新入りは働きたい
五月の末、中間テストが始まった。あれだけ恐れていた中間テストも綾乃による対策で自分の実力以上に解くことが出来た。葉山も珍しく「今回のテストは絶対良い点取れたよー!」と典型的な死亡フラグを立てるほどの出来映えらしい。回収ししてしまわないといいが。
さて、テストが終わり、しばらくは気の抜けた生活が戻ってきた。そんなある日、俺は学校から帰ってから、とある用事のために家を出る。
途中、コンビニでペットボトルのお茶を買って家から何百メートルか離れたスーパーへと向かう。昔からよく、親の買い物の荷物持ちとして連れていかれていたスーパーだ。
しかし、今日は客として訪れたのではない。スーパー裏口のスタッフ以外立ち入り禁止の扉を開け、通る。途中、スーパーの店員の制服を着たオッサンとすれ違う。
「おはようございまーす」
「ん、おはよう」
適当な挨拶だけ済ませて更衣室へと向かう。誰もいない。別に珍しい事でもなんでもなかったので手短に制服に着替えた。
そう、俺はこのスーパー“ミドリヤ”にてアルバイトをしているのだ。かれこれこのバイトを始めてから一年が経過しようとしている。
さて、そろそろ時間だ。今日も頑張るか。
「やあ、おはよう」
着替え終わり、更衣室を出た所でショートカットの女性とすれ違った。彼女の名前は紫藤玲衣。バイト先での先輩に当たる人物だ。
「おはようございます紫藤先輩。先輩もこれからですか?」
「いや、私は一時間くらい前から入ってたんだ。少し素人君に話があってここに戻ってきただけだ」
「俺の名前は素人じゃないです。冬士郎です」
どういう訳か、この人は俺の事を“素人”という渾名で呼ぶ。今まで、何度も訂正を要求したが、受け入れてくれる様子は微塵もない。
「まあいいじゃないか。良い名前だと思うぞ素人君」
「なんかスゲー馬鹿にされてるみたいで嫌なんですけど」
「それは君の考え過ぎだよ素人君。馬鹿にしていたらそもそも、こんな渾名で呼ぶ事もないだろ?」
「それもそうですけど……ところで俺に用って何ですか」
「おっと、忘れるところだった。危ない危ない」
紫藤先輩は掌を合わせて言った。
「さっき店長から聞いたんだけど、今日新入りの子が入ってくるらしいんだ。その子の指導に私と素人君で取りかかって欲しいとの事だ」
「そうですか……それ、俺要ります?」
俺が去年の今頃に新入りとして入った頃、仕事内容のあれこれは紫藤先輩に教えてもらった。この人の教えはとても優しく丁寧だった。そんな先輩なら、俺の助けなしでも新人研修くらいはどうにかなる筈だ。
「私も自分の仕事があるからね。一人で教えるには限度があるんだ。何より、君にも教えるという経験は必要だとの事だ」
「そういうことなら分かりました。正直、あまり自信ないですけど」
「そう言うな。期待してるよ素人君。さあ、そろそろその子が来る時間だし事務室で待っていよう」
「冬士郎です」
紫藤先輩に従い、俺は二人で事務室にてその新入りを待つ事にした。
「そういえば先輩、さっきからその子その子って言ってますけど、女の子なんですか?」
「店長が言うにはそうらしい。何だい? もしかして、新たな出会いに期待しちゃったりしているのかい? そんな下心満載じゃ女の子にモテないぞ素人君」
「冬士郎です。いや、ただなんとなく聞いてみただけですよ」
「ああ、素人君がその子にセクハラをしないか心配でたまらないよ」
「先輩、俺の話聞いてます?」
「心配だ心配だー」
聞いてねえなこの人。この人のノリには時々ついてこれない時があり、俺も慣れるのには時間がかかった。これから来る新入りもこの人に慣れるまで時間がかかるんだろうな。
そんなこんなで待っていると、事務室のドアがノックされた。
「お、来た来た。どうぞ、入っていいよ」
さて、第一印象はとても大事だ。まず、何よりも舐められないようにしないと。だからって怖がられないように気を使わないとな。まあ、今の俺に不良の頃の面影を感じる奴なんていないと思うが。
「し、失礼しましゅ!!」
裏返った声と共に、扉が開かれた。しかも噛んでたし。
扉を開けた新入りの姿を見る。金髪をサイドテールにして……ん? 何か見覚えがあるな。改めてその子の顔を見て、思わず声をあげた。
「……笠井?」
そこにいた新人は先日、俺の舎弟になりたいと言ってきた笠井真優だった。まさかの知り合い、しかも俺の不良時代を知っている。
「く、久我先輩!? 久我先輩がどうしてここにいるんですか!?」
「どうしても何も俺は去年からずっとここでバイトしてんだよ。いやーまさか、今日来る新入りが笠井だとは思わなかったな」
「なんだい素人君、この可愛い子は君の知り合いかい?」
「はい、学校の後輩です。妹の友達でもありますね」
「そうか! だったら私の後輩ということにもなるな!」
言われてみればそうだ。言い忘れていたが、この人はこのバイト先での先輩であると同時に、俺と笠井が通う空崎高校の三年生の先輩でもある。
時々、学校ですれ違い、挨拶を交わす程度の仲ではある。
「これはなんという偶然だ! まさか空崎高校の一年生と二年生と三年生が勢揃いするとはな! 共に頑張っていこうじゃないか!」
紫藤先輩が笠井の両手を握り、大きく腕を振った。
「ひゃっ!? あ、あの……」
笠井はひどく困惑している。そりゃ、急にこんな事もされたら引っ込み思案の笠井じゃなくてもそうもなる。俺も去年、「空崎高校の生徒が一緒になるとはなんという偶然だ!」とか言われて同じような事をされて驚いたし。
「君、名前は?」
「か、笠井真優です!」
「真優君か! 私は紫藤玲衣! 何か困った事があったら遠慮なく私に相談してくれたまえ!」
今ちょうどあんたに困らされてるけどな。
「先輩、それよりも新人研修を始めないと」
「おっとそうだったな! このまま忘れて食事に誘ってしまうところだったよ!」
本気で言ってるんじゃないだろうなこの人。
嬉しそうな先輩を差し置き、笠井は顔を赤くして深々とお辞儀をした。
「く、久我先輩、紫藤先輩……よ、よろしくお願いしましゅ!」
こうして、笠井の新人研修が始まった。
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