知らないこと
俺達は廊下を歩いていた。
時々、すれ違った人が振り返ってくる。
『愉悦で仕方ない』
何が愉悦なのか分からないが、俺はそんなに愉悦ではない。
「テストの前に学食を」
廊下を曲がってしばらく歩く。
「……俺を外に連れ出していいのか?」
「最初はあの人に嫌がる事をするつもりだったけど」
サラの空いた手が俺の手に触れる。
「今は違う」
「違うのか?」
「そのうち分かります」
食堂に入ると小さな列に並ぶ。
カウンターの奥では数人の男が白い服を着て忙しなく動いている。
順番がサラに回ると。
『いつもの』
と言って俺の手を引っ張る。
「いつものってなんだよ」
「私のいつものです」
「俺はいつもじゃないんだけど」
「問題ないです」
近くのテーブル席に座り、サラが向かい合うようにイスに座った。
食堂なだけに、ここは広くてテーブルの数も多い。
白い塗装がされた清潔な空間だが、向こうの壁一面は黒く焦げている。
「なんだあれ?」
「魔法の火が食堂で暴走した時がありまして」
なるほどなあ。
うんうん頷いていると『私がやったけどね』と言った。
「犯人かよ」
「アラスに命令されたから、食堂でバトったの」
俺の時みたいにか。こんな所で戦うなんてはた迷惑だな。
「もうするなよ」
「ええ、リュウキくんを殺せてない時点でアラスは私を切ってる」
そうなると次はサラが危ない。殺しを命令してくる奴だから、サラの殺しを頼むかもしれない。
「そろそろできるので待っててください」
席を立ったサラがカウンターに戻るとおぼんを二つ持って帰ってきた。
テーブルにカタリと置き、俺の隣に座り直す。
「本当にいつものなのか?」
おぼんはそれぞれ異なる定食で、白米とおかずとおかず。
これをいつも一人で食べてるのか!
「楽しみがこれしかなくて」
「俺も食べることは好きだよ」
「なら良かった」
サラがテーブルに束ねられた木を取り、割れ目に沿ってパキッと割る。
割り箸ってこの世界にもあるんだな。
「では、どうぞ」
割ってくれた箸を受け取って俺の前に並べられた定食に視線を落とす。
甘そうな匂いが絡められた肉類を摘んで口に含む。
食べたことがない食感の肉だな、味は普通に生姜焼きって感じがする。
この世界は肉の種類が多い。
「どうですか?」
「いける」
「そうでしょう、食べ放題なので遠慮なく」
この甘さが白米と合う。和食にまた再会できたのは嬉しい。
今度から学食にしよっと。
「口を開けて」
サラを見てみると揚げ物を箸で持ち上げて待っていた。
「そんな大きいサイズは冷ましてくれよ」
「なるほど、あなたも猫舌と?」
「大きいと辛いじゃん」
「小さくしてあげる」
サラはそのまま揚げ物を半分パクッと食べるとモサモサ口を動かす。
半月状に切り取られた揚げ物の断面から、肉類だと分かる。
「はい、あーん」
こんな堂々と間接キスを受け取る日が来るとは!
「あーん」
受け取った俺はサクサクの衣と一緒に肉を嚙み切る。
油の甘味を舌で感じながら、飲み込む。
「どう?」
「おいしいよ」
「あなたのおかずも」
サラはそんなに間接キスとか考えてないらしい。
『ああ、その……猫舌なので口移しで冷まして頂けると』
本当に考えてないのか?
「口移し?」
「前に食堂で口移しで食べ合うカップルを見たんだけど、おかしいかな?」
俺はおかしいと思う。
「ふ、普通だぞ? 当たり前のことだなうん」
ただ、サラには純粋であって欲しいのだ。
「やっぱり!」
「でも他の人としちゃいけないぞ」
「もちろん」
口に肉を含んで、周りを見る。
顔を近づけるとサラは口を開いた。
舌に乗せた肉を転がすように口内へ落とし込む。
蒸れた空間から舌を生還させると、目を閉じていたサラがゆっくり噛み始める。
サラの喉がごくりと鳴った。
「どうだ」
「あなたの味みたい」
「肉の味なくなってるじゃん」
「いえ、ちゃんと甘辛い味の後にあなたが」
そう言って『もう一回』と口移しをねだってきた。
「今度はもっとたくさん……」
「はいはい」
それから何度か口に含んだ食べ物を移した。
一瞬、俺は何をしているのか見失いそうになったが、無事です。
「おかわりはしますか?」
半分ほどサラの胃に収まった定食に箸を置いて席を立つ。
食べ終えておかわりを望めるほど俺は大食漢じゃない。
「しないよ」
「リュウキくんが言うなら」
最後の揚げ物を口に詰め込むとガタリと立った。
サラについて行き、食べ終えたおぼんを専用のスペースに置いて食堂を出る。
「手を繋ぎましょう」
「……」
「嫌、ですか?」
「ぼーっとしてた」
手を握ってサラと目が合う。
曇り一つない真っ黒な瞳。
「…………」
吸い込まれてしまいそうなほど、俺には魅力的に映る。
「綺麗な目だな」
「初めて言われました」
「……かわいいよ」
「それも初めてです」
初めてばっかりじゃねえか!
その間に教室に着き、決心して中に入る。
周りを見ると既にカロンが居て、もちろんスカーも見えた。
『あっ』
スカーは俺に気づいた。
『あうぅ……』
そしてサラと繋がっている俺の手を見つめる。
『なんでぇ』
そう言ってスカーはポロポロと泣き出した。