プロローグ3
「なんで屋上に来てくれなかったんですか!? 私、ずっと待ってたんですよ!?」
「…………は?」
謎の魔法陣に飲み込まれた直後、視界が戻ると同時にその言葉は聞こえてきた。
気がつけばいつの間にか辺りの光景は一変し、どこまでも続くような真っ白い空間に立っていた。
そんな僕の目の前には黒い影がいる。
全身は黒で染まっていて顔などは分からないが、長い髪の毛とドレスのようなシルエットを見るに女性だと思われる。
声から判断すると僕と同い年くらいだと思う。
そして、影はあの黒い靄につつまれていた。
今のセリフと併せて考えれば、この影が手紙の差出人で間違いなさそうだ。
というか、僕はあの黒い靄は幽霊のもので差出人はその幽霊にとり憑かれたやつだと思っていたが、黒い靄の主自身が送り主だったようだ。
そもそもこいつは何なんだ?
黒い靄を最初に見たときは幽霊っぽい雰囲気を感じたが、こうして直に見ると幽霊とはまた違う感じがする。
とりあえず人間じゃないことは確かだと思うけど。
理由は分からないが、影は僕に対してプンプンと怒っている。
なんだか見た目に反して可愛らしい擬音を使ってしまったが、実際そんな感じなので仕方がない。
「聞いてますか!? 大体ユウさんは分かっていません! ベビーカーにトラックが迫ってるんですから身を呈して助けてくださいよ! 通り魔が出たんだから女の子を庇って刺されてくださいよ!」
「何その無茶振り」
僕、今死ねって言われたよ?
「まあ、トラックはまだいいですよ? 一応女の子を助けてましたし。でも通り魔のは何なんですか!? その女の子の方が戦ってましたよ!? ユウさんよりあっちの子の方が断然主人公らしいじゃないですか!」
「ああ、確かに神谷さんは主人公っぽいね」
行動が常に男前だ。
影は僕の返答がお気に召さなかったようで、肩をすくめてため息をついた。
「はあ、そんなんじゃ困りますよ。ユウさんにはこれから異世界で大冒険してもらわないといけないのに」
「異世界?」
「そうです!」
影が漏らしたおかしな単語を思わず呟くと、影はずいっとこちらに身を寄せて力強く首肯した。
近い近い、アップだとちょっと怖い。
影はスッと僕から離れると、胸の前で手を組みながら懇願した。
どことなくあざといポーズな気がするが、真っ黒だから意味はない。
「私は女神イルミナです。お願いします、ナルミ・ユウさん。異世界を魔王の脅威から救ってください!」
「やだ」
「まあ、もうこの領域は異世界のものなのでユウさんに拒否権なんてないんですけどね」
「えー……」
事後承諾かよ……。
今まで影……いや、イルミナばかりに意識が集中していてあまり考えることができなかったが、この白い空間が異世界なんだろうか。
……何もないんですけど。
そんな僕の疑問が伝わったのか、イルミナが説明してくれた。
「あ、ここ自体は私がユウさんと話をするためだけに作った空間です。ユウさんに行ってもらう所はファンタジー世界にゲームっぽいシステムをぶち込んだ感じの世界ですよ。スキルとかステータスとかレベルとかモンスターとか冒険者とかお好きですよね?」
「いや、確かに好きだけど……」
RPGとかはよくやるので興味がないと言えば嘘になる。
このまま学生を続けるよりも楽しそうだ。
さらに言えば、特に今の生活に未練があるというわけでもない。
それにイルミナは異世界にはゲームのようなシステムがあると言っていた。
わざわざ僕に頼むということは、今はゴブリンにも負けそうな僕でもレベルを上げれば魔王に勝てるのかもしれない。
しかし、
「何か隠してるよね」
「あ、やっぱりわかりますか? まあ、ホントは魔王とかどうでもいいですしね!」
中々正直だ。
すぐに認めるとは思わなかった。
「そもそも私は地球の神ですからね。そういうのはあっちの世界の神が何とかする筈です」
「神様にも縄張りみたいなのがあるんだね」
「ですです。勝手に首突っ込むと怒られちゃいますしね」
「それじゃあ僕を移動させるのもダメなんじゃないの?」
「細かいことはいいんですよ! そもそも私は邪神ですしね!」
「…………」
邪神だったのか。
いや、確かに見た目は邪神っぽいけど。
女神とか名乗ってたのは嘘だったの?
あ、邪神(♀)も女神か。
納得した。
まあ、それはともかく。
「それで、邪神様は何が目的で僕を異世界に送り出すの? 異世界を滅ぼすとかじゃないなら協力できるかもしれないよ?」
「ふふ、いいでしょう。では、今度こそ私の本当のお願いを言います」
相変わらず表情は見えないが、初めてイルミナからまじめな雰囲気を感じ取った。
……裏を返せば、今までは常にふざけた雰囲気だったわけなのだが。
「ナルミ・ユウさん、異世界に行ってください。そして…………私が趣味で描こうとしてる小説の主人公になってください!」
「いいよ。完成したら読ませてね」
「……あれ、何だか軽い? ホントにいいんですか?」
世界を救うために魔王を倒してくださいなんて言われるよりもよっぽどいい。
失敗しても責任とれないし、何より全くやる気がわかない。
でも、趣味で小説を書くから協力してくれってお願いなら、聞こうかなって気にもなる。
「なんと言うかこう、バンドやろうぜってくらいの軽いノリが気に入ったよ。喜んで協力する」
「ほほう、中々話のわかる方ですね。例えはアレですがそういう気楽な感じで構わないんですよ! 色々と仕掛けを凝らした甲斐がありました」
イルミナがうんうんとうなずいている。
仕掛けというのはおそらくトラックや通り魔のことだろう。
小説とかで異世界に行く切っ掛けとしては非常によくあるパターンだ。
テンプレと言っていい。
僕を主人公にしたいそうだから、それっぽい演出をしたのだろう。
「そういえば、僕があのトラックに轢かれたらどうなってたの」
「え、そりゃあ死んでたんじゃないですか?」
「おい」
やっぱり協力するの止めよう。
さすがに演出で殺されたらたまらない。
そんな僕の思考を読んだのか、イルミナがあわてて弁解を始めた。
「いやいや、異世界に行くときには生き返るので大丈夫ですよ! 協力が終わったら元の世界にも返してあげる予定でしたし」
自分で殺して生き返りたければ協力しろって言うつもりだったってことか。
さすがは邪神様だ。
イルミナが顔を背けて目を逸らす。
後ろめたい気持ちはあるみたいだが、少し釘を刺しておこう。
「協力はするけど、これからは僕の身が危険になるような演出は止めてね。あんまり酷いと全く冒険せずに田舎でスローライフを送ることにするよ?」
「それはそれで面白そうですけど……。そもそも異世界では私は干渉できないので安心してください」
「あれ、そうなの?」
「はい、さっきも言いましたけど私は地球の神ですからね。ユウさんを向こうに送るくらいならともかく、直接干渉すると怒られちゃいます」
「ふーん、邪神様は意外とルールを守るんだね」
話を聞く限り、邪神といっても他の神様の敵というわけじゃあないみたいだ。
「それでは異世界に行く前にユウさんに異世界転移で定番のチートをあげたいと思います!」
「わーい」
「……あげたいと思いますがあまり強力なのは向こうの神様に怒られちゃうので無理です。ちょっと役に立つものくらいですね」
「えー」
邪神様、それはもうチートって言わないと思います。
「そもそもユウさんはかなり強力なギフトを持ってますからね。チートなしでも主人公張りに活躍できますよ。それもユウさんを選んだ理由の一つですし」
「ギフト?」
「向こうの世界において最も重要なモノの一つとだけ言っておきましょう。ネタばれはつまらないですからね」
確かにイルミナの言うとおりだ。
せっかく未知の世界に行くのだ、自ら知っていく楽しみというのもあるだろう。
「そういうわけで、チートの代わりにこれをあげます」
そう言ってイルミナが差し出してきたのは腕輪だった。
何の装飾もない、銀色のシンプルな腕輪だ。
促されるままに左腕に装着すると、腕輪が収縮して僕の腕に合わせたサイズに変化した。
「おお、ファンタジーっぽい」
ブンブンと腕を振ってみるが、全く邪魔にならない。
まるで腕に吸いついているようだ。
……あれ、これって外せないんじゃね?
「一応外そうと念じれば外せますよ。ですがアイテムボックスは基本的に外さない方がいいです。所有者以外にはロックがかかっていますけど、なくしたら大変ですからね」
「アイテムボックスなんだ」
「はい、アイテムボックスは冒険者の必需品ですからね。見た目はシンプルですが、全属性耐性、物理攻撃耐性、さらには蒸れ対策まで万全な最高級品ですよ!」
なんだかすごそうだ。
とくに蒸れ対策は重要だよ。
「やっぱり容量とかも大きいの?」
「アイテムボックスの容量は最大MP依存なのでそこはユウさん次第ですね」
「なるほど」
そうなると入れるものは厳選しなきゃいけないかも。
「それと、アイテムボックスの中にはスキルオーブと冒険に必要そうなものを入れているので向こうに行ったら使ってみてください」
「ありがとう、大切に使うね」
スキルオ―ブが何かはわからないけど。
まあ、それも向こうで確かめればいいさ。
「それではユウさん、異世界を楽しんでくださいね。できるだけイベントが多いとネタが増えて嬉しいです」
「任せて」
邪神様はテンプレ好きっぽいからね。
大丈夫、ちゃんとわかってるよ。
奴隷を助けたり盗賊を倒したりすればいいんだよね?
僕の周囲をイルミナの靄が包んでいく。
地面ではあの魔法陣が光っている。
ついさっき見たばかりだが、それを見る僕の心境は大きく異なる。
ワクワクする。
普通の学生生活から解放されてゲームみたいな異世界で冒険できるんだから楽しみに決まっている。
……いや、霊能探偵は普通じゃないけどさ。
そもそも霊能探偵は知らない人から相談を受けて行動っていうのがなんか嫌だったんだ。
ただ働きだなのに危険だし、依頼内容も面白くないし。
それでも依頼を受けてたのは神谷さんと一緒にあれこれ動き回るのが楽しかったからかもしれないな。
でも、これからは自由に行動できる。
イルミナのお願いも僕の行動の邪魔になるようなものじゃないし、イベントが多いのは僕としても大歓迎だ。
興味のあることには積極的に首を突っ込んで、イルミナにネタを提供してあげよう。
「――――――ユウさん」
浮かれる僕にイルミナから声がかかる。
「ゲームのような異世界とは言いましたが貴方が行くのは確かな現実です。コンティニューなんてものは存在しません。死んだら元の世界に戻れるなんて甘いこともありません。そして、異世界はとっても危険で死にやすい所です。――――――ユウさんは生き残ることができますかね?」
影のようなイルミナが邪悪に笑った気がした。
足元の魔法陣が一際強く輝き、視界が徐々に暗くなってくる。
このタイミングでそういうこと言うとか意地悪だよね。
さすがは邪神だ。
でも、これは「ゲームだと勘違いしたら痛い目を見るぞ」というイルミナからの忠告だろう。
「心配してくれてありがとう」
「…………はい」
なのでそう返したのだが、何故かイルミナは不満そうだった。
……邪神アピールに失敗したからだろうか?
そう不思議に思っている内に、僕の意識はここへ来た時と同じように暗転した。