現実とはかけ離れた世界
ここはどこだろうか。
少年は夢の中のような感覚の暗闇にいた。足がついていないような、自分の意思では動かせない感覚だ。それでも痛覚はハッキリと突き刺すような頭の痛みを訴えている。少年はぼんやりと思い出した。
そうだった。おれは……電車に凛音と一緒に轢かれて。死んだんだろうか。当たり前だよな。あの勢いの通過列車にぶち当たったんだ。無事で済むはずがない。……凛音はどこだろう。どこにもいない。一緒に死んだからって同じところに行けるわけじゃないんだな。悔しいなぁ。告白する前に死んじゃうなんて、悔いしか残ってないや。
少年の脳裏には最後の光景が鮮明に思い出されていた。大好きな人の最後の表情。周りの悲鳴。列車の灯で目が暗み、そこで記憶はブラックアウトしている。
ここは、死んだ後の世界なのかな。暗くて誰もいない、寂しい所なんだなここって。でも、死んだのになんでだろう。怖さとか何も感じない、むしろ柔らかくて暖かいような……
「いい夢は見られてるかな?」
どこからか声がした。聞いたことの無い声だ。
あれ、これっていつもお母さんに朝起こされるみたいな……
少年は夢から覚めるようにして、目を開けた。
〇…………………………………………………………〇
「おはよぉ、ぼうや」
目覚めと共に声をかけられた相馬は理解が追いついていなかった。なぜなら、死んだはずの自分が今はっきりと四肢の感覚があり、体は熱を持って冷たくなんかなっていない。むしろ毛布をかけられて温められている。声の主の膝枕付きで。
目を開けるとそこに見えたのは見たこともないくらい大きな胸越しの女性の顔だった。わあっ!と大きな声を上げて飛び起きてしまった。状況が飲み込めないが、ここが死んだ後の世界なのか?いや、これって生きてるのと同じじゃないだろうか。むしろラッキー……じゃなくて。この人もどっかで死んだからここにいるのかな。わかんねぇ。
相馬は情報でぐちゃぐちゃになっている頭をフル回転させて考える。周りを見回すと、小さな正方形の部屋に小窓が二つと長めの腰掛けがある。その腰掛けに座った女性は、驚いた様子で相馬を見つめている。
「どうしたの?私の膝枕は嫌だったかなぁ」
女の人は指先でぷにぷにと自分の太ももをつつく仕草をする。
「いや、それはよかったんですが」
本音が出てしまい口ごもった。落ち着け、まずは聞くことがあるだろうが。
「あの、こちらはどちらでしょうか……?」
言葉使いがおかしくなってしまったが、とりあえずはここがどこかって確認をしなきゃだ。ふわふわと喋るこの人の格好……黒色でてっぺんの尖った長つば帽子から伸びる紫がかったロングヘア。帽子と同じ色のよれよれのドレス、胸のところだけやけにはだけていて、太ももから腰の当たりまでスリットが入った挑発的な衣服だ。はっきり言って目のやり場がない。ただ、その見た目はおとぎ話に出てくる魔法使いそのものの様な。コスプレしたまま亡くなった……とか。
「ここなら、馬車の中よぉ?ぼうや、ぐっすり寝てたから分からなかったんでしょうけど、んふふふ」
魔法使い風の女の人はふんわりとした笑みを浮かべて自身の膝下から俺を舐めまわすように見てきた。妖艶な雰囲気のある人だ。先程からこの個室の窓の外が真っ暗なままだったから分からなかったが、そう言えば揺れている。外が夜ってことは、どうやらあまり時間は経ってないみたいだ。
「あんな森の中に一人で倒れていたら、野獣にでも食べられちゃってたかもねぇ」
女の人は小窓の外に視線を移してじっと見つめている。
「森の中に倒れていたんですか……?」
ますます分からなくなってきた。なんで俺は死んだのにどこぞの森の中に倒れていて、このコスプレの女の人と二人きりで馬車に乗っているんだ。ここが死んだ後の世界ならはっきりと聞いてみよう。
「あの、僕は電車に轢かれて死んだはずなんですけど……」
「でんしゃ?それがなにかは知らないけれど、轢かれちゃって死ぬようなものなのかしら」
あれ、おかしい。電車なんて一般人はみんな知ってるはずなんだけど。どこぞで死んだお偉いさんなのかな。
「そりゃ死にますよ!あんな大きな乗り物に直撃したんです。女の子と一緒に!」
「見たことない乗り物だけど、実際今ぼうやはいま生きてるじゃなぁい。女の子と一緒だったのね、彼女さんかしらぁ?辺りには居なかったみたいだけど、どこかに行っちゃったのかしらねぇ」
生きている…そう言えば、そうだ。当たり前だからわかっていなかったけど、確実に死んだって覚えがあるのに俺のこの感覚は完全に生きている時と同じ。どうして……生きている。もしかすると、これが死んだ後の世界って言うのなら凛音も生きているんだろうか。でも、この人の話ぶりからは"この世界"に生きている人として話されている……。頭が混乱してきた。
「お悩みのところ悪いんだけど、わたしからも質問いいかしらぁ?」
はっ、として相馬はどうぞ。と答える。
「どうしてそんな寒い格好で”あそこ”に倒れていたのかな」
彼女の声色と顔つきが張り詰めた気がした。
「王都からは馬車使わないと行けないくらいの距離にあるのに、あそこで何してたの」
その変化に気づいた俺は、言い訳っぽく話してしまった。
「あの……変なこと言ってるかも知れませんが、僕はお祭りに行った後で死んでしまったのを最後に、ここで目覚めたんです。森の中に入った記憶もなければ、夏の暑い時期だからこの格好をしてるのですが」
彼女がキョトンとして相馬を見つめる。数秒の沈黙の後で両手をパンと叩き彼女は口を開いた。
「そっかぁ、記憶喪失さんなのねぇ」
素っ頓狂な返しにずっこけそうになった。記憶はあるって言ってるんだけど……そのほうが話が進みやすそうだから記憶喪失ってことにしておこう。
「そういえば、記憶も曖昧らしいんですよね。どこに自分が居たのかも分かりませんし、この近辺のことも曖昧で」
「色々と大変ねぇ。そういえば、お名前を聞いてなかったわねぇ。自分のお名前、覚えてるかしらぁ?」
彼女は俺の説明で納得したのか、またふわっとした笑みで俺に名前を聞いてきた。
「相馬っていいます。あなたは」
「わたしは、"マリフィル"っていうの。気軽にマリィって呼んでくれていいわよぉ。よろしくねソウマくん」
「こちらこそお礼が遅くなりましたが、助けてくださってありがとうございます。マリィさん」
彼女は、いいのよぉ、困ってるみたいだし〜。と微笑んでくれた。どうやら信頼していい人みたいだ。マリフィルさん、か。変わった名前だな。電車も知らないし、服装も違う。そして、確実に俺は死んだはずなのに、息をして、手足が動かせて生きている。頭痛はしているが、試しに太ももをつねってみても確かに痛みを感じる。俺がこうして生きてるってことは、凛音もどこかに居るんだろうか。まずは情報を集めなきゃ話にならないな。
「ソウマくんはこの馬車が今向かってる”王都”のことも忘れちゃってるのかしら?」
「記憶にないです」
あらあらぁ。と呆れたように俺を見つめる彼女は”常識を知らない人”を見る様な表情をして、説明するねぇ。と続けた。
「”王都・アイシュヴェルグ”は、この世界の中心に位置する大きな都市なの。この国は年中雪が降っているから、あなたがいた記憶にある”暑い街”とはかけ離れてるみたいねぇ。もっとも、そんな街にここから徒歩で行こうなんて人は滅多に居ないけどね。寒いし遠いしで、いつの日かには凍え死んじゃうわ」
寒そうにするジェスチャーをしながらマリィは続けた。
「都市の中にはおっきなお城があって、そこに住んでいる王様がここを成り立たせているんだけどねぇ。ただ、今の王様は若くして病気に倒れているの。信頼のおける側近が指揮や政の代理を務めているんだけど、やっぱり心配なのか民衆はざわついているわ」
なるほど、と相槌を打ち話を聞く相馬。聞けば聞くほどここが日本とはかけ離れていることに、本当に生きているという実感を抱けない。
「王様ってどんな方なんですか?」
「そうねぇ、丁度ソウマくんくらいの歳の子なのよねぇ。んふふ、かわいいのよぉ〜王様」
俺と同じくらいの年齢で王様って、荷が重過ぎないか!?
「驚くのも当然よねぇ。だって先代も30歳になる前には亡くなってるもの。このアイシュヴェルグのマステルニィ家は代々短命なの。この国にかかった”呪い”を受け継いでいるせいで長くても30から40歳までには病に倒れているわねぇ。もっとも、今回の王様は発病までが早くて、ここで代々受け継がれてきた血筋を途切れさせる訳には!ってお城の中は躍起になってるの。国のみんなが落ち着かないのもそのせいねぇ」
相馬は自分と同じくらいの歳で危篤状態の王に親近感を覚えた。自身の死ぬ間際の記憶と今のこの国の王の状態を重ねていた。死ぬとわかっていることに対して何も出来なかった悔しさを思い出し、奥歯を噛んで押し殺した。
「王様、治ってくれるといいんだけどねぇ」
「本当にそうですね……。そんな歳で亡くなるなんて、さぞ後悔しか残らないでしょう」
マリィが話を終えようとしたその時だった。ズンっと重い衝撃と共に、相馬が前につんのめった。どうやら馬車が急停止したらしい。そのまま壁に激突すると思いきや、前にはマリィ(の胸)というクッションがあり無傷で済んだ。
「どうしたのかしらねぇ……。あらあら、ソウマくん大丈夫?」
相馬は心配するマリィの胸の谷間に顔を突っ込んだ状態になっている。ぷはぁ!と深く息を吸い込みながら顔を離す。本人にとっては不幸だったのか、幸いだったのか。
「……ぜぇ……息出来なくて死ぬかと思った」
すごくいい経験だったけど。というセリフの続きは胸に閉まっておいた。
あらあらぁ、とどこか嬉しそうなマリィの右隣の子窓に異変が起きた。途端に長辺が縦の長方形に切れ目が入り、一瞬で扉になったのだ。元からあったものではなく、今一瞬で作られたということに相馬は驚いていた。しかしつかの間、防寒着を厚く着込んだ御者が外の冷気と吹雪と共に入り込んできた。
「お客さん!たいへんですぁ!」
荒々しくも早口でそう告げた御者は扉を閉め、それに手のひらを突いて話し始めた。
「あらぁいけねぇ。道に”野盗”が構えていたもんで回ろうかとした所でこっち気付かれちまった。ちょっとの先にいるが幸いだが、ここまで来るのにそう時間はかからねぇ。早く降りて隠れなぁ!」
「隠れるって言ったって、外はこんなに雪が降ってるんですよ!?」
相馬の衣服を見て、御者が絶句する。
「あんたぁ……乗るときゃ毛布に包まれてたからわかんねかったけど。よくそんな格好で――」
「その話は後にしましょう」
御者の言葉にマリィが冷静な面持ちで割って入る。
「いまは安全確保が第一です。ソウマくんは少し寒いだろうけれど、これを羽織って急いでここを出ましょう」
これって、毛布をかよぉ…。相馬は心の中でなにか着るものを懇願したが、この一枚の他にはなかった。
〇…………………………………………………………〇
馬車を路肩に止めて一行は外へと出る。御者曰く、道外れの森には旅人の為の小屋が各所にあるらしい。暖も取れるし、非常食くらいならあるらしい。外は少し先も見えないくらい吹雪いていた。相馬は雪が積もるくらいのものは経験があったが、完全に規格外の強さの吹雪にたじろいでいた。
「あの……毛布一枚だと死なないですか。これ」
「大丈夫よぉ。お姉さんと手を繋いでおけば暖かいから」
手を繋いで凌げるものでもないだろう。この吹雪は。
そう思いつつも、相馬ははぐれたくない為にマリィの手を握っていた。この吹雪なのに、毛布一枚で相馬は肌寒さ程度しか感じていないことに疑問を感じつつ歩を進めた。
一行は森の中へ入り、御者の先導を受け小屋を目指す。
「あの、質問なんですけど」
相馬が口を開くが、風の音が大きすぎるため普通の声では伝わらずもう一度大きな声で御者に質問する。
「この吹雪で途中の道に止まって位置もわかんないと思うんですけど、どうやって小屋にたどり着くんですか?」
その質問に御者は呆れたような顔をして答える。
「ぼっちゃん、服装もめちゃくちゃな上に、あんた座標道石も知らねぇのか」
座標道石……?なんだそれ。聞いたこともない。相馬は口に出さずにキョトンとした。
「座標道石はね、私たちの【魔気】に呼応して場所を示してくれる物なのよぉ~」
今度はマギなんて単語が来たもんだ。もう訳が分からない。とりあえず、地図みたいなものらしいな。
「魔気についても、あまり分かってないみたいね?あなた、魔気の制御が出来てないみたいだから」
後でお姉さんが教えてあげる♡と、マリィが耳元でボソッと伝える。背筋がゾクッとしたのは寒さのせいじゃないみたいだ。座標道石に、魔気……。耳元で言ったってことは、分かっていないとかなりおかしな人らしい。この人達の当たり前…なんだろうか。