第2話
最小限の荷物を背負い、二人は海の前に立っていた。
「国境を越えて隣の国へ行くには一本道だ。その道以外は海に囲まれているしな。侵入者を防ぐ為の魔法だ。だが、そこを通っちまえば、国境を守るこっちと向こうの兵士どもに見つかっちまって面倒だ。だから海から行くぞ」
「海水浴には寒いだろう?それに泳げる距離じゃねぇ」
「だから、歩いて行くんだ。私と手をつなげ、ペルデ」
ルクスの差し出された手を取った途端、指を絡め合わせる恋人繋ぎにされる。
「はぐれないようにな」
ペルデと手を繋ぐのがよほど嬉しいのかニコニコと笑み、
「じゃあ行くぞっ」
海へと勢いよく足を踏み出した。ルクスの魔法を疑ったことは一度もないペルデは迷いなく続く。
「まるでスライムの上を歩いてるみたいだな。濡れなくて良い」
「だろう!んで、これだと丸見えだから、ちぃっと止まる」
「沈む」
上を向けば二人の天辺だけ海に閉ざされることなく空が見える。
「これなら姿も隠せるし海の中で魚を眺めながら散歩が出来る」
「最高だな、デートにはもってこいの魔法だ」
「おう、そうだ、デートだデート。私達夫婦だもんな」
ペルデが初めてデートという単語を発した喜びで頬を赤らめ、繋がる手に力を込めた。
けれど、デートなどと呑気なことを口走っていられたのは海の途中までだった。
別に追っ手がきたとか、怪物に会ったとかでは無い。
砂浜や柔らかい泥といった、足場の悪い場所を長時間歩くのはよく体力作りに利用されるくらいとても大変だと、二人共忘れていたのだ。
何故ならルクスは王の守護者たれと鍛え抜かれた屈強な女性で、ペルデは武器を扱うこともあるが、体力的な鍛錬はしておらず、時折馬の世話をし、おはようからおやすみまでルクスの側をあまり離れず、鍛錬中のルクスを眺めたり本を読んで過ごす、通常値程度の体力の持ち主だ。
「もう…だめだ。これ以上歩けというなら俺を転がすか引き摺って行ってくれ」
「いや、普通に背負ってやるぞ?この魔法は私に触れてれば良いからな。抱っこは両手が塞がってたせいで、お前に何かあったら困る」
「じゃあ、悪いが背負ってくれ」
ペルデは幼い頃からルクスに鍛錬の一環だと背負われ慣れているため、今回も抵抗なく背負われた。
ルクスの背は嫋やかな女性よりは広く、男よりは細く、それでいてがっしりと引き締まっていて、ペルデなどは昔から危うげなく背負われることに男として劣等感よりも、安心感を覚えたものだ。
「ところで、海の中の眺めがあんまり良いもんだから気づかなかったんだが、空から行くのは無理だったのか?人目に付かないように凄く高く飛んで、いっ時、どの御家庭にもこれ一台、って謳い文句で流行ってた絨毯、ルクスの家にもあったよな」
背負ってもらうかわりにルクスの荷物をペルデが預かりながら問う。
「有ったが、あれは毛足が長ぇだろ?一回も洗って無ぇからハウスダストとか酷そうでやめた。お前、アレルギー出たら困るし、他には…」
「他には?」
「空飛ぶ便器がある。ってか、我が家にある便器、全部空飛べるぜ。携帯便所が流行ってる時買ったもんだからな」
「便器に乗って空飛ぶのは嫌だ。なんか変態っぽい」
「けど、流行ってた当時は結構居たぜ?」
「そうなのか?俺は見たこと無いな」
「まあ、ウチの近くに飛んでるやつは魔法でエグい威力の水鉄砲放って撃ち落としてやってたからな。そしたら辺りに飛ばなくなった」
ルクスは尻丸出しで便器に乗って空を飛ぶ変態どもをペルデに見せたくなかったのだ。同い年だが、ルクスと会うまでロクなもの食べていなかったせいで、ガリガリのチビであるペルデを子に対する親虎のように守り、心配し、慈しんだ。それは、やはり幼少期の栄養不足のせいで身長はルクスには及ばなかったが、それなりに立派に育ち、結婚し夫婦となった今も変わらず。
「汚物は洗浄されたって訳か」
しみじみと呟けば、ペルデ達の頭上をキラッと光り輝く物が通り過ぎた。
まさか便器か、と見上げれば銀色に輝く小魚が海に開いた空間を飛び跳ねて通り過ぎていく。
魚には迷惑だろうが、通過する様を真下から見上げるなんて滅多にない光景だから、凄く疲れるがたまには海中散歩も悪くないと思ってしまった。