−2℃
アイリスの目覚めは早い。
毎日カイルは庭で体を動かすが……
ブランケットを羽織り、すぐ傍のベンチに座り飽きる事無く観察している。
……時にはおやつ持参の時もある。
その後、カイルが朝食の準備をしている頃着替えを終えて、お気に入りのソファーに座り込みお気に入りのTVを見る……
カイルが食事を作らない時もほぼ同じ様に過ごしているらしい……
カイルも馬鹿ではない……アイリスは自覚はしていない様だが…彼女から自分に向けられている特別な感情にはとっくに気付いている……
あえて、その事には触れないでいるのだが
二人はあくまでも友達で魔力により繋がっている関係。
……この先もそれは変わらない………
筈だった。
「……カイル……おはよ」
「アイリス…おは…………よう」
庭で体をウォーミングアップしているとアイリスに声をかけられた……相変わらず気配は僅かだから気を抜くと心臓に悪い……その声に反射的に挨拶を交わし見上げた………声が詰まった。
いつものお気に入りのブランケットは持っておらずいつものウサギ柄のパジャマ姿でもなかった……
絹の様な淡い水色のネグリジェに身を包み 肩を思いきり露出させているその格好は彼女の見事なボディラインが強調され普段の彼女からは想像出来ない姿だった。
……直視出来ない。
それが彼の素直な感想だった……普段は魔素の移植とかする時に目にすることは勿論、触れ合う事もあるのだが、そこは人命救助だと意識付けている為か、あまり気にした事は無かったのだが……
そのまま平静を装い精神の統一を図る……いつも道りに型の構えを踏む。
「…ねぇ」
「…どうした?」
普段のアイリスならば終わるまで声をかける事などしない……
違和感を感じながらも話の先を促す。
「…私、毎日見ていたから気が付いたの……今の技には致命的な隙があると思うの……」
「…何?」
その言葉に動揺した……この型は誰かに師事され身に付けたものではなかった……以前から自分の中にあるイメージと交流のある道場の師範代の型を彼なりに融合させたものであった……
「マジ…か?」
「うん…マジ」
ベンチから立ち上がると傍にやって来る……その格好のアイリスをまともに見られない彼は自然と目をそらした……それがマズかった。
アイリスはカイルの背後から両手をまわし説明を始めた。
「だからこの構えの時に……」
「……?……!!」
「…?何?」
「…いや…何でも」
彼は背中に違和感を感じたがその正体が何であるか瞬時に悟った。
(……柔らかい……いやいや…ちゃんと話を聞かないと……)
アイリスが熱心に解説しその身体を押し付ける度にその悩ましい感触が伝わって来るのだった。
彼は何処にでも居る17歳の少年と何ら変わりのない少年だった……その異常とも呼べる力とアーガイルの態度のお陰で周囲は彼を過大評価しすぎている傾向がある……それらを除けばどこにでも居る純情な17歳の少年以外の何者でもなかった。
「…だよ…わかった?」
「…えっ?あぁっ!わかったありがとう……」
(……全くと言っていいほど、話を聞いていなかった……)
その返事にアイリスは満足げに頷くと部屋に向かうのだった。
それを見届けたカイルは大きく息を吐いて脱力するのだった……
『…なかなか気持ちよかったなぁ?カイル』
「…うるさいよ……アーガイル」
彼の右肩に眼が開き上目使いに彼を見つめる……見えないけど……
カイルは忌々しげに彼の肩にある魔導魔眼『魔王の隻眼』を睨み付けた……
『…どちらにしてもあの娘の気持ちには気付いてんだろ?やっちまえよ』
「…お前と一緒にするなよ……」
『それは悪かったな(こいつは決断力はある癖に、男女の話になると臆病だな……)』
アーガイルは呆れた風に再び目を閉じた……
カイルは大きく溜息をついた……
(最近……アーガイルに任せるとこういうの多いんだよな……)
深夜の探索のおかげで睡眠時間が大幅に削られ、日中にアーガイルと人格交代を行なうことが最近増えていた……彼ほどの能力があれば、容姿を変換する事無く人格のみの交代が可能だった……
それが彼を過大評価する原因の一つにもなっているとは思ってもいないのだが……
カイルとアーガイルの関係は少し変わっている。アーガイルは魔導魔眼のカイルの魔力から作られた魔導人格なのだが……その辺のモノとは少し勝手が違っていた。
主導権はカイルに在るが、基本的に意識の共有が出来ていない。お互いの考えは言葉にしないと伝わらないのだ……既にこの時点で異質な存在なのだが…………
基本アーガイルは遠慮が無い、そして我慢もしない、本能のままに振舞うと言っても良い。
だから知らない間に見知らぬ女性と知り合いになっていたり、デートの約束をすっぽかしたと怒られたり……極めつけは目覚めると隣に全裸の女性が寝ていたりもする。
そんな彼を周囲の男性陣が良しとする筈も無く、微妙な学園生活を送っているのが実情だった。
(便利だが……余り頼り過ぎても良くないよな……)
そう物思いに耽りながら朝食の準備を始めた……程なくしてアイリスがキッチンにやって来た。
恐る恐るその服装に視線を送ると……普段と同じ制服を着ていた。
カイルは安心したと同時に少し惜しいと思う気持ちに苦笑いした。
「……何か……飲み物ある?」
アイリスが珍しく蒟蒻以外の物を要求してきた……珍しい事もあるもんだ、とリンゴジュースをコップで彼女の前に差し出した。
「……ありがと……」
そう言って一気に飲み干した…………そのまま調理に意識を向けた。
…………めちゃくちゃ視線を感じた。
ふと見ると目の前にカウンターに座りこちらを凝視しているアイリスの姿があった。
「……TV見ないのか?」
「…………今日はいい」
ここに来て初めての行動に今朝の事もあるので少し警戒する……
しかしこれと言って何かをする訳では無い様なのでそのまま作業を続けた。
(……やれやれ)
カイルの気付かない所でアーガイルは溜息をついた……アイリスからカイルに向けて放たれる強力な『誘惑』を解呪しているのは他ならぬアーガイルだった。
(……しかしどうしたものかね?あの大人しいアイリスがこうも積極的に仕掛けて来るとはね……)
アーガイルはその呪文の効果の巨大さに苦笑いする…………対象はカイルのみ、内容は対象者を完全に虜にしてしまうほどの濃い呪文だ…………本気で食べる気だ……
(ただ視線だけは防ぎようが無いのだが……まぁそれ位は我慢して貰うしか無いな…………)
アイリスの見つめる中、必死で食事の支度をするカイルは調子が悪そうにも見えた……
アーガイルは知らない、いまカイルが必死に自らの感情を押し殺している事に…………情欲の感情を。
『誘惑の瞳』上級サキュバスだけが持つ血統魔法だった。
(……何故だ……こんな爽やかな朝なのにアイリスに対していかがわしい妄想をしてしまうのは!)
そのテーブルの上の皿をぶちまけて、彼女を押し倒したらどうだろうか?きっと彼女は拒まないだろう……それどころか俺のどんな欲望さえも受け止めてくれる事だろう。
なにを馬鹿な!彼女はこの俺を頼ってここに来ている……親御さんから預かっている大事な友人だぞ!?
……『人を愛する資格の無い』(・・・・・・・・・・)この俺が望む事では無い!
「……っ!」
そんな葛藤を繰り返している内に思わず指を切ってしまった。
「みせて」
すぐさまアイリスが身を乗り出しその手を捕らえた。
「大丈夫だ……たいしたこと無いから直ぐに…………!!」
アイリスは負傷した彼の左の一刺し指を徐に口に咥えた…………その……何と言うか……
舌の動きが…………エロい。
それはまるで生き物のように滑らかで柔らかく……そして温かい……繊細に優しく撫でるように……そして大胆に吸い尽くす様に……上目遣いに見据えるその目には怪しげに赤い愛欲の光が宿っていた……
(してやられたな)
アーガイルは今やアイリスから放たれる魔力と傷口から直接送り込まれる魔力に対処できないで居た。
元々カイルが与えた魔力が元に成っている為、この体への吸収は早い…………力づくで排除することも可能だがカイルはそれを喜ばないだろう……現に今も抵抗はしているがアーガイルに対して助けを求めては居ない……ならば俺のすべき事は今は何も無い。
「……んっ……」
アイリスの口から指が開放された……怪しく光る銀の軌跡が俺の心を掻き毟る……
アイリスはその手を自らの胸に押し当て…………
『いいよ』
耳元でそう囁いた……いいよ……いいよ……いいんだってよ!
もう十分頑張ったじゃねえか!本人もいいって言ってんだから…………やっちまえよ!
これはアーガイルの声だろうか?それとも俺の声?
もう何もかも考えられなくなっていた……アイリスの事以外は。
彼女の両肩を乱暴に掴み、そのまま床に押し倒した…………
彼女は両手を広げるような仕草で俺を受け入れ様としていた。
不意にドアが開いた…………流石は『結界破り(ブレイクスルー)』……空気の読めなさも一流だ……
しかし今回ばかりは彼女に感謝した。
「おは…………あ」
視線を交わし硬直する三人…………やがてその視線は非難の視線に変わる。
「…………あの……私としては朝からと言うのはどうかと……それに場所も選んだ方がいいと思うの
…………私が言う事では無いかも知れないけど……アイリスごめんなさいね……それとカイル…………
変態」
それだけ言うと再びドアを閉めてしまった。
カイルは立ち上がるとゆっくり厨房に戻り調理を再開した…………何故だろう?大事な事を守り切れたのだが、何か大事な物を失った気がするのは…………
アイリスはゆっくり起き上がると襟元を正し、紫音の去ったドアを見た。
「次はもう少し慎重にいかないと……ね」
それは誰に対して向けられた言葉だったのだろうか?その瞳は依然妖しく輝いたままだった。