3
シドとルーチェが、目的地としていた町に到着したのは、日も暮れ始めた頃だった。
「スピカ…?」
「この町の名前だ」
「言いにくいね」
ルーチェが言い、スピカスピカ…と繰り返している。その様子が面白くてシドは小さく笑った。
スピカは、グラディール王国の最も西にある町だ。国は普通、王都から離れるほど寂れたり、貧しくなる。しかし、スピカはかなり豊かに見える。
「なぜかわかるか?」
シドがルーチェに問う。二人は整備された大通りを歩いていた。連れてきた四頭の馬は、城壁近くの馬屋に売り、しかもかなり良い値で売れたので、シドが喜んだ。
大通りは人や馬車が多く通っている。念のため、フード付きの外套を着て顔を隠していた。
シドの問いにルーチェは考える素振りを見せる。
「んー…王都との繋がりがあるから…とか?」
「うん、良い線だ。それで?」
ルーチェが眉間にしわを寄せ、真剣な顔をして考える。そんな表情はまだ幼さを感じさせる。
「…ヒントは?」
「町の名前」
シドが即答すると、ルーチェはむっとシドを睨んだ。
「聞くのをわかってたみたいね」
「わかってたからな」
澄まして言えば、ルーチェがシドの腹を殴った。軽くなので痛くはないが、ルーチェは妙なところで子供っぽい。
「怒んなよ。ヒントあげただろ」
「もうっ」
「ほら、町の名前は?」
「……スピカ」
渋々とルーチェが答える。
「意味は?」
「星の名前。乙女座」
「他には?」
ルーチェが黙る。考えているようだ。恐らく、何百という数の本の内容が彼女の頭中を駆け巡っているのだろう。ルーチェの過去を少し知っているシドはそう思った。
しばらく考え込んでいたルーチェは、はっと顔を上げた。思い付いたのだ。だが、考え込んでいたために、前から歩いてくる人に気が付かなかった。
「ルーチェ」
「…っわ!?」
シドに腕を引かれ、すんでのところで人を避けると、慌てたようにシドの手を振り払った。
「…どうした?」
振り払われたシドが怪訝な顔をする。ルーチェはいつもより険しい表情をしていた。
「私に触れてはダメ」
「……わかった。悪かった」
"神の子"であるルーチェがはっきりと禁止したのだ。何か理由があるに違いない。だから、シドは深く追及しなかった。その代わりに、話題を戻してやる。
「何かわかったのか?」
気遣われたのがわかったらしい。ルーチェは何ともいえない複雑そうな顔をした。それでも、その気遣いに乗る。
「スピカの意味。確か、ラナ語に"麦の穂"という意味があったわ」
「おっ、それで?」
「ここ、麦の生産地なのね。国全体の、とまではいかないかもしれないけど、大部分を賄ってる。だから、王都との繋がりができて豊かになるの」
どう?とルーチェはシドを見上げた。シドが笑って頷く。
「正確だ。でも、もう一つ理由がある」
「もう一つ?」
「それはな…こいつだ」
シドが立ち止まり、目の前の建物を見上げた。町で唯一の石造りの立派な建物。見れば誰もがわかる紋章を付けたその建物は、
「神殿…」
ルーチェが呟いた。その顔に表情はない。あるとすれば、拒絶。
「スピカはアストライアっていう正義の女神を祀ってるんだとさ。それで、信者が集まる」
シドの説明も聞いているかどうか定かではない。じっと睨み付けるように紋章を見ている。
シドは小さく溜息を吐いた。
「じゃ、入るぞ」
「うん……って、え!?入る!?」
「あぁ、あんたのその、」
シドがルーチェの胸元を指差す。ルーチェは反射で指差された胸元に手を当てた。シドはにやりと意地悪く笑った。
「そいつさえあれば、寝床をタダで確保できるからな」
「……知ってたの」
ざわり、と風が強くなる。穏やかな暖かい日であるにも関わらず、冷たい冬のような風が吹く。
「あぁ、知ってた」
急な天候の変化を少しも意に介さず、シドは言った。
「あんたは、俺が誰なのか忘れてないか?」
シドがゆったりと不敵に笑う。対するルーチェの表情は険しい。
「俺は"シド"だ」
それから、少し困ったように肩をすくめた。
「だから、怒んな。後で旨いもん食わせてやるから」
「あなたは本当に信用ならない」
「今更だろ?」
ぽんとルーチェの頭を軽く叩き、シドは神殿に向かう。シドには見えなかったが、ルーチェは一瞬、怯えた表情をした。
「…触るなって言ったのに…」
高く鳴る心臓にそっと手を当て、何度も深呼吸をする。そうしていると、やがて風は止んだ。
自由に天気が操れたら嬉しいかもしれませんねぇ。
ちなみにルーチェの力は魔法とは少し違います。物を浮かしたりとか、いわゆるビーム的なことはできません。神様からもらった力なので、あくまで自然に則したことしかできません。
誰も気にしないとは思いますが、念のため…。