村人A
これは、企画『五神の国』の小説です。
読む前に、ユーザページのリンク先のホームページにある【世界観】を拝見願います。
賢の国の東。
即ち東方と呼ばれる地域に、シナンという小さな村がある。
その町の、木製の柱に畳、障子とわびさびを感じさせる家の縁側に、柱に体を預けて寝息を立てている少年がいた。
小柄で、東方出身の人間であることを示す黒髪は肩まで伸びている。かなりの優男で、一見すると女性のようだ。
彼の元へ歩み寄る少女がいた。
女性にしては長身で、少年と同じ黒髪はうなじが見えるほど短い。これまた東方の特徴である黒い瞳は、少女の気の強さを象徴するような釣り目に佇んでいる。
性別から何まで、少年とは正反対な少女だ。
「蛍っ! こんな所で寝てるんじゃないわよ!」
と、少女はホタルと呼ばれた少年を揺さぶりつつ声を投げつける。しかし、ホタルは微動だにしない。
「ちょっと! 起きなさいったら!」
少女は揺さぶりを激しくするが、ホタルは未だに目覚める様子はない。
「こんの――」
少女はホタルの手を握ったまま背を向け、姿勢を低くする。そして――
「起きろって、言ってるでしょーがー!!」
「かはっ!」
見事な一本背負いが決まった。
「痛たた……。煉、頼むから普通に起こしてよ」
「普通に起こしても起きなかったじゃない」
レンと呼ばれた少女は何故か得意げに言う。
ホタルとしては、そう言われると立つ瀬がなかった。
「というか、アンタちゃんと寝なさいよね。夜によ、夜に!」
「寝てるってば。でもさ、今日みたいに気持ちのいい天気だと、何か眠くなるんだよね」
「アンタってほんとお気楽よね……
まぁいいわ。それより、今暇でしょ?」
レンがこの言葉を発して碌な目にあったことはない。だが、さっきまで居眠りしていたホタルが暇じゃない、と言うには少々、というかかなり無理があった。
「うん、まぁ、ね」
「だったらさ、薪取ってきてくれない? 後少しでなくなりそうなのよ」
薪集め、か。
少々面倒ではあるが、それだけだ。別に断る程のことではないだろう。もっとも、元々ホタルに拒否権などありはしないのだが。
「わかったよ」
「本当に? ありがとう、助かるわ。
自分で取りにいきたいんだけど、今日は忙しくってさ」
レンは鍛冶屋の娘である。十七という若さでさらに女だというのに、もう一人前と言っても遜色のない腕前で、既に顧客が付いているのだ。
「そっか。相変わらず大変そうだね」
「大変そうじゃなくて、大変なの」
「はいはい。それじゃあ、早速僕は森に行くね」
「いってらっしゃーい」
と、ホタルはレンの出迎えられながら、薪を集めるべく村の近くにある森へと向かった。
薪の束を抱えながら、手頃な枝を探すホタルを見つめる二つの目があった。
息を潜め、獲物に気配を悟られないようにして見つめ続けるソレ。
ホタルが枝を見つけて屈んだ時、ソレはホタルに飛びかかった。
ソレは狼だった。しかし、ただの狼ではない。
隊長は裕に二メートルもあり、一つ一つが刃のような牙を持つ。
怪物と呼ばれるソレだった。
人間やエルフ、果ては獣人に魔族までをも無差別に襲う化け物。その凶暴性は敵という俗称に劣らない。
狼の牙がホタルの目の前――と言っても、向けているのは背中だが――に迫る。だが、ホタルは寸前で身を翻すことによって衝突を避けた。
狼は負けじとすかさずホタルに飛びかかったが、またもやさっと避けられ、続いて腹部に強烈な蹴りが入った。
狼は体制を崩し、大きく横に倒れる。
ホタルは狼に向かい、独り言のように呟いた。
「――怒槌」
途端、雷が迸り、狼は体を大きく震わせ、やがて動かなくなった。
自らの体内にある魔力を変換し、現象として現れる。魔法、という現象である。
「……あー、やっぱレンに頼みごとされると碌なことがないなぁ」
ホタルはそう呟いた後、落とした薪を拾って、何事もなかったように枝集めへ戻った。
ところで、魔法とは魔力を変換して自身のイメージ通りの現象を起こす手段である。
イメージを確実に再現するために、大抵の魔法は詠唱が必要になってくる。
メジャーな魔法には汎用の詠唱があり、上級の魔法使いは熟練によって改変したり省略したりする。
だが、詠唱を完全に省略し、魔法の名称のみで実用レベルの魔法のイメージを構築できる魔法使いは大陸中に数えるほどしかおらず、少なくともただの村人が使えるようなものではない。
それだけの話である。