奪心ⅰ
「心臓が無くなったら人はどうなるのだろうね?」
「……簡単なことよ。そいつは死ぬ。」
「そうだと思う。でも前から不思議なことがあってさ。人の感情は頭にあるのか心にあるのか。心というのは心臓の心の字を指すだろ?だったら、心臓が無くなったら、死ぬ時に何も感じないんじゃないかな。仮に心臓に僕らの感情が宿っている場合だけど。」
「黒野は意味がないことを考えすぎだ。そんなのどっちでもいいよ。」
「まぁ、無駄なことだし、どうでもいいことだと思うよ。でも死ぬ時には悲しいとか、今まで生きていて良かったとか、もっと生きていたいとか思いたいんだ。
だってそれが無くなったらさ、
生き物として死ねない。」
俺、紺野祐介は家に帰ろうとしていた。
学校が終わり、図書委員の仕事を片付けてからの帰宅であった。夕暮れの街は沈む太陽によって橙色に染まり、まだ一日は終わっていないのに、十二時手前に感じる夜の静けさよりも今日が消えてゆく感覚を、いつもこの夕暮れに感じる。
何もなく終わり、平和に終わり、物足りなさを感じることは時々感じるが、この日々は満足いくものであると、考えることもある。そういえば、自分の家の近くに本屋が出来たのだ。最近開かれたばかりなのに、新しさを感じない不思議な所だ。本が好きな自分には近くに本屋があることはとても嬉しい。
少し寄ってみようか、帰ってもテレビは見ないし、勉強する気もない。親は家にいるだろうが、少し遅くなってもなにも言われないだろう。
今は読みたい本はないけれど、本屋は退屈しないし、どんな本が置いてあるのかも気になるところだ。
行ってみよう、そう決めた。
家から五百メートルほど離れているその本屋は特徴のない造りで、本を本棚に入れ、ただ列を作っているだけだった。むしろ、本屋よりも本屋の店員の方が特徴があった。店員は一人だけで、綺麗な白髪の女性だった。しかし、歳は若く、年齢は自分より3つほど上ぐらいだろう。白のワイシャツにジーパンを纏い、目を瞑って、レジの椅子に腕に組み、腰掛けていた。顔も白いせいか、病弱そうに見える。幸薄いと言える。街中ではめったに見かけない綺麗な白髪をつい見てしまう。すると、向こうがこちらに気づいたのか、俺に視線を向けてきた。
その彼女の目から澄んだ夜空の美しさを感じた。
彼女の目は夜の色で、その黒に俺は吸い込まれて、夜空に囲まれる。
自然の美しさに魅了され、時を忘れる。
「何か用?」
彼女の目に魅せられて、ぼうっとしてしまっていた。反応に遅れる。
「いやっあの…………おすすめの本ってありますかね?何か読みたいなと思っているのですが、自分ではよく分からなくて」
咄嗟に、嘘を言う。
店員は困ったように言った。
「いや、本屋の店員をやっているけど、私は本には詳しくないんだ。店主は別にいて、そいつに聞けば分かるけど、今いないから……帰ってくるまで待つ?」
こんな綺麗な人と一緒にいるのは悪くないけど、どうしようか?時刻は午後六時。時間は問題ない。ただ、お金が無いのだ。それに今日は本を特別買いたいわけでは無いのだ。
「いえ、今日はやめておきます。ここ家の近くなのでいつでも来れますし。また今度にします。」
そう、と言って彼女は目を瞑る。
俺が店を出て行こうとすると彼女は言った。
「困ったことがあったらここに来なよ。頼りなると思うから。」
振り返って、彼女を見る。相変わらず、目を瞑ったままだ。
「はい、ありがとうございます。」
俺は礼を言って、店を出た。
ただの本屋だと感じているのだが、相談室も兼ねていることには驚いた。
結局置いてある本を確認しなかったが、また今度行って確認しよう。こんなことを考えながら、家路を歩く。すっかり辺りはもう暗く、夜の足音は十分に近くにいた。また明日には変わらない毎日が来るのだろう。
日常の不変さを考えていると、サイレンの音が後ろから聞こえてきた。やけに夜に染みる音だった。
俺の横を通過してゆく赤い五月蝿い光。
俺には縁の無い光である。
店内、私は独りになった。さっき来た学生は帰ってしまったからだ。
呼び止めて話し相手にしようと思っていたのに。退屈になってしまった。
話し相手がいないと本当につまらない。
いや、つまらないと思うことは本当に私の気持ちなのか?今の私には何も無いんだ。何があって、何を基準にして自分の楽しみを測っているんだ?こんなことを考えながら、少し微笑する。哀れみの笑いだ。
だから、人との会話だって、ただのまやかしなのだ。会話をするという喜びが欲しい振りをして、それをして、満足している気がするだけ。
味のしない食事と同じで、腹がふくれるだけ。
何が私の退屈を消してくれるのか。こんな、不安定な、幽霊みたいな私を満足させるものなどあるのか?
また微笑する。
こんなこと何回考えたのだろう。あいつの側に立ってから、何回。
相変わらずの自分の虚無さ加減には慣れてしまったなあ……。
まあいいよ。
とりあえずあいつの帰りを待とう。どうせ、今回も自分の問題は堂々巡り。そんなこと後回しにして、さっさとこの街の用件を終わらせよう。
さっきからサイレンの音が聴こえる。
これで4件目。
サイレンの先にあるものは俺の家だった。
立ち入り禁止のテープが引かれていた。
家の周りはブルーシートで覆われていた。だが、窓に飛び散る血の色を全て隠せていなかった。
なんなんだ。誰の血だ。両親の血か、他人の血か。血は家の内側に飛び散っている。さっきまでの日常は何処に行った。
今日は学校に行って、授業を受けて、委員会をして、本屋に行って、今帰ってきて、何が起こった。何が起こった。何が起こった。分からない。分からない。
ここは俺の家か。きっとここは俺の家じゃない。間違えたのだ。そうだ。そうであるべきだ。いつも通りの道を帰ってきた。そうじゃないといけない。
頭の中がごちゃごちゃだ。
ごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃ
緊張から来る吐き気とありえない真実の恐怖で倒れそうになる。
「君、大丈夫か。顔真っ白だぞ。」
誰かが話しかけてくる。
「ここの家の子か。確認を取りたいので、名前を」
そいつの顔はぐにゃぐにゃしていて、何を言ってるか頭に入らない。
黙ってろ。話しかけるな。
ここから早く立ち去りたい。
逃げ出したい。
呼びかける声を無視して、独り立ち去ることにした。
なにが起こった。
近くの公園に行き着いた。
深呼吸する。深呼吸をして、落ち着こうとする。
数メートル離れたところではあんなにうるさかったのに、ここはとても静かだ。
だが、自分の胸の中はとても騒々しい。
心拍数は速度を変えず、速いままだ。頭は少し冷静なりつつあるのだが。
殺されたのか、家族が。昨日までは、いや、今日の朝飯を一緒に食べていた家族が。いや、違うかもしれない。俺は何も知らされていないのだから。殺人と決めつけられない。だが、今俺は、両親に電話しているのに、繋がらない。偶然なのか。本当に偶然なのか。あの血とこの状況。殺されたのか。本当に殺されたのか。絶望が手を差し伸べてくる。
夜の風が俺の頬を横切る。血が頬から流れる。
誰かがいる。
狂気の夜になる気がした。
あの時の純粋な美しさを感じさせてくれた夜が今の俺に狂気を与えている。
なんなんだ。あの本屋に行ってからだ。
奇妙すぎる。この街が。あの普通だった街が。汗が止まらない。呼吸がテンポを速める。心臓が静かにならない。俺は今のところ生きている。人ならざる誰かがいる。この公園に。俺の後ろに。
「お前、あの家族の一人だな。」
声が出ない。後ろを向けない。
「食った時にお前を見たよ。やっぱり殺すのなら、みんな一緒がいいだろ。
ていうか、一人だけ食い残しは俺の性分じゃない。食い残しはいけないって言うだろ?」
殺人鬼がいる。俺の後ろに。人ではない。何も出来ない。助けてくれ。誰もいない。
逃げるしかない。逃げたい。
とにかく、とにかく、逃げるしかない。早く動け、動いてくれ、俺の足が震えて、動かない。死にたくないんだ。頼む、早くしろ、早くしろ、早く、早く、早く、早く、早く‼︎
動いた足を一生懸命に回し、後ろを振り向かずに逃げ出す。
「酷いな、逃げるなよ。」
鬼の声が聴こえる。
「逃げるな。」
彼女は僕に言った。しかも、少し怒りながら。
「逃げないよ。ちょっとまた用件が入っただけ。」
「確かに用件は入った。なら、私を連れてけ。私が必要なことなんだろ?それに、仮にお前だけが出て行くとしても、まず飯でしょ。何分待ったと思ってる?」
白の飯怒りだった。
「ごはんは終わった後にしない?今、一刻を争うというか、今日捉えないと流石に僕、今度こそクビになるかもしれないというか。予定の時間から大幅に遅れたことにはこっちがわるかったけど。それに、白にはここで待っていて欲しいんだ。白がいきなり出たら、多分警戒するしさ。」
彼女、夜空 白は溜息をついた。わかったよ、と言い、目を瞑る。すると今度は物凄く僕を睨みながら、殺す勢いで見ながら、言った。
「確かに、お前が首になったら、私の飯もなくなる。路頭に迷う。しかしだ……。黒野。しかしだ。
これだけは言っておくぞ……」
「な、な、なに?」
唾を飲み込む僕。
「女の子をご飯で待たせるな‼︎」