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異世界にいくやつ

ビジネスチャンスをぜったい逃したくない小説編集者と、異世界最強魔道士

作者: 三村

 俺は頭を抱えていた。

 肩に携帯を挟みながら、プリントアウトしたプロットを眺める。読めば読むほど、ため息しか出てこない。編集者にとってよくあることではあるが、今回ばかりは相手が相手だけに、予想外というほかない。

 携帯から響く無機質なコール音は、鼓膜を三回叩いたところで男の声に変わった。


「ザイラスだ」

「……どもお世話になっております新鋭社の本郷です。えっと、ザイラスさんただいまお時間よろしいですか?」

 かまわん、と短い返答があった。

「ありがとうございます。で、えー……メールで送っていただいたプロットなんですが、ちょっとお聞きしたいことがありまして……このお話は、仲良し女子高生三人組が、街のカフェを巡ったり、登山をしたり、学校であった他愛ない出来事を話し合ったりする短編集……で、合ってます?」

「相違ない」


 俺は思わず平手で額を打った。

 いや、わかっていたことではあったが、何かの間違いであってほしかった。


「あの……えっと、単刀直入に言いますね」

「うむ」

「なんでですか?」


 む? と今度は電話の向こうで意外そうな声が上がった。


「何か問題があったか? 過不足なくこの世界の小説作法に則ったつもりだが」

「いえ、作法とか体裁じゃなく、そもそもの内容の話なんです、そもそも、なぜザイラスさんがこれを書いたかっていうことなんですよ」

「貴様が何を言いたいかオレにはわからん」

「あの、えっと、一応確認ですけど、ザイラスさん、異世界から来たんですよね?」

「そうだ」

「向こうの世界では右に出る者のない大魔道士だったんですよね? 世界の支配者として君臨してたって、そう言いましたよね!?」

「オレを訝るか、本郷。よかろう、窓の外を見るがよい。あの富士山などというふざけた山塊を、貴様の目の前で砕いてみせよう」

「いや信じてます信じてます、顔合わせのとき魔法も見せてもらいましたし! だからこそ俺は、あなたのその素晴らしい来歴を活かしてファンタジーを書いてほしいと、そう思ったしお願いしたんですよ。……なのに、なんでこれなんですか!」

「これ、とは?」

「この、吉祥寺のスタバで女子高生が延々ダベるだけの、フェチ感たっぷりのプロットのことですよ!」


 一瞬キョトンとした間が流れたあと、ザイラスが口を開いた。


「本郷、貴様まさか女子高生を見たことがないのか? あれほどまでに色彩豊かで、奔放で、自由な生き物をオレは知らん。少なくとも、オレの支配だけが全てだったあの世界ではついぞありえなかったものだ。刹那的で、利己的で、きらめきに満ちて……まるで夜空を彩る星々だ、これを幻想と言わずして、何と言うのだ!」

「日常ですよ! こっちでは全部普通のことなの! 俺のいうファンタジーってのはそういうんじゃないんですよ!」

「では聞くが、どのような話ならよかったのだ」

「だから、もっとこう、魔王を倒すべく旅を続ける勇者たちが、立ちふさがる巨人とか、火を噴くドラゴンとかと戦うやつですよ。剣と魔法が入り乱れる大冒険ですよ!」

「……ほのぼの日常ものを書けと?」

「ちっげーよ! そりゃアンタの世界じゃそれが日常だったかも知んないけど! こっちの世界じゃ、そういうのがファンタジーなんですよ!」


 ザイラスは、ううん、とうなったきり黙ってしまった。


「とにかく、これはダメです。プロットのリテイクをお願いします」

「待て。プロットと一緒に本文原稿も送っただろう。そっちはどうだ? そっちは読んでいないのか?」

「読むわけないでしょう。プロットの段階でどう見てもリテイクなんだから!」

「そ、そうか……」

「あのね、ザイラスさんは知らないかもしれないですけど、今ファンタジーってジャンルは超アツいんですよ。ニュースとかでも超常現象とかUMAとかよく取り上げられてるでしょ? ブームなんですよ、千載一遇のチャンスなんですよ!」

「ブーム……チャンス……」

「そうですよ! 異世界から来たあなたが、小説家を目指して俺に出会ったってのも運命だと、天啓だと思ってるんです。このチャンス、逃す手はないですよ、一緒に最高の作品を作り上げましょう!」


*


 二週間後、ザイラスからプロットのリテイクが届いた。

 前回のものとは打って変わって、今度はちゃんと異世界ファンタジーものだ。俺はほっと胸を撫で下ろし、あわせて送られてきた本文原稿に目を通した。


 俺は頭を抱えた。

 ため息をつきながら、這うように卓上の携帯に手を伸ばした。


「もしもし、お世話になっておりますザイラスさん、本郷です。プロット読ませて頂きました。例の女子高生三人組が、異世界に転移しちゃう、と、そういう風に変えたわけですね」

「そうだ。まずかったか?」

「いえそこは良いです。かなりお話の転がりが良くなったと思います、が……問題は本文の方で、えー……まず序盤の、異世界に来てしまった女子高生三人組が、魔物の潜む密林の中で迷うシーンなんですが――」


『――倒れたままのユカリを、キョウコは必死に揺さぶった。マリエは呆然と二人の様子を眺めていた。三人とも限界だった。異世界の密林は、彼女たちの体力と精神を容赦なく蝕んだ。毒蛇に噛まれたユカリの足首は、かつての倍以上に膨れ上がり、傷口は見るも無惨に膿んでいた。

 突然、あっ、と、マリエが、悲鳴に近い声を上げた。その声にユカリは微かに顔を上げた、キョウコもマリエの指さす方を見た。

「スタバじゃん……!」

 奇跡的にスターバックス密林店が目の前にあった。ユカリはキョウコを抱き起こした。小腹が減っていた。三人はちょっとスタバに寄っていくことにした――』


「……なんでスタバ出しちゃったんですか」

「うっかりだ」

「うそつけ。この後、数十ページにわたって、女子高生三人の世間話が続いてんのにうっかりもクソもあるか! プロットにはスタバのスの字もなかったじゃないですか、だいたいなんで異世界の密林にスタバがあるんですか!」

「だから地の文で『奇跡的に』と書いたのだが……」

「そんな一文でフォローできてたまるか。神様の奇跡リストのどこにも載ってないわこんな事例! だいたいキョウコどうなってんすか、こいつ毒蛇に噛まれて死にそうだったのに、スタバ出る頃には超元気になってるの何なの!」

「それはキョウコだけキャラメル解毒ペチーノ頼んだからで」

「ねーよそんな飲み物! なんだ解毒ペチーノって! それにね、ここだけじゃないですよ。スタバから出た三人が、怪物と戦うシーンも――」


『「――危ない!」

 マリエを庇ってキョウコがドラゴンの前に飛び出す。瞬間、目の前に炎が幾条も閃く。強烈な炎の吐息に吹き飛ばされたキョウコに、ユカリが駆け寄った。

「キョウコ、しっかりして! 今、治癒魔法を――」

 炎に爛れたキョウコの腕に手をかざすユカリ。「えっ、うそ――」刹那、ユカリは吐息を漏らす。彼女はキョウコの指の異変に気づいたのだ!

「やだ、ネイル超かわいー!」

「あ、わかるー?」』


「隙あらばか。なあ、あんた隙あらばかよ!」

「え、ネイル変えたの気づいてくれたら嬉しくない?」

「嬉しいだろうけど、ここじゃねーんだよ! こっこっじゃねーんだよ! 後にしろ! これ読んだ全員が後にしろ、って思うよ!」

「だがここで褒めないと、最終決戦でキョウコの爪が割れてしまうシーンが際立たなくなってしまうぞ。それでもいいのか?」

「いいよ超いいよどーっでもいいよ書く必要すらねーよそんな軽傷! あのね、何度も言いますが、読者が読みたいのは女子高生の日常じゃなく、ファンタジーなんです。あなたが生きてきた世界を正確に描写してくれれば、それでいいんですよ! お願いしますよ本当に! 俺、期待してるんですからね! ――」


 *


「――っていう話を先週したのに何なんですかこれは」

「何って、貴様が言ったのだろう。オレのいた世界を正確に描写しろと」

「確かに、俺は先週そう言いました、言いはしましたが――」


『――ユカリは地に伏したヌミミンから剣をゆっくり引き抜いた。

 切っ先から滴る血が、ヌミミンの見開かれた眼に落ち、涙のようにヌミミンの頬を伝い、ユカリのつま先を濡らした。ユカリは、罪悪感にじっと堪え心の中で呟いた。

(ごめんね、ヌミミン――)』


「……なに? ヌミミンって、何? わかんねーからとりあえずウサギの編みぐるみみたいなの思い浮かべてたら、二行目から速攻で思考が迷子になったんだけど?」

「貴様らの世界でいうドラゴンのようなものだ」

「じゃあドラゴンって書いてよ! なんだよヌミミンって、そんな可愛い語感からドラゴンみたいないかついもの想像できるわけないでしょうが!」

「厳密にはドラゴンとは違うのだ。ヌミミンはもっと鱗が薄いし、脚だって多く――」

「知らないよ! 全部ドラゴンに書き直してよ!」

「ヌミミンに相当する言葉がこの世界にないのだから、仕方ないだろうが! では貴様は、鉛筆を知らぬ者が似てるからという理由で、鉛筆のことをボールペンと呼んでもおかしくないと言うのか!?」

「う……」思わず言葉に詰まった。悔しいが正論だ。「わ――わかりました。ヌミミンが固有名詞ということであれば、このままでいきましょう。でも、それをふまえた上でも納得いかない箇所があるんですよ。特にこの、世界を守る最後の戦いに行く直前の仲間との会話のシーンですよ!」


『「――震えてるの?」ユカリのその言葉にアレスは首を振った。

「違うね、嬉しいのさ。やっと魔王の奴に、この腕の借りを返せるんだからな」

 アレスは自身の左肩を鷲づかみ、肉食獣めいた笑みを浮かべた。

「ヘッ、奪われた左腕が……スッポンコしてきやがったぜ」』


「何だよこのちょっと楽しそうな言葉、失った左腕どうなっちゃったんだよ!」

「まあ、だいたい『うずく』的な意味だ」

「じゃあうずくって書いて! 固有名詞じゃないしうずくでいいでしょ!」

「いや、うずくとはまた違うのだ、もっとこう、攻撃的なニュアンスというか」

「知らねーし伝わらねーんだよ読者に! 微塵も! この最終決戦前の一番盛り上がるところで、急に腕がスッポンコされちゃ台無しなの! 左腕どころか緊張感まで失ってどうすんだよ! それに――」

「まだあるのか……」

「ありますよ! 一番極めつけはこの、ユカリが聖剣を抜き勇者として選ばれるシーン――」


『ユカリは台座から引き抜いた聖剣の、曇りひとつない刀身をしげしげと眺めた。

「これが……聖剣ドチンコ……?」』


「バカか!」

「えっえ、なぜだ。これは固有名詞だろうが!」

「固有名詞だろうが何だろうがこれはダメに決まってんだろうが! 女子高生がドチンコ振り回すファンタジーなんか、不健全図書まっしぐらだ! この不健全図書がすごい2014のぶっちぎり一位だバカ!」

「だがユカリはドチンコを抜いたことによって、ジュルンをブルにギャッチョすることができるし、それによってカンボチャンボがプルンして――」

「わっかんねーよ! とうとう何一つわかんねーんだよ! とにかくこの聖剣の名前は断固としてダメ、俺の編集者としての誇りにかけて却下! さらに聖剣を神殿に持って行って清めるシーン、ここも! ――」


『ユカリは水瓶の女神像の前に立ち、清めの聖杯を掲げ、聖水招来の呪文を唱えた。

「チョコレートクリームチップフラペチーノ・トール!」』


「だからスタバ出すなっつってんだろうが!」

「スタバではない、ステラビークス神殿だ!」

「それで通ると思ってたのかアンタは! 世界中探しても、神殿で聖水片手に数時間ダベるファンタジーなんかねーよ! これもリテイク! 書き直し! あんだけ言ったのに、なんで性懲りもなくこんなの書いてくるんですか!」

「スタバに行かない女子高生なぞ、ロフトのない吉祥寺だ、深夜に食べるパンケーキだろうが! 貴様は何もわかってない、何もわかってないぞ、本郷!」

「なっ――」


 ――何もわかっていないのは、どっちだ。


 ザイラスの言葉で、俺の中の何かが切れた。

 そうか。いいだろう。そっちがそのつもりなら。

 意地でもスタバでダベる女子高生を書くつもりなのだとしたら、俺にも考えがある。


 俺は持っていた原稿の束を裏返し、そこに肘を置いた。


「……はあ。なるほど。もういいですわかりました。いいですよ? スタバ出しても」

「ほ――本当か!?」

「はい。そのかわり条件をいくつか出します。まず一つ、スタバのシーンは必ず冒頭に持ってきてください」


 ぬ? とザイラスは不安と疑問の混じった声をあげた。

 俺はお構いなしに言葉を続ける。


「二つめ。主人公は高校生のままでいいです、ただし、男女一人ずつにしてください」

「おい、ちょ、ちょっと待――」

「で、最初の展開ですが、そうだな、たまたま同じスタバに居合わせた二人の高校生が、ある日――」ふいにオフィスのテレビから、街に開いた謎の大穴に建物が呑み込まれたというニュースが聞こえてきた。「ある日、街に開いた大穴にスタバごと呑み込まれて、そのまま異世界に飛ばされちゃうことにしましょう。そこで――」

「待てと言っている! それでは全然物語が変わってしまうだろうが!」


 ザイラスが悲鳴に近い声をあげた。


「だって女子高生だと、どうしても世間話させたくなっちゃうんでしょ? だったら根本から変えるしかないじゃないですか。大丈夫ですよ、高校生の部分は変わってないし、スタバだって出てくるし、いっしょいっしょ」

「全く違う! 二転三転する会話のアングルや刹那性は、女子高生三人でなければ表現できんのだ! スタバだってそうだ、あれは学校とは異なる一種の位相空間としての役割があって――」

「あーはいはい、じゃあ三人でいいですよ。その代わり主人公以外の二人は異世界で天使と悪魔になっちゃうことにしましょ。対立する元友人二人の間で、葛藤する主人公! あっ、いいんじゃないですかこれ」

「もう女子高生関係ないじゃないか! オレは、立場も主義主張も違う女の子三人の、流動的で利己的な会話を表現をしたいのだ。天使と悪魔では、立場も主張も固まってしまっているし、全く意味がない!」

「はあ、そーです、か」


 相づちを打ちながら、ふとデスクのパソコンに目をやると、「国内で巨大な足跡が発見、巨人か?」というネットニュースの一文が飛び込んできた。


「あ、じゃあ天使と悪魔じゃなくて、天使と巨人にしましょう」

「は――はあ!?」

「だって立場も主張も違う三人にしたいんでしょ? 巨人の肩にのって天使と人間が旅をするなんて、キャッチーじゃないですか」

「いくらなんでもやりすぎだろう! なんだ天使と巨人と人間って、そいつらがいったい何の話題で盛り上がるというのだ!」

「そりゃまあ、かわいい服とか?」

「巨人と人間が同じ土俵でコーデ語れるわけないだろうが!」

「じゃあちっちゃい巨人にしましょう。二メートルぐらいの」

「充分でかい! よりでかさが生々しいわ! 何度言えばわかるのだ、オレが表現したいのは、天使とか巨人とかそういう記号に囚われない少女の姿なのだ!」

「わっかりました、じゃあ――なくしましょ。その辺の会話」


 電話の向こうでザイラスが絶句した。


「ね? ファンタジーと他愛ない会話が両立しないって、今のやり取りでわかったでしょ? だからもういっそ全部とっちゃって、剣と魔法と大冒険、そういう王道要素にページ割きましょ。あ、あと恋愛要素も欲しいなあ。アレスってキャラいたじゃないですか、アイツ実はユカリの初恋の人ってことにしません? ある日事故で死んだと思ってたけど、実は異世界で生きてたとかよくないですか?」

「い――いい加減にしろ!」


 ザイラスの絶叫が強く耳朶を打ち、俺は携帯を少し離した。


「さっきから聞いていれば、少し条件をつけるどころか、ほとんど全部貴様が決めている! これはオレの作品だ、なぜオレの好きなように書かせない!?」

「好きなように書いて頂いて結構ですよ。ただし俺は編集者です。ボツは出すし条件も出します。その中で、どうぞ好きに書いてください」

「あんなむちゃくちゃな、オレが書きたいものを、全部否定するようなあんな条件で、書けるわけないだろうが!」

「書けるわけがない、か。――甘えんのも大概にしろよ」


 俺は携帯を固く握りしめ、叩きつけそうになるのを我慢した。


「いいか、小説ってのは、自分の書きたいものと、出された無茶な条件を突き合わせて、飯も食わず、風呂も入らず、血を吐くようにキーボードを叩き続けて、世界にたった一つの妥協点を掘り起こすもんなんだ。世の中の小説は全部、そんな風にして作られてるんだ。書きたいように書いてる作家なんていやしない。全員が何かを呑み込んで、それでも小説を書いてんだ。ガキみてえにダダこねることしかできねえヒヨッコが、生意気言ってんじゃねえよ」

「たっ、確かにオレは小説家としてはヒヨッコだろう。しかしオレにもプライドがある。作品に対して守るべき誇りが――」

「プライドじゃないんですよ、そんなの」


 ザイラスは、えっ、と素っ頓狂な声をあげた。


「守るだの守らないだの……くだらない。目的のため、捨てられるものは全部捨て、燃やせるものは全部燃やし、そうやって自分の心を焼け野原にして、それでも尚残るもの――ふと気づいたとき、目の前に一輪だけ咲いているもの。守ったことにすら気づかなかったもの。それをプライドっていうんです。アンタのそれはプライドじゃない。黄色く濁った、自尊心という名の脂肪だ」


 ザイラスは何も言い返さなかった。俺はひとつ、短く息を吐いた。


「……もう締め切りまで時間もない。こんな無意味なやり取りを何回も続けるつもりもありません。次が最後です。俺の出した条件を呑み込むか、それとも、諦めて降りてしまうか。あなたが決めてください。では、原稿をお待ちしております。失礼します――」


 俺は静かに電話を切った。

 何も言い返さないザイラスの態度に、胸の奥がちりちりと痛むのが、我ながら情けなかった。


 *


 二週間後、ザイラスから原稿が送られてきた。

 この二週間、彼が俺の言葉をどう捉えたか。

 俺の出した最後通告を、どう受け取ったか。

 その全てが、この一つのファイルに詰め込まれている。

 そんな彼の原稿を、一ページ一ページ、貪るように読む。


 ――読み終えた俺の身体は、ほとんど反射的に動いていた。


 *


「ザイラスさん。俺です。本郷です。原稿、拝見いたしました」


 受話器からは何も聞こえてこない。


「なんで黙っているんですか。何か言ったらどうなんですか。原稿ですよ、原稿。読ませていただきましたよ」

「――何か、問題があったか」

「何か、問題が、ですって?」


 俺は握った拳を力任せにデスクへ叩きつけた。


「問題がないとでも思ったんですか、あれが! プロットと全く違う――いや違うどころじゃない。相変わらず女子高生が主人公だし、剣や魔法はおろか、出てくるものは、全部吉祥寺一駅で事足りるものばかり! 戦闘やドラマもない、あるのは他愛ない世間話と、どうでもいいコイバナだ! これまでの原稿の中で最もファンタジーとかけ離れている! どういうつもりですか!」


 ザイラスは再び沈黙した。俺は奥歯を割れんばかりに噛みしめた。


「当てつけのつもりですか。俺たち編集者に対する、嫌味のつもりですか」

「いいや」

「だったら、なんで!」

「――気づいてしまったんだ」


 ザイラスはゆっくりとそう言った。


「オレは、貴様のいうファンタジーを書くことも出来た。だがそれは、あの女子高生三人組をオレの過去の世界へ閉じ込める行為は――かつてオレがやったことと何ら変わらない。力と恐怖で全てを押さえつける、あの虚しい支配と、少しも違わない。そのことに気づいてしまったんだ」

「……だから、書き直したんですか。あの女子高生三人組が、ただの、他愛ない、刹那的で、利己的で、無邪気な、ただそれだけの小説に」

「そうだ」

「小説家になる夢をあきらめてまで書く価値があったと……思ってるんですか」

「結局、オレは誰かに伝えたかったんだ。戦闘と支配しか知らなかった哀れな魔道士が体験した、小さな感動の連続を、誰かに知ってほしかっただけなのだ。小説はその手段に過ぎない――そのことに、心を焼け野原にして、ようやく気づけたんだよ」


 俺は自らの額を拳で打った。勝手に自己完結しているザイラスに、たまらなく苛ついていた。


「……あんたは、おとなしくファンタジー書いときゃよかったんだ。本が売れれば、いつか書きたいものを書かせてくれる編集だって現れた。もっと多くの人に、あんたの本を読んでもらうことだって出来たし、俺みたいな編集者を、高みで笑うことだって出来ただろうが」

「……そうだな。そうかもな」

「もう全部無しだ。くだらない意地で、全部ふいにしたんだぞ、あんたが! わかってんのか、あんたも俺も、後戻りできないんだ。どうするんだ。こんなもの書いて、どうするんだよ!」

「捨ててくれ」


 後悔も何もない、憑き物の落ちたような声でザイラスは言った。


「それを送ったのは一種のけじめだ。本郷、貴様は正しいよ。正しくて、やさしい。だからこそオレはそれを書くことができた。だからどうか捨ててくれ。そして忘れてくれ。一瞬でも小説家に憧れた、哀れな魔道士なことなどな。すまなかったな、本郷」

「……さっきから勝手なことばかり……そんなことはどうでもいいんですよ。もう後戻りできないって言ったでしょう、俺はこれからの事を聞いてるんですよ!」


 俺は口元を歪め、デスクに額を打ち付けながら頭をくしゃくしゃに掻きむしった。


「入稿しちゃいましたよ、あの原稿! 女子高生の、しょうもない日常を切り取った小説を! ゲラがあがればすぐ出版される! ああ、もう!」

「なん、だと? なぜだ、いったい、どうして」

「どうして? なんで? ……面白かったからだよ! 編集者が本を入稿するのに、それ以外の理由なんかあるか! キョウコが、暑いからって卓上扇風機をスカートの中に入れて、盛大にめくれちゃう話も! 目薬苦手なマリエを手伝ってるはずなのに、マリエのまつ毛が長いとかいう話に脱線するのも! ユカリの手作りチョコを手伝うために、キョウコがどんどん人呼んじゃって、結局クラス全員にユカリの片思いがバレる話も! 何度読み返しても、お仕着せのファンタジーなんか目じゃないくらい面白かったんだぞ、くそっ!」

「読ん……だのか。最後まで読んで、くれたのか」

「読みましたよあんなもの! 売れるわけないのに、あんなもの! なんで俺、あんなの入稿しちゃったんだよ。編集部で笑いものだよこんなの、もう、どうすりゃいいんだよ俺はこれから!」


 俺は頭を抱えた。電話の向こうから、泣き笑いのような声が聞こえた。


「ククク……やはり人間は愚かだ。いや、貴様はその中でも、とびきりのバカ者だな!」

「ああ、もう、本当にバカだよ。くそ、笑えよ、このバカ野郎!」


 そのまま、俺たちはしばらく笑い合った。


*


 ザイラスの本が出版されてから一週間が過ぎた。

 反響はどうかわからない。怖くて調べていないからだ。


 ニュースでは相変わらず、巨人の足跡が発見されただの、湖からドラゴンが現れただのと、平和そのものなトピックが踊っている。世間全体がファンタジーに興味を示しているこの状況で、元異世界最強魔道士が描いたファンタジーものが出版されていれば、と、思わない日はない。

 しかし不思議と後悔はなかった。

 世の中に腐るほどある、妥協と欺瞞と嘘を束ねた本の中に、一冊だけ、本当に書きたいものとやらが混ざってても罰は当たらないだろう。たぶん。


「本郷さん荷物届いてるんで確認おねしゃす。本郷さんってか、ザイラス先生宛っぽいすけどね。好評みたいっすよ、流石っすね!」


 そう言って後輩が俺の足下に結構なでかさの段ボールを置いた。

 ――好評? 何言ってんだあいつ。そう思いながら段ボールを開けると、中から幾通もの手紙が出てきた。俺は首を傾げながらそのうちの一つを開封した。


『ザイラス先生の描く女の子たちが好きです! 続刊はないんですか?!』


 我が目を疑った。取り憑かれたように次の手紙も開封する。


『非常に楽しく読ませていただきました。心が十年若返ったようです』

『マリエちゃんちっちゃくてかわいい~~!』


 イタズラではなかった。段ボール狭しと詰め込まれた手紙――そのどれもが、ザイラスの書いた小説を心から楽しみ、溢れんばかりの作品愛をつたない文章で綴ったものだった。


『キョウコちゃんが好きです! 友だちに似てる笑』


 目頭が熱くなった。鼻の奥がつんと痛んだ。

 まさか。そんなことが。あの小説が、まさか――。


『片思いするユカリちゃんに、思わず心がスッポンコしちゃいました!』


 ――ん?

 今、なんか見慣れたけど見慣れない単語が目に付いたような。


『ユカリの真似して、手作りチョコに挑戦しちゃいました♪ ヌミミンの軟骨入りの特別製です! ザイラスさんにご賞味頂きたいんですが、編集部に持って行けばいいんですか?』

『配下に好評だった故に、余も読んでみたが、何と希有な小説であろうか。戦いに明け暮れた我らにとっては劇薬に等しい傑作であった』


 おい、待て。なんだ。おかしいぞ。少し思っていたのと違う。好評なのは嬉しいが、ウケてる対象がおかしい。なんだ、どうなってんだいったい――。


「うわ、ちょっと本郷さんテレビ見てテレビ! すっげ、なんだこれ!」


 後輩が素っ頓狂な声を上げた。オフィスにいる全員がテレビに釘付けになっている。その画面には、東京タワーに巻き付く巨大な蛇が映し出されていた。

 世界のあちこちに大穴が開き、そこから異形の生物や超能力を持った人間が現れたというテロップが、画面狭しと踊っている。


『――ある日、街に開いた大穴に呑み込まれて、そのまま異世界に飛ばされちゃう……』


 俺の脳裏にザイラスとの会話が蘇った。他愛のない適当な冗談だったはずだ。


 ……もしかしたら俺は重大な勘違いをしていたのかもしれない。

 ザイラスが異世界から来たのではなく、俺たちの世界そのものが、ザイラスのいた異世界に呑み込まれつつあったのだとしたら――。


 ふいにオフィスに震動が走った。全員が顔を見合わせた。


 俺は窓に視線を移した。眩暈を起こしそうになるのを必死に耐えた。

 向こうから手作りチョコと思しき包みを持った一つ目の巨人が、一歩、また一歩と、内股でこっちに歩いてくるのを、呆然と眺めた。


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― 新着の感想 ―
[一言] ちょっとだけ「世にも奇妙な」っぽいオチが好きです。 でも「キャラメル解毒ペチーノ」は反則だと思うwwwww
[良い点] すごくおもしろかったです!感動すらしました。 そして、やっぱザイラスは最強魔導師だったんですね…
[良い点] 登場人物の熱気とか情熱を感じ取った。 編集さんと魔道師さんの問答がプロジェクトXみたいな感じでした。 [一言] オチが読んでてちょっとイマイチ要領を得ないのですが、タモリの世にも奇妙な世界…
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