はかけられない! 

 ……私なんかを気遣ってくれるなんて嬉しかった。でも、私は変わらないと、自分一人でもしっかりやっていけるように変わらなきゃいけないんだ。


 そんな事で頭が一杯になり、前をしっかり見ていなかったのは迂闊だった。誰かにぶつかってしまう。


「チッ、いってーな何だよ」


 男の人だった。目付きが悪く、髪も染めているようだ。


「す、すみません。不注意でした」

「おい待てよ。こんな時間に出歩いてるなんて随分と悪い子じゃねえ

か。このまま俺と遊ぼうぜ、夜通し」


 下から上まで舐め回すような視線を感じ、すぐにその場から離れようとする。が、腕を掴まれた。このままじゃ中学の時と同じだ。


「は、離してください!」

「いいじゃねえか。それとも、そんな髪して遊んでいませんなんて言うんじゃないんだろうな」


 そのまま右腕を掴まれる。駄目だ。逃げられない。

 このままじゃ……このままじゃ……!


「すみません、その子を離してください」


 頼りある声がした方向へと振り返る。聞こえた瞬間、やはり私は情けないと思うと同時に嬉しくも思わずにはいられなかった。






 

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