コキュートス
『……きろ』
揺さぶられた事に気づいてぼんやり目を開く。
『起きろ』
「ああ?」
気がついたら寝ていたらしい。男が起こしてくれたみたいだった。
「到着だ、誤解が起きる前に手放せ」
「へ?」
あれからスカーの椅子にされた事は覚えてる。先にスカーが寝たことも。
俺も釣られるように寝てしまった。
そして、このままスカーを抱き枕のように抱いている。
露骨に胸を鷲掴みにして。
「うわ、なんて揉み心地なんだ……!」
「起きたらどうなるのかわからん、早くしろ」
爆弾を処理するような言い方だがその通りだ!
まずは体を少し起こす、慎重にな。
「ん……」
起きないでくれ!
……セーフ。
抱えたスカーを座席に寝かせた。スカーだけなら膝を曲げさせてギリギリ寝かせれる。
よし、完璧だな!
一大事を乗り越えて汗を拭っていると。
「ひとつ聞きたい」
「遠慮なく聞いてくれ」
『どうしてうつ伏せなんだ?』
「はっ……」
言われてみればそうだ、ふつう女の子をうつ伏せにするか?
しかもこんな窮屈なスペースで膝曲げさせてるのに?
しないだろ。童貞でもしない。
俺は童貞以下なのか!
「直すわ」
「直すより起こしてやってくれ」
「ここは直してから起こした方が印象がいいはずだ」
「かもしれないが……」
俺は肩を優しく掴んで仰向けにした。
スカーが目をパチパチさせて俺を見る。
「お、起きたのか?」
あまり宜しくない状況に指先が冷えていくのを感じる。
それは受け側の俺も同じで。
『引くわ……オレが童貞なのは知ってたけど……寝てる時も油断ならねえとは!』
完全な誤解です。
「だから言っただろう?」
「あの人も止めてたのにオレって奴は!」
本当に俺って奴はどうなってんだろう。
俺なら俺の事情を分かって欲しいんだが。
「そういうことでいいです」
それは無理か。
「やっぱりな」
「話はついたようだな」
男は馬車から降りて大きな門の前を指差した。
「アレがコキュートス王国であり、目的地だ」
振り返りもせずに歩き始めると。
『ついてこい』
とだけ言って先に行き始めた。
「待ってくれ!」
俺達は急いで背中を追いかけた。
門の前に立ってみるとエオルアとは大きさが違うことが分かる。
めちゃくちゃ大きい。
「なんで閉められているんだ?」
RPGゲームとかではいつでも開きっぱなしで入り放題だった。
俺から見れば少し不思議だ。
「敵に入られたら困るだろう?」
入ってくる人よりも来て欲しくない敵の方が多いってことか。
今は居ないが、この辺りもそのうち悪い奴が取り囲むのかな。
そんな話をしていると門が下がり始める。
これくらい大きいと開けるという概念はないらしい。
歯車を回す音がしばらく響き、段々と全貌が見えてきた。
中はとても明るい色が広がっていて楽しそうな声が耳に届き始める。
『お待ちしておりました』
門が下がりきる。そこには鎧を着た女性が何十人も居て、先頭に立つリーダーが俺達に歓迎の言葉を述べる。
『礼を言おう、ローザ』
みんな美人で刺激が強いな。
「いえいえ。お入りください」
ローザと言われた人は首を横に振る。
『いずれは手合わせ願いたいモノだ……』
男に続いて恐る恐る入ってみると、そこはお祭り騒ぎだった。
屋台がズラズラ並んで道の真ん中で何かの芸をしている人がいる。
「すげえ」
「レベルが違うな……」
これが本当の人だらけ。顔が毛むくじゃらの奴も居た。
「楽しみたいところではあるが。まずは試験を受けてからだ」
見ていきたい俺達の背中を押しながら、男は事前知識を教えてくれる。
『アスタロト・アカデミーは魔力を測ったら実技試験のみだ』
「実技ってどんなの?」
「最低限の魔法作用を問うモノが一つ出される」
男は『例えば』と言って話を続ける。
『火を打ち消すにはどうしたらいいか?』
『氷の壁をどうやって超える?』
「そんなレベルだ」
火を消すには水で氷を超えるなら火で溶かしてもいいのか。
「簡単じゃねえか」
「入るだけならそうだ」
「入れたらいいじゃん」
「そこから生徒同士で実力主義の戦いがテストとして組まれている」
賄賂とかで解決できないのか!
「なんだと」
「一騎打ち、集団戦、他にもある」
思った以上に過酷な戦いが強いられそうだ。
「なに、最低限の魔力があれば勝機はある」
「最低限って?」
「初歩の初歩、炎を灯せる程度の事だ」
男は手のひらを上に向ける。
そこには真っ赤に揺らめくモノが広がっていた。
微かに感じる熱が嫌に俺の冷や汗を誘う。
いや、まさか? 嫌な予感がするぞ。
「おーできたできた」
俺の気持ちをよそにスカーの喜ぶ声が耳を掠める。
「えっ?」
手を差し出す彼女は「簡単だな」って言う。
「じゃあ俺もする」
炎よ出てこい。
……うおおおおお!!
心の中で雄叫びを上げながら、右手に魔力を集中させるっ!
力を込めた手の血管がバキバキに浮き上がる!
「…………あれ?」
なんかおかしいな? 俺の手が真っ赤に燃えてねえ。
「さすがだな! 不器用なのは女だけじゃなくて自分にもか!」
「ちげーよ!」
自分を虐めて何が楽しいんだこいつ。
「まあ守ってやるよ、女のオレがな」
「ぐっ!」
視界が涙で滲みそう、助けてくれよ。
助けを求めて男を見てみた。
「…………」
なんも言ってくれねえ。
それからしばらく歩き、試験会場に着いた。
辺りには俺達と似たような若いヤツが沢山居る。
なんというか、第一印象がもう決まった。
「でけえな……」
「デカすぎだろ」
とにかく大きい建物で、俺達は揃ってあんぐり。
『ついてこい』
それからは並んで男が紙に羽根のペンを走らせたりしていた。
途中で俺とスカーだけ別の列に並ぶ。
魔力を図るらしく、後ろの若者が何か話している。
「知ってるか? 魔力って控えめに出すんだぜ」
「なんでや?」
「実力を見せたら勝てなくなるんだぜ!」
……良い事を聞いた。
それはスカーも同じらしい。
「一千……次の方どうぞ」
順番が近づき、スカーが不思議な絵の上に手を置く。
どうやら魔力を測れる装置らしい。
しばらくすると何かを記しているお姉さんが青ざめる。
『い、一万!?』
控えめな数値が多いのに十倍は確かにおかしい。
見栄を貼りすぎたな、スカー。
そして俺の順番が回ってくる。
保険として指輪を付けている方の手を祈りながら置く。
俺は謙虚に生きたいから、力は抑えなきゃな!
『……ッ!?』
お姉さんは異常事態に小さな画面と俺を交互に見ている。
やっぱり、抑えきれなかったみたいだ。
平和な日常は無理だろうな。
『ありえない……こんなに低いなんて……』