いつもより何倍も優しく撫でるだけだった
「ちょ、ちょっと待って下さい」
驚いたような声を出したのは倉持だ。そしてその手は壬生を押し戻している。やはり他人が目の前にいるのは生者だろうと魂だろうと、邪魔に感じることに変わりはないようだ。
「何だよ」
「梨依里さまが久埜猪さんに愛を語られたのですか?」
「か、語られたってか、愛してくれって言われただけだよ」
さらに倉持は信じられないとでも言いたげな表情を浮かべる。
「それで久埜猪さんは何と?」
「俺にはまだ愛だの何だのってのが分からねえから、分かるまでとりあえず彼女になれって」
「何という贅沢な! 久埜猪さん、あなたは梨依里さまに監視されているのではなくて、愛されているから見守られているのですよ!」
倉持、俺にはその違いがよく分からねえ。どっちにしろ俺の行動は全て梨依里に見張られてるってことだろ。
「まだ分かってないというお顔ですね。久埜猪さん、あなた梨依里さまを怒らせたことはありますか?」
「うん? そんなのしょっちゅうだぞ。こないだなんかアイツの大好物のツナ缶にミカンの皮を絞ってやったら、すっげー怒られたしな」
「それでも命があること自体が考えられないことなのですよ」
倉持は呆れた顔を隠そうともしていない。それってそんなにすげえことなのか?
「あなたは先ほど私たちが変なことをしたら、梨依里さまに四つ裂きにさせると言われましたよね?」
「言ったけど、それがどうかしたか? 嘘じゃねえから余計なこと考えるんじゃねえぞ」
「その言葉、そっくりお返しします。梨依里さまのお力を考えてみて下さい。あの方が本当に怒ったら、あなたなどあっという間にその四つ裂きにされるんですよ」
「は……はあ?」
なるほど、言われてみればその通りだ。梨依里は体長二メートルほどもある熊の首ですら一瞬で跳ね飛ばす妖猫だ。本気でかかられたら俺なんかひとたまりもないだろう。だが……
「アイツは俺のことを殺せないって言ってたぞ」
「それは久埜猪さんが本当に梨依里さまに愛されているからでしょう。それにしても何故梨依里さまは簡単に命を落とすような、弱い人の身のあなたなんかを愛されたのでしょうか」
なんかって何だ、なんかって。そんなの俺が知るわけないだろう。そう思いながら梨依里に目を向けると、にっこりと屈託のない笑顔を見せてくれた。それを俺は監視されているとか、そんなことを抜きにして素直に可愛いと思う。
登下校時に肩に乗る梨依里も、昼休みに膝枕してくれる梨依里も、寝るときに布団の中に潜り込んでくる梨依里も俺は嫌いではない。それどころかアイツのさらさらの髪や柔らかい肌、甘い香りには心地よささえ感じているほどだ。これが愛されているということなのだろうか。
ぼんやりと考えていた俺は無意識に梨依里を見つめていたのだろう。梨依里が真っ赤になってうつむいたことで、自分が端から見れば優しげな視線を送っていたことに気付かされる。その時の梨依里の可愛さには思わずぐっときたが、それよりも俺は柄にもない自分の行動に恥ずかしさでいっぱいになってしまった。梨依里のやつ、今のことを茶化しやがったら思いっきりゲンコツくれてやる。
しかし昼休みに二人で弁当を食った後、梨依里の手は膝枕の俺をいつもより何倍も優しく撫でるだけだった。




