鎧の基礎研究シリーズ・完結編
-50 ガリア戦記の時代。これ以前は純考古学。写実的な文献はない
すべての鎧形式――チェーン、スケイル、プレートがでそろっている
ただし一線級の代物は、全て青銅製
紀元
476 西ローマ帝国滅亡。中世の始まり
ヨーロッパではチェインメイルが主流だったとか
5世紀 中国で火薬の発明
7世紀 鐙がヨーロッパへ伝来した時期とされる
8世紀 大型馬の品種改良開始。重騎士は、これ以降
後年、補強的に板鎧を重ね着。ランス突撃への備えと思われる
9世紀 中国で銃のひな型が開発される
1077 カノッサの屈辱。教会権力の台頭
1096 第一回十字軍
イスラム教徒との戦いを経て、鎧の設計思想を見直し。
鎧下+可動部のみ鎖帷子、薄くなっても全体的にカバーする形式へ
一般的なプレートメイル時代の幕開け
1139 クロスボウ禁止令
もはや機械式を鎧で止めるのは不可能になった
14世紀 ヨーロッパでも溶鉄が可能に。大型な品物も制作可能へ
当然、鉄製品である鏃なども大量生産可能に
1326 ヨーロッパで大砲の祖先らしき痕跡
1346 クレシーの戦い。百年戦争勃発
騎士の時代が終わりを迎える。ロングボウ対クロスボウの戦い開始
設計変更を余儀なくされ、再び厚くなる方向へ
15世紀 全身甲冑制作の全盛期
ヨーロッパでも銃器の量産が可能に。おそらく日本の火縄銃レベル
1453 東ローマ帝国滅亡。中世の終わり
1508 マクシミリアン形式の由来となった皇帝が即位
1601 三銃士の世界観
§ 平均厚1ミリのプレートメイルに意味はあるのか?
これが最も理解されてないようです。
あるか無しかでいえば、凄くあります。
この厚みでは打撃で容易く折れ曲がるでしょうし、斬れたり貫かれたりもあり得るでしょう。
それでも致命傷とならなければ御の字です。
四肢がちょん切られたり、重要器官を損傷したりに比べれば、多少の傷は軽いとすらいえます。
防弾チョッキなどで多い勘違いなのですが、あれは弾丸の貫通を防ぐだけで、その衝撃までは殺せていません。
当然に衝撃――打撃へと変わったダメージは受けてしまいます。
しかし、それでも有用な防具として、様々な場面で散見が可能です。
なぜなら死亡確実のダメージを、負傷にまで軽減できるから。
現代の防刃服も、刃物によって斬られたり貫かれたりを防ぐのが主目的です。
それだけで十分以上の効果が見込めますし、完全に防ぐシステムは運用が現実的ではないからでもあります。
ゲーム的な観点で『無効にする』だとか『軽減する』、もしくは防具という言葉から『防ぐ』なんて考えるから、弾き返すようなイメージが強いのでしょう。
また、平均厚1ミリのプレートメイルが無意味であれば、チェインメイルも無用の長物となります。
刺突以外に対して、ほぼ同じ発想――斬り傷となるのだけは防ぐ装備なのに、通用しないということですから。
しかし、全世界で登用された実績ありますから、実はプレートメイルよりも信用できます。
……でなければ少なく見積もって二千年近く、全世界の人が勘違いをしていたのでしょう。
§ さらなる勘違い
これは作者自身が不勉強だったころを振り返って思ったことです。
チェイン < スケイル < プレート
のような強弱関係のイメージを持っていませんか?
さらには開発された順序も、同じものと?
しかし、紀元前の段階で全てが出揃ってますし、開発難易度も違います。
実のところ針金の生産は面倒臭い手順を踏むので、初期型プレートメイルやスケイルメイルより後の可能性が高いです!
※ 針金の作り方
棒状の鉄を、ギリギリ通らない程度の穴へ、力ずくで通して細くする。
穴を小さくしながら繰り返し、目的の太さな針金に。
鉄という物質は力による成型で強度を増すそうで、高品質の鉄入手にもなっていた可能性あり。
※ 打ち抜き式
薄い鉄板からドーナッツ状に鉄片を抜き出し、それを一旦切り開き、編んで鎖状とした。
しかし、溶かして型へ流すが可能な青銅の場合、この手法は取らなかったと思われる。つまり、鉄製で作る前提。
素材が青銅という前提、しかもTシャツ状のNOT全身鎧な場合、プレートメイルが最も簡単と思われます。
なぜなら型へ流すが可能だからです(これは本当に大きなアドバンテージ)
そして――
プレートメイル > チェインメイル
であるならば、数回の試作で終わったはずですが、実際はそうなっていません。
むしろ青銅から鉄への過渡期において、プレートメイルは低品質とされた可能性すらあります。
なぜなら鉄製のプレートメイルは、まだ制作不能で、自動的に青銅製となるからです。
※ 防具素材として青銅は、重い高い柔らかいと問題点が多いため
※ 過渡期の製鉄技術では大きなパーツを作れないので、鉄製のプレートメイルは不可能
……なぜプレートメイルがチェインメイルの上位互換と考えられているのでしょう?
§ チェインメイルの春 ~中世初期
チェインメイルは、未熟な技術で鉄製の鎧を作る方法論として優れていたとも考えられます。
なぜなら文明レベルの低い地域ほど、チェインメイルが主流になりやすいからです。
※
時代平均より優れた精鉄技術を持ち、文明レベルも高かった中国などでは、スケイルメイル――小札鎧が主流だとか。
ようするに「小札鎧を幾つか作る程度なら、どの文明でも可能だが、量産できるかは別」と思われる。
当時の中国なら鎖帷子と小札鎧の両方を比較検討できたので、この選択は興味深かったりも。
また、同時期の中東もスケイルメイルだったはず。
しかし、チェインメイルには、圧倒的な長所が一つあります。
それは全身鎧へ発展しやすいことです。
ようするに鉄で編んだ長袖シャツと長ズボンですから、複雑な造形は必要としません。
小札鎧では、全身鎧化に高い技術力が必須となってしまいます。
単純比較では小札鎧の方が刺突へも対応でき、性能的には優れていたとしても、チェインメイルが主流となりえそうです。
§ チェインメイルの発展型
結果としてヨーロッパでは鎧といったらチェインメイルとなり、その問題点を解消するのに亜種が生まれたと思われます。
技術の発展順序から逆算したら、そう推測できるからです。
チェインメイルを鉄板などで補強したスプリントメイルなどが、これに当たりますが――
性能向上は立証されていません。
よって各種ゲームで散見できる――
スプリントメイル > スケイルメイル
な図式も、無条件に認めることはできません(というよりも、歴史的な事実から逆と思われる)
さらにいうのであれば――
スプリントメイル > チェインメイル
すら疑わしいです。
一応は改良型といえるだろうが、確実ともいえないレベルでしょうか。
§ ランス突撃によるローカライズ
ヨーロッパは世界的にも、非常に珍しい発展をしました。
それは大型馬に重装鎧のまま跨り、騎乗戦闘を開始したことです。
ランス――突撃専用馬上槍なんて武器は、ヨーロッパにしか存在しません!
さらに騎士の人数――突撃するランサーの数が、戦争の勝敗を左右したのも事実らしく――
かなり特化した形跡が伺えます。
具体的にはチェインメイルに重ね着する、ランス突撃専用の追加装甲です。
これは後年のランサー専用プレートメイルへと発展したとか。
§ ガラパゴスからの変化
十字軍の戦訓を経て、ヨーロッパ人は鎧の基本設計を見直します。
スプリントメイル――鎖帷子を鉄板で補強した鎧も悪くはなかったのですが……明確な問題も浮き彫りとなったからです。
それは――
補強用の鉄板で隠れる鎖部分が、完全にデッドウェイトだった
という欠点です。
そもそも鉄板で補強して刺突にも対応可能としたければ、最初からチェインメイルを着なければ良いとも!
また、部分的に鉄板――急所だけ重点的に守るというのも意義が薄かったと思われます。
どこかへ厚い箇所を作るよりも、均一に――どこを斬られても機能する鎧が望ましい。
それが異教徒と本気の殺し合いをして得た戦訓だったようです。
結果、丈夫な布製で関節部分だけは鎖帷子状な鎧下という服の上へ、均一に鉄板を配した鎧――
プレートメイルの完成です。
これは実物を作者も触ったことがありますが、指で押したら凹む程度の厚さしかありません。
……1~2ミリの鉄板とは、そういう物ですし。
しかし、チェインメイル系主体から、プレートメイルという新機軸へ移った理由は良く分かりません。
小札鎧系は日本の戦国時代などでも採用されるほど、実績があるのですが……なぜ独自路線を選んだのか?
普通に敵国の鎧技術をパクるでも解消できたはずですが……この辺は、中東研究の遅れで謎のままに(苦笑)
また、実のところプレートメイルが合理的という論拠も存在しません。
§ クロスボウ禁止令
クロスボウ禁止令は有名ですが、鎧の変遷という観点では、たいした影響を与えていないように思えます。
あいかわらずヨーロッパ内での決戦戦術はランス突撃だったようですし、対応した変化もないようです。
むしろパイクなどのアンチ・ランス戦術が復古したほどでしょうか?
弓矢の研究でも述べましたが、まだ多くの矢を惜しげもなく使い捨てられる時代でもなく……命中したら諦める程度の感覚だったのではないかと思われます。
これは乱暴でも何でもない見解です。
「もしライフル弾で撃たれたらどうしますか?」
「撃たれないように立ち振る舞う。もしくは神に祈る」
であり、無効化できない攻撃方法の方が多いんですから!
§ クレシーの戦い
この戦いで黒太子はロングボウの性能で勝ったとされますが……いくつも疑問はあります。
まず、それ以前からロングボウは実在したし、軍事利用もされていたことです。
ある日から突然、その威力を発揮しはじめたかのように語られますが……どうにも奇妙に思えます。
ロングボウの採用自体が理由であれば、数百年前から実現可能であり、それこそロングボウ部隊が編成された時点で起きてなければ辻褄が合いません。
また、ほぼコンパチと見做せる和弓では、その存在が勝因とされるような戦争は起きませんでした。
読み物などでは指揮官の黒太子が、不文律的に守られてきた騎士道精神を踏みにじったなどと描かれますけれど……それもおかしな話です。
確かに前もって人質の確保を禁じていたりで――
その戦争に勝つ確信があったようだけど、それ自体は理由とならない
と作者などは思う訳です。
仮に指揮官から、こんな風にいわれたとします。
「いままで俺達は、いちいち人質を取っていたから勝てなかったのだ。明日は禁止するぞ。これで勝利まちがいなしだ」
聞かされてほとんどの配下は、首を捻るのではないでしょうか?
確かに人質を取らなければ、その分だけ捗りますが、勝利を約束とまではいかないでしょう。
人質を取るリターンとの兼ね合いにもなりますし、説得には骨が折れそうです。
そして周りを納得させられなければ、どんな君主も作戦を推し進められはしません。
ここで想像するのが――
「なぜ矢を十万本しか買わないのだ?」
「十万本もあれば足りるからでございます。最近は高炉がどうとやらで、矢も安くなって助かっておるのです」
「それだ! どうして安くなったのなら、たくさん買わないのだ?」
「へ!?」
「次の戦では百万本の矢を持ち込む! 通常の十倍量を射かけてやるのだ!」
なんて流れです。
そして頭の固い老人であろうと説得できます。
なぜなら目の前に大量の矢がある訳だし、とりあえず「若の作戦が済んでから考えてもええか」と落ち着くからです。
また、その前提なら人質禁止も理解可能でしょう。そんなことしてたらチャンスを失いますし。
そして時代の変化にいち早く気付いた指導者が、新しい常識を打ち立てるのはよくある話。
むしろ、そうでなければ改革者たりえません。
さらに時代が変わった理由にもなります。
こちらが可能なことは、相手も可能なわけで……ロングボウ対クロスボウの時代が幕開けです。
時代が変わった理由はともかく、プレートメイルは再びの変化を模索しはじめまたそうです。
クロスボウに撃ち抜かれる事実よりも、その攻撃回数が多くなることの方が脅威だったのでしょう。
また戦争が形態変化した理由と同じく、高炉の発明――鉄を溶かす技術の確立も大きな理由の一つと思われます。
これにより大きなパーツも型へ流して成型が可能になりますから。
それ以前はハンマーで叩いて成型なはずで、そもそも熱する必要性からパーツの容積も制限されたりと、なかなか大変だったようです。
§ 全身甲冑
全身甲冑が作られたのは、ひどく単純な理由と思われます。
新しい製造方法が可能となれば、既存兵器は必ず再検討される
からでしょう。
そして時代は矢戦の最盛期であり、間の悪いことに銃器すら量産が開始されています。
クロスボウや銃器に対抗しうる防護服の開発に注力も当然でしょう。
まあ結論からいえば、実現は不可能でした。
クロスボウや銃器に対抗できるようにすると、残念なことに運動性能が落ち過ぎてしまうのです。
最終的には、それなりの防刃服として完成しましたが、それも近世へ入ってからだったりも。
まあ発想的に必要な研究でしたし、無理と判るのも貴重な成果です。
☆ 総論
全身甲冑は千年続いた中世で、最後の百年に研究されてただけ
§ 20kg過重という大変さ
この手の話をすると、決まって――
「20kgの鎧とか楽ショー!」
「普通に動けた!」
「平気だって!」
と言い出す人が多くて困ります。
納得できないのなら納得できないとして、読むのを止めれば良いのです。人の話を聞く気がないのでしょうから。
まず20kg過重であっても、人はまともに動けなくなります。
論拠は――
むこうの研究家は、実物を使って比較実験しているから
です。
アスレチックコース――米兵が訓練で走るようなあれ――を未装備、20kgの鎧装備、消防士の防火服フル装備で走る比較検証動画を拝見しましたが――
結果として鎧装備は最も遅く、未装備の倍ほど時間が必要でした
梯子も登れるし、堀も渡れるし、壁もよじ登れるけれど、その移動速度は通常時の半分ということです。
また、そのパフォーマンスは防火服を着て酸素ボンベ背負った消防士さんより低く。
違う言い方をするのであれば、100メートル15秒で走れる者でも、鎧を着たら30秒かかるのです。
よく「鎧を着ても戦闘できた」とご意見を頂きます。
そうだと思いますよ。作者も似たような動画チェックしてますし。
でもね? 相手も同じ鎧着てたら、比較の意味ないでしょ!
§ 20kg過重という大変さ――その2
「普通に動けた」
という言葉の意味を、分かりやすく解説します。
まず男性は体脂肪が15%ぐらいが普通とされます。
これだとギリギリ腹筋が確認できる程度でしょうか?
アスリートだと太り気味の部類となりますが、一般人だとそれなりに絞り込んでる感じです。
体重が70kgだった場合、脂肪の重さは10.5kgとなります。
この人物が20kgの鎧を装備した場合、総重量が90kgです。
疑似的な体脂肪率を算出すると――
(10.5+20)÷90=0.338……
なんと体脂肪率が33.8%に相当!
大体の目安で――
体脂肪率20%で一般人
25%で小太り
30%で太っている
35%で肥満
40%で病的。テレビのデブタレントレベル
だったりします。
よって20kgの鎧を着ても普通に動けたとは――
「俺、体脂肪率33%のデブだけど、超機敏に動けっから」
と同意です。
こちらとしても「はぁ」としか返しようがありません。
体脂肪率33%のデブとデブが互角に戦ったからって、それを以て何を悟れというのでしょう?
ちなみに同じ条件で鎧が30kgだと体脂肪率40.5%。40kgだと45.9%です。
……常々、20kg超の鎧について言及しないのは、ほぼ意味ないからだったりも。
§ 着こむと楽だ
そんな訳ありません。
どのように保持しても重さに変わりないからです。
それを手で持とうと、服だろうと、鎧だろうと、その足で支えているのであれば違いはありません。
しかし、これをどうしても納得されない方がいます。
聞き込みを続けると――
「手で持ったら大変だったのに、背負ったら楽だったから」
と返答が。
そりゃそうだ! その通りだもの! 背負ったら、手は楽になるよ!
何かを手で持っている場合、その人物は――
手で物を持つ運動 + 身体全体で物を支える運動
を同時にしています。
そこで手で持つのを止めれば――
身体全体で物を支える運動
だけとなり、楽になります。余計な運動を止めたんですから、当然ですね。
でも、だからといって――
身体全体で物を支える運動 = ゼロ
とはならないでしょ!
§ 新しい気付きへ
この一連の流れが、作者に閃きを。
「なぜ日本の鎧武者は、盾を使わないのか?」という、そこそこ検討され続ける命題への答えです。
体脂肪率10%のボクサーが、稲妻のようなパンチを繰り出した
なにも不思議に思われないでしょう。
しかし――
体脂肪率35%の肥満者が、稲妻のようなパンチを繰り出した
と聞けば、なにかおかしいと首を捻られるはずです。
そして、その疑問は正しかったりします。
ボクシングはもちろん、ほとんどの格闘技ではステップインしながらの攻撃です。
なぜなら移動を伴わない攻撃では、相手へ届かないから。
ほとんどの技が移動しながらとなるのは、必要だからです。
つまり、攻撃速度と移動速度は限りなく近いものとなります。
そして20kg過重で移動速度が半減ですから、攻撃速度も半減となり――
0.2秒以内の見てからでは対処できなかった攻撃も、0.2秒以上掛かるようになり、見てから対応も可能
となってしまいます。
これだけで詰みとまでは言えませんが……同じ技量の敵と戦うのは絶望的です。
そして格闘技だけでなくフェンシングや剣道などの片手武器を扱う武術も、その主力は移動しながらの攻撃です。
同じように重い鎧を着たら攻撃速度が激減し、修めた技術の半分以上は使用不能となるでしょう。
ここで盾装備へ話を戻すと、それは片手武器を選んだということで……この理屈が自動的に適用され、戦う前から不利となります。
その選択自体がナンセンスだったのです。
しかし、両手持ちの武器――特に槍などの長柄武器は、移動しながらの攻撃が必須ではありません。
それをやらなくても攻撃は届くからです。
さらにステップの速度を加算しなくても、テコの原理で0.2秒以内の攻撃速度
を叩きだせます。
……というか管槍まで考えたら、『突く』という攻撃方法が特別に速いとも。
逆説的に――
重い鎧を着るのであれば、両手持ち武器しかありえない
といえるでしょう。
§ じゃあ無駄なのか?
この手の考察を発表すると、かならず鎧不要論と勘違いされますが、そのようなことは言っておりません。
ただ――
「どうやら我々の考えているのと用法が大きく異なるようだぞ?」
と述べているだけです。
つまり――
中世の軍団が来たぞ! ほぼ全員が全身甲冑だ!
なんて表現が漫画などでよくあるけれど、あれは大きな間違いといっているだけです。
もし全身甲冑な一万人の兵隊が攻めてきたら、最悪、走って逃げれば解決します。
なぜなら相手は移動速度が半減以下ですから、子供や老人ですら追いつかれることはありません。
逃げ惑う女子供を追いまわして虐殺する全身甲冑の兵士とか、実際は不可能な話です。
というか以前にも言いましたが――
一万人分の全身甲冑があれば、それだけで莫大な金額となってしまい、当然に戦争する理由もなくなる
だったりします。
もしくは全身甲冑だらけの軍隊とは、現代で例えると――
敵軍! 戦車だけです! 戦車だけが1万両きました!
みたいな頭のおかしい人達といわざるを得ません。
戦車は強いし、戦争には必須だったのでしょう。だからって戦車だけ揃えても駄目です。
とにかく移動速度が遅いのですから、それを他の兵種でフォローしなければなりません。
実際、中世の重装歩兵などは、金属鎧を着てないケースの方が多かったりします。
なぜなら大きな盾と長めの片手槍だけで、かなりの重量となるからです。
というか20kg過重ですら厳しいのですから……鎧だけで10kgぐらいが現実的な話と思われます。武器も軽くはありませんし。
そして軍馬の時にも言及しましたが……ヨーロッパ以外は大型馬に乗っていませんし、中間種の馬では耐え切れなくなるんですよね。
かといって歩兵の前提であれば、より重量は大きな足枷となりますし、資金のない兵隊が金属鎧という矛盾にもなります。
§ 日常的な異常
しかし、この推察が正しいと『日常的に甲冑を着ている冒険者』などは、精神異常レベルと言わざるを得ません。
可能かどうか疑問ですが、現代日本で例えると――
日常の足として戦車を乗り回している人
に相当すると思われます。
ミリオタが拗れてジープに乗っているとかでなく、意味不明に戦車!
これは全身甲冑が、戦争用の兵器にカテゴライズが正しいと思われるからです。
そして個人レベルの闘争において「相手が付き合ってくれた場合のみ機能する」という性質を持っています。
仮に路上で戦車乗りにバトル?を挑まれたと考えてみてください。
作者なら全力で逃げます。どうして付き合わなきゃならないんでしょう?
プレートメイルを着た野盗とか、やる気あるのかと説教の必要すら!?
また「中世の関所にプレートメイル姿の兵士が――」なんてのも、それだけで異常な国と受け取らねばなりません。
戦時下なの? 国境沿いに戦車があるとか……戦争間近なの?
そして日常業務中なのにプレートメイル姿な騎士様もおかしいです。
貴方は防火服で書類仕事している消防士さんを見たことがありますか?
万が一に備えて待機としても、火事が起きた時にはヘロヘロで使い物にならなくなっているでしょう。
誰にでも理解できる事実なのに、なぜか全身甲冑なら平気と考えるのです!
§ なろうメタル
また、どうして作者が研究しているのかも理解されないことが。
全ては――
読者を上手に騙すため
に他なりません。
仮に主人公達が日常的に鎧姿な物語をやりたければ、その素材を鉄としたら駄目と理解しておく必要があります!
現実的な20kg未満のプレートメイルでは、ほとんどの読者が納得しないでしょうし。
……むしろチェインメイルの方が、しっくりまである?
かといって全身甲冑――中世末期から近世にかけてのフルプレートメイルでは、その運用に無理があり過ぎます。
では、どうするか?
メジャーなところでドラクエなどは、上手い逃げ方していると思います。
青銅の鎧や鉄の鎧なども出しつつ、その上位互換にブルーメタルという架空金属があり、それらは鉄より強くて軽いと裏設定があるそうです。
主人公達の鎧は鉄製品じゃないから、そこまで重くなかったんですね。
このようにファンタジーであれば、架空金属だっていいでしょう。
むしろ設定されている方が、ごちゃごちゃ考えずに済むまであります。
もっと安直に軽量化の魔法とかでもOKでしょう。
大事なのは読者が感じるリアリティであり、それを定義するのは作者側の知識で、つまりは研究と勉強です。
どうしても作中で全身甲冑を常用させたければ、それは『なろうメタル製』とでもすりゃいいんです。
なのに鉄でできた厚さ1センチの全身甲冑とかやっちゃうから、読者が萎える結果となります。
現物の相場や限界も知らず、凄いアイテムを定義できるはずもありません。
※
以前、厚さ1センチの全身甲冑を思考実験しましたが、とても『剣と魔法の世界』になりそうもありませんでした。
最大でも重量が鉄の1/3程度まで。それなりに貴重で量の確保も至難。
また、オーラやら気で強化した攻撃があり、完全防御には程遠い。
とでもしとかないと、すぐに『無敵アーマー同士による終わらないボクシング』が開始されちゃいます。
やはり――
攻撃方法 >> 防御手段
は必要悪でも守るべきなようです。
§ 刀が象徴であるように、プレートメイルも象徴である?
侍の物語から刀を取り上げたら、なんたが締まらないし魅力もなくなるでしょう。
同じように中世ファンタジーにおいて、プレートメイルは最強である必要があるのだと思います。
しかし――
それって西洋人的偏見が多く含まれているからね?
結局のところ、プレートメイルがチェインメイルより優れている証拠は見つかりませんでした。
(理論的に考えてプレートメイルの方が優良と思われる。が、対重量効果まで考えると?)
さらに小札鎧――スケイルメイルがプレートメイルに劣る理由もです。
(ヨーロッパより進んでいた文明――中東や中国がプレートメイルに移行しなかった点から、大きな差はない可能性すらある)
そして鎧というシステムそのものが、どこまでいってもシートベルトです。
某ロリコンでマザコンの人も言ってました。「当たらなければ、どうということはない」と!
さらに検証系――実際に戦ってみよう系実験では、攻撃は避けるか手に持った武器で受けるべきと結論でつつあります。
……というか基本的に身体へ攻撃喰らったら重症or死亡であり、鎧を着ているとワンチャンス残っている程度な可能性すら?
それらの攻撃に晒されるのすら非常に稀といえます。
一回の戦争で実際に鎧へ命中するケースというのは、現代の我々が考えるよりずっと少ない可能性があるのです。
なぜなら中世の戦争では、意外と死なないから!
死亡率10%ぐらいで激戦ですから、死に至るような攻撃へ晒される回数も少ない必要があります。
鎧が効果しまくりとかでも良いのですが……「じゃあ、満足な鎧も着れない雑兵は? 鎧を着てない=死亡確定?」となってしまいますし。
仮に平均致命率が10%――十回攻撃したら一人死ぬ計算。弓での考察時に、これでも異常な高さと判明済み――で死亡率10%な激戦を考えても、一人当たりの被攻撃回数は一回だけです。
というか中世の戦争は、現代の我々が考える10倍ぐらいのんびりしているというか……お互いに睨みあっている時間の長い可能性が非常に高そう。
そもそも何発もの攻撃を受けるという段階で、かなりゲーム的な世界観といわねばならないでしょう。
現実では一回か二回の命中について争っていて、弾き返せるほどの防御力よりは、戦闘能力が落ちない軽さの方が有益な可能性すら。
§ それでも殴り合いたい場合
もはや描写の匙加減な気もしますが、ファンタジックな世界では方法論があると思います。
それは非常に一般的となった――
誰でも生まれながらに自然とオーラで身を守っている
な設定です。
というよりも、これを導入しないと攻撃魔法のある世界は歪つになると思います。
例えば『炎の嵐』系魔法は、抵抗の余地なく即死な魔法です。
まず、ほんの僅かでも肺が焼かれたら――炎や熱気を吸い込んでしまったら死亡確定します。
そして肺がやられなくとも、『炎の嵐』系魔法は周囲の酸素を使い切ってしまうので窒息です。
実のところ動物は、異常な酸素濃度の空気で即座に昏倒してしまいます。
「酸素のない地下室へ顔を突っ込んだだけで気絶」などの事故例もあり、一秒にも満たない時間――一呼吸するだけでアウトです。
さらに一定以上の面積を火傷したら、やはり死亡となります。皮膚呼吸が不可能となりますから。
しかし、この様な科学に基づいた結果の適用が、ふさわしくない作品もあります。
そうであるならば、基本的に全生命体はオーラによる最低限度の自動防御をしているとし――
ほぼ全ての攻撃結果は、攻撃側のオーラ量で決まる
とすりゃいいのです。
「『炎の嵐』は炎を媒介にしているだけで、火によるダメージではなく、あくまでもオーラによるダメージだ」
という理屈ですね。
これなら――
「常識範囲の電撃だったら、金属鎧で止められるぞ?」
などと主張する作者みたいな奴を黙らさせれる訳です。
「電気は媒介してるだけで、属性付与もされるけど、そのものじゃないから。それじゃオーラ分は防げないから」
という世界観ですね。
(優れた使い手は、相手に自分の必殺技を使われた時に備え、その破り方も編み出しておくのだ! ……みたいな?)
そして鎧なども――
「鎧が硬いから防いでいるんじゃなくて、あくまでもオーラ媒介の手助けしてるだけ。重要なのは防御側が込めたオーラー量」
とすりゃ、ごちゃごちゃした理屈はすべて無視できます。
ただ、究極的に『ゴンさん』対『ゴンさん』となってしまうので、どこかで制限した方が無難かな?
オーラと物理法則、道具類が均等なウェイトを占める程度が理想?
やはり一般的な物理法則が通じれば通じるほど、読者の没入感を深くできます。
何でもかんでも不思議パワーじゃ、飽きるというか……萎えるというか。
§ まとめ
個人的には研究が進み、当初より理解が深まって満足だったりも。
なんでも勉強してみるもんです。
ただ、これでも納得しない人はいるんだろうなぁ(苦笑)
ぶっちゃけね、日本の漫画とか「ロボット描きたくてしょうがない人達がデザインしたのを踏襲しているから、どれもこれもパワードスーツみたいになっている」のですよ?
さらに少年漫画などで超人ばかり登場するものだから、金メダルレベルなアスリートが雑魚扱いされたりも。
またゲームなどで『当たっても防ぐ道具』として描写しちゃってるから、それが再現できなかったら嘘にしか思えないのでしょう。
なので――
パワードスーツみたいな鎧で、ゲームのように何発も耐えれて、何十kgの重さだろうと苦にもならない
そんなイメージで定着しちゃった人達は、一から十まで納得できないのだろうと思います。
フィクションとしてなら、それでもいいのですが……原材料な知識としては、不適切でしょう。
読者の眼は肥えていく一方ですから、変に揚げ足とられるより、勉強してしまった方が無難と思っています。
しかし、絶対厳守のルールでもありません。
ようするに――
この見解もまた、数ある解釈のうち一つということです!
そして――
納得できた部分だけ、お認めになられればいいじゃない!