語り手について考えた
Twitterやサイトでのやり取りでときどき考えていたことをちょっとまとめてみたくなった。
自分が書きたいのはどんな作品なのかということ。
読みたいのはどんな作品なのかということ。
例えばなんだけど、
わたしは小説を読むとき、主人公、または語り手と同じものを見て感覚を共有した気分になりたい。
その文章が一人称でも三人称でも変わらない。
小説というのは語り手(視点の主や神様)の口を借りて作者が考えた世界や物語を伝えるものだと思っていて、地の文での表現から作者さんや登場人物の物の見方や感じ方を知れたり、その人ならではの感性みたいなものが感じられるのがとても面白い。
例えば、同じ景色、同じ人物だとしても、語り手として選ばれた人物がその人の言葉で説明すると、よく見かける「中世ヨーロッパ風の街並み」という表現では、なんだかとても物足りない。
あらすじや、あまり風景に興味がないような語り手ならそれでいいのだけど、せっかく物語の中の誰かの視点を借りているのなら、その人ならではの感性と表現で景色を伝えて欲しい。
例えばパン屋があったとして、食よりも可愛いものに興味がある女の子だったら「煉瓦造りのお店の窓辺には可愛らしい花が飾られていて」みたいに、店の外観や町並みに注目するかもしれない。
でも、語り手が違えば「客を呼び込むおっさんの声と共に、焼きたてのパンの匂いがする」みたいに注目する部分が変わるものだと思う。
特に一人称小説や神視点ではない三人称小説の地の文は視点の主となるキャラクターを表現できる一番のポイントだから、視点の人物によって同じ人物でも同じものでも同じ空間でも、全てが違って見えるはずで、ある人が見れば「優しそうな太ったおじさん」でも、別の人が見れば「だらしなく肥えたおっさん」だったりする。
ある人物にとって希望にあふれた世界が、別の人物によっては絶望しかないものかもしれない。
ひとつの世界、物語が、視点の主となる人物によって変わる。
そういう仕掛けがある作品が好きなので、そういう表現を使ってミスリードを仕掛けたり、色々な視点から物語の本質を読み解いたり、そんな風に楽しめる小説が書けたらいいなって。
そんなことを思った。
プロット完成後に本文書き始めるとき、どの登場人物の視点で書いたら一番面白くなりそうか何パターンか考えるんだけど、全パターン書きたくなって選択肢を誤ってばかりな気がする。