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「それで、ロアストだけどな」
シドがそう言い出したのは、手頃な飲み屋に入り、料理を注文してからだった。それまでは、ルーチェの機嫌が悪く、シドと口を聞かなかったのだ。
「教えるつもりはあったのね」
店の中でも外套は被ったままなので、表情は見えないが、ルーチェの声はあからさまに不機嫌だ。
「機嫌直せよ」
シドが苦笑して、店員の運んで来た酒を一口飲む。
「あなたが意地悪なことは知ってるもの。別に気にしてないわ」
「意地悪を言ったつもりはない」
「それは嘘よ」
ルーチェが即答する。まぁ嘘なのでシドもわざわざ言い返さない。
「それで、ロアストが何?」
ルーチェが尋ねたところで、店員が料理を持ってきた。美味しそうに湯気をたてるシチューだ。
「あんまりいい噂がないんだ。むしろ悪い噂しかない」
「どういう?」
「色々あるが、専ら賄賂だな」
「……賄賂?」
そう尋ねながら、シチューを一口食べたルーチェは表情を変えた。
「これ、美味しい!」
「ん、ほんとだ。美味い」
野菜が沢山入ったシチューは、舌触りが滑らかで、コクがある。
「…賄賂って言うけど、何を賄賂にしてるの?ここ、麦しかないと思うけど」
「いい質問だ」
シドが酒を一気に飲み干し、追加を注文した。ルーチェは嫌そうに顔をしかめる。
「飲み過ぎないでよ」
「まだ一杯しか飲んでねぇ」
「今いくつ?」
「十八」
ルーチェが溜息を吐いた。
「真都だとお酒は二十からよ」
「俺は真都出身じゃないからな。関係ない」
あんたも飲んだらどうだ?とシドが薦めるが、ルーチェは首を振って断った。酒を飲み、機嫌の良くなったシドはいつもより饒舌になる。ルーチェに先程の続きを話し出した。
「確かにスピカは麦しかない。けどな、たかが麦。されど麦だ。意味がわかるか?」
シドの問いに、ルーチェは食べる手を止め、考える。
シドがルーチェと出会ってから、シドは沢山のことをルーチェに教えてきた。真都の王宮の中にいては知ることのできない、国の成り立ちや政治について。その意味。世論の流れ。人間が何を考えるのか。シドが問えば、ルーチェは懸命に考える。
いつだったか、知識に貪欲であれとシドは言った。得た知識は決して無駄になることはない、と。
「麦って、そんなに便利な植物だったっけ…?」
一人で呟きながら悩むルーチェをシドは微笑ましく思う。
"神の力"を持つが故に、人の死に無頓着なルーチェ。たった十三の少女に、神は一体何を背負わせようと言うのだろう。シドには到底理解できないことだった。
「ねぇ、シド?」
ヒントが欲しそうにシドを窺うその様子は子供そのものだ。
なぁ。もう少し、ちゃんと子供をやってろよ。
そう言いたくなる時がある。しかし、そんなことを言ったところで、ルーチェはそれを認めない。加えて、ルーチェが子供であることを周囲は良しとしないのだ。
だからこそシドは願う。
「…どうしたの?黙っちゃって」
ルーチェが顔をしかめ、シドを覗き込んだ。
「何でもない。考え事してた」
「考え事?」
「いや、大したことじゃない。それより、わかったのか?」
「えー…わからない。あ、でも待って。まだ考えてるから」
「シチューが冷めるぞ」
笑いながらシドは言った。
願わくは、一人の少女として彼女に生きて欲しい。
一人の少女として、年相応の、好奇心に溢れた顔で、夢中になって考える事に楽しみを見出だして生きて欲しい。
そして、その手助けができるのなら、シドはルーチェの側にいたいと願うのだ。
「なぁ、ルーチェ」
「何?」
ルーチェがシドの顔を見て、首を傾げた。ルーチェを見るその表情がとても優しいことに、シドは気付くはずもない。
「あんたは、一体どんな大人になるんだろうな」
予想もしなかった言葉にルーチェは目をしばたたかせた。
「急にどうしたの?らしくない」
「……だな。らしくない」
言ったことを後悔するようにシドは苦笑し、二杯目の酒を飲む。
「あぁ、それでだな」
話題を元に戻そうと、シドは飲みかけの酒が入ったコップをルーチェの前に置いた。
「何?飲まないわよ?」
「ちげぇよ。酒の原料は何だ?」
ルーチェが目を見開いた。それから、静かな声で答える。
「お酒は決められた土地でしか作れない。上質なものなら余計に」
「…あんたの思考回路はたまに理解できない」
「間違ってる?」
「違う。正しく飛躍するんだよ」
「…けなしてる?」
むっとしたルーチェに、シドは笑ってルーチェの頭に手を伸ばす。が、触る前にパシッと軽く振り払われた。
「やっぱり、けなしてるのね」
「けなしてないさ。俺が聞いたのは酒の原料だ。だけど、あんたは酒の価値をいきなり話したんだ」
「え?それは…お酒の原料は麦だから、スピカはお酒造りが盛んになる。お酒なんて簡単に造れるものじゃないから、その中でも上質なお酒は高く売れるようになって、領主は儲かるから…」
説明したルーチェに対して、表情には出さなかったが、シドは舌を巻いていた。これだけの考えを、シドの一言から一瞬で思い付くルーチェの聡明さは計り知れない。
「あんたって、ほんと規格外…」
「…失礼ね。あなたに言われたくないわ」
ルーチェが不満そうに言い、シドは思わず声を出して笑った。確かにそうだった。
「まぁ、似た者同士、仲良くやろうぜ」
「変なの…」
ルーチェは得体の知れないものを見るような目を向け、呟いた。