1章 帰郷(帰路)
1章 帰郷(帰路)
電車内に大きなスーツケースを引く人がほとんどいなくなった。トレインチャンネル、車内広告が彼に半世紀ぶりに帰ってきたのだと実感させていた。
しかし、米沢厚に安堵感はない。どこか諦めた様な表情の彼は、ただ人生最後の地に生まれ育った故郷へ帰ってきたのだった。
満員ではないにせよ車内に座れる場所はない。前に座っているサラリーマン達のほつれ、すすけた靴を見て、ビジネスマンであった彼は鼻で笑うような顔をしながら
「まだこんなレベルなのか。大層ご立派な時計をしてらっしゃるが、その靴はなんなのか。」
「なぜそんなにぼろぼろであるのに社内でなにも言われないのだろうか。」
「アメリカなら云々~」
と考えを巡らせていた。
新宿駅へ向かう途中で大崎、渋谷と下車し当時の面影を探すも、諦めた。欧州とは違う雑然とした街並みがよりそれを困難にしていたのだった。
「なにもかも変わったな。」
目的地の新宿についた。面影を何一つ見つけることができないまま、既に彼が帰国してから2時間が経っていた。
新宿、そこは彼がアメリカへ旅立つ前住んでいた場所であり自身がよく知っている街でもあった。
とりあえず、東口に行こうと思い立つ。しかし彼にスーツケースを持ちながら階段を降りるような元気は残っていない。エレベーターで駅の地下へ下った。
東口へ向かいたいも人の波がそれを拒むかのように目の前に横たわっている。彼は半ば東口へ行くのを諦めていた。
村上翼は電車に乗っていた。今日は2週間ぶりに定時で退勤できた。しかし彼にアフターファイブを合コンだとか飲み会だとかで楽しむ余力も、伝手もない。ただ帰るだけだ。
生憎座ることはできなかった。前にいる初老のビジネスマンが纏うサスペンダーのロゴをぼーっと眺めていた。
「サスペンダーなんてこのご時世珍しい。」
ベルトがきつい出っ腹をさすりながら左手に抱える上着に目をやるとGUCCIのロゴが見える。
自分はあんな壮年代は迎えることはできないのだろう。そんな後悔が頭を過る。
品のあるパリッとした後姿を眺めているうちに乗り換えの駅についた。
そのビジネスマンの引っ張るスーツケースに釣られそのまま地下に降りることになった。
香水の香りを嗅ぎながら扉を抜ける。
立ち止まったビジネスマンを見て、村上は彼の実際の年齢をなんとなく悟った気がした。
「良かったら、私が運びましょうか?」
「どちらまで行かれますか?」
「そうだね・・・東口といいたいけどやっぱりあそこの喫茶店まで頼むよ。」
米沢にとって久しぶりの日本語での会話だった。