ミッシング・タイム
「……?」
「……これは珍しい事もあるもんじゃわい」
あなたは困惑した……自宅のドアを開け帰宅したつもりだったのだが……
目の前には古ぼけた書物が山のように積まれた資料室の様な場所で、白くて長い髭を生やした見知らぬ老人が居た。
「…すいません、部屋を間違えました」
あなたは丁寧に謝罪しドアを閉めた。
まるでキツネに騙されたのかと思うほどの不可解さに納得の行かないまま振り返った。
そこには何も無かった……一面の闇…街灯も、車のライトの、ビルの明かりも全て確認出来なかった……
今度こそキツネの仕業かと内心焦り始める……その時、再びドアが開かれた。
「…お困りの様じゃな……入りなさい、お茶でも入れよう」
老人の言葉に従い中に入り今はお茶を頂いていた……
「…つまり此処は色々な世界の時間と空間の間にある世界で……えーと、時の記録者である貴方の研究室……に私は迷い込んだと……」
「…左様」
老人は頷くとお茶を飲み干した。
「…安心しなさい、お前さんの世界の座標と時間は記録が残っておるから直ぐに帰してあげよう」
その言葉にあなたは安心した。
「…しかしお前さんは実に運が良い……普通『トキワタリ』した者は異世界に流れ着くか、静止した闇の空間に未来永劫閉じ込められるからの……此処に辿り着いたのはお前さんが初めてじゃよ……と、言うわけで」
そう言って老人はテーブルの上に巨大な本を一冊取り出した。
中には色とりどりの球体の絵が描かれていた……
「ワシのコレクションを覗いてみないかのぅ」
老人が何かを唱えると本の中の球体が浮かび上がった……
「3D!」
「?…まぁこれはワシの秘蔵のコレクションじゃ、『記憶の球体』と言ってな、とある世界の大統領暗殺犯の記録とか……王家の結婚式とか……銀河船『ヤ・マート』の旅の記録とか……」
おもちゃを前にした子供の様に喋りまくる老人………話し相手欲しかったんだなぁ……
少し可哀想に思い少しだけ話に付き合ってみることにした。
「…?この真っ黒いのって何?…」
数ある球体の中で一際異質な存在があった……球体の中は暗く暗雲がうねる様に蠢いていた……私はそれに手を伸ばし………
「!それに触れてはいかぁぁぁん!」
老人の叫びと同時に指が触れた。
**********
一瞬の目眩の後私は立ち尽くしていた。
そこは普段見慣れた職場の近くの通り……に似ていた。看板の文字も見覚えのある表現だ
し、遠くから聞こえてくる音も日常で耳にするものと変わりがないように思えた。
気配を感じ横を向いた。
そこには淡い翠の髪とピンク色の髪をした二人の少女の姿とそれを取り囲むむさ苦しい黒服の男達の集団がいた……何だかキナ臭い場面だった……
流石にこの辺りは私の知る世界とは何か違うと感じられた。
みんなこちらを見ていた………自分を見ているのかと思ったが視線はその後ろを見ている様だった……
「…小僧…ここでお別れだな……所詮お前の力では何も守る事など出来ないのだ」
背後から男の声が聞こえた。
振り替えると襟首を掴まれた少年が高く持ち上げられ、今まさにとどめの一撃を受けようとしていた……
少女達は怪しげな薬品を嗅がされ意識が朦朧としているらしい……えーっと
警察呼んだ方がいいかな……
「…いやっ!……カイルっ」
翠の髪の少女が小さく悲鳴をあげた……
「…ちょっと!…あっ貴方達っ…けっ警察を呼びますよっ……!」
震える足に力を入れて二人の少女に駆け寄った……目の前の男に体当たりを…………する筈だった。
私の体は男をすり抜けそのまま少女達をも通り抜けた。
「…えっ?!はっ?ちょっ…admjgptwふじこっ?」
私は混乱した、私は……死んだのかっ?
『これは既に起こってしまった事実の記録でしかない……故に触れることも、結末を変えることも出来ないのだ……終わるまでの数分間、お前さんに出来る事は、ただ見ている事だけじゃよ』
頭の中にあの老人の声が響いた。
「見ているだけって……」
戸惑うあなたを置いて記録は進行してゆく……
「…あばよ…小僧」
男の手刀が少年の心臓目掛けて突き出された………
「?!」
その手刀は物凄い速度で少年によって掴まれた……あの至近距離で。
『……お前の言う通り……こいつはわかっちゃいない……こいつが言っている事は所詮子供の夢物語だ……だがな』
意識を失っている様子だった少年から聞こえるこの声に周囲の者は何故か震えが止まらなかった。
『…だがな……こいつの言っている事と行動は間違っちゃいない……』
少年の襟首を掴む手も反対の手で掴み、男の顔に苦悶の表情が浮かんだ……
男はついにその手を離しそのまま地面に押さえ付けられまいと方膝をついた状態から必死に耐えていた。
『…クックックッ……まだこんな幼いガキが係わるもの全てを救おうとしているのだぜ?……笑わせるだろ?だがその望みを実現させる為にも、我が存在するのだがな』
「?!暗黒の聖翼!!…」
角刈り男は少年の異変に声をあげた……その右腕上腕部には 『眼』が存在し、紅い翼の刻印が浮かび上がっていた……少年の白銀の髪はみるみるうちに長髪の黒髪 へと姿を変えた。
「!?貴様……魅いられる者かっ?」
男は困惑する……容姿の変貌は魅いられる者にはよくある現象だが…この凶悪的な魔力の増幅は有り得ない!
地面に押し込まれんばかりの力で押さえ付けられ遂にはアスファルトに亀裂が入った……その破片が重力を無視して宙に浮かぶ……
『あんな粗悪品と一緒にされるとは心外だなっ!』
強烈な蹴りを繰り出し、角刈りは数メートル後方に弾き飛ばされながらもフラフラと立ち上がった。
『…ほほぅ…なかなか頑丈に出来ているな』
少年は楽しそうに笑う……その笑顔は邪悪そのものだ。
「お前達!さっさとこのガキを殺せっ!」
その言葉に今まで固まっていた男達が動き始めた……
在る者は刀を……在る者は己の拳を…
恐怖を弾き飛ばすかのような怒声をあげて、少年に殺到した。 しかし少年は自分の手を握っては開き…そうしてポツリと呟いた。
『…いけそうだな……はぁぁぁっ!』
その拳に魔力を集めると一気に凝縮し解放した……その結果、この一帯にかけられていた「魔力封印」を「魔法効果解除」無しに魔力の爆発的な解放だけで打ち消してしまった。
周囲の男達もその魔力の波動に触れ、再び脚がすくんでしまった。
周囲の結界が硝子が割れる様に砕けるのが見えた……そこにすぐさま、新しい結界が張り巡らされて行く…
それは黒の刻印が障壁を編み上げる様に形成される異質な結界だった。
「何だこの結界は……?十二使徒の魔鏡か?……暗黒魔牢とも違う…」
男は立て続けに起こる不可解な現象に冷静さを失った……長年、戦場にその身を置いた経験から 今まで感じた事の無い程の、濃厚な死の気配を
身近に感じていた。
『後学の為にも教えてやろう……これは『魔皇帝の城壁』だ』
「魔皇帝の城壁だと?!馬鹿なっ!あれは『失われた魔法』だぞ!」
男は叫ぶ…有り得ない!…と
それはかつて、天界と魔界がお互いの存在をかけて争った神話の時代に用いられた拠点防御の結界だったと伝えられている。
なにせ古い文献にしか記録が残されておらず、その詳細は全くの不明だった。
『……違うな…これは防御の為の結界ではない……中で起こった事を外部に漏らす事が無い様にする為のものだ』
何故だろう?ただ…見ているだけなのに震えが止まらない……地面に脚が縫い付けられた様に動かすことさえ出来ないでいた。
それはこの場に居る男達も同じだった様だ。
「うっ…うわあああああああああ!!!」
男達の中の一人が耐え切れず、雄叫びと共にその手の獲物を振りかざし少年に襲い掛かった。
周囲の男達も同じように自らが持つ最大の力を発揮した。
-あるものは雷撃の呪文で
-あるものは業火の呪文で
-あるものは真空の刃の呪文で
-あるものは本能のまま、自身の体を獣化させて
その全てが一斉に少年に襲い掛かった。
あなたは息をすることも忘れその光景に魅入ってしまった。
天空から襲いかかる雷撃はその軌道をずらされ 煉獄の炎は少年の周囲の見えない力に勢いを殺され
真空の刃はその力を切り裂くことが出来ず、大地に力の痕跡を刻んだ。
火、水、風、土、全ての属性の魔法が彼の周囲を飛び交い、それはまるで煌びやかな花火の様に、この世の王を祝福するかのごとく辺りを鮮やかに彩った。
剣はその見えない壁に阻まれ、獣化した者の爪も牙も届く事は無かった。
角刈りの男-ガルムもその光景に歓喜していた…幾つもの戦場を渡り歩き捜し求めていたもの……
自分にはないそれを数百年間探し世界をさ迷い歩いた。
真たる魔族による世界の統合
それは完全なまでの力による支配そのものだった…古の時代、魔界は力あるものにより支配されていた強大な帝国だった。
いつのころからかその力を忘れ、平和の暮らしこそが当たり前の様に暮らし、魔族の本質を忘れてしまった愚かな民。
真に仕えるべき主を探し続けていた…今、その力の片鱗が、眼前に存在しているのだ。
『……さて、気は済んだかな?……もっと遊んでやりたいのは山々だが……そろそろ『彼』の意識が戻りそうなのでね』
-お別れだ……そう言って右手を宙にかざした- 刹那、空中に巨大な魔方陣が出現し一振りの黒い両手剣が現れた。
『……起きろ…食事の時間だ……『ソウルイーター』』
主の声に呼応して刀身にある巨大な眼が開き周囲を見渡す。
………ギギギ
剣先から赤い亀裂がジグザグに走り二つに割れる……それは絶望の顎……死神の牙
ギギギ……ギョギョ
魂を食らう邪悪な生物が産声をあげた。
ギャアアアアアアアアアアアアアアアア!
その咆哮に全員が耳を覆った。周囲のガラスは砕け散り、頭から降り注いだ。
力なきものはその声を聞いただけで魂を砕かれた。
次の瞬間、その剣が凄い速度で男達を切り裂いた様に見えた……いや、実際には体には傷一つ付いていない。
しかし全員がその場に倒れこみ、死人の様に虚ろな目をしたままだった……一人を除いては。
『ほう……『魂喰らい(ソウルイート)』を受けて生きているとは』
「……主よ…どうか私めに御慈悲を!!」
男は地面に頭をこすり付けるように懇願した。
『我が軍門に下ると言うのか?』
「たとえこの身が朽ちようと、未来永劫貴方様の僕にございます!」
『……よかろう、これより与えし試練に打ち勝ちその座を手に入れるがいい!』
その指でガルムの頭に触れ、術式をその脳内に打ち込む……その数3億4500小節
その全てを唱え終わったとき、この仮初の姿を捨て、真なる魔族の姿となり、主の元に仕えることが出来るのだった。
ガルムの脳は破壊され廃人同然…その頭にあることはこの術式を命が尽きるより先に唱え終わる事だけだった。
突然、先ほどまでの禍々しい魔力の放出が収まり、糸が切れたように少年はその場に崩れた。
周囲を覆っていた結界も糸が解けるようにその姿を消した。
暫くすると少女が一人ゆっくりと起き上がった……
「……カイル…」
その声を聞き、あなたは緊張の糸が切れたのかその場に座り込んだ。
まだ震えが止まらないままだった。やがて周囲がまぶしい光に包まれ………
気がつくと椅子に座ったまま老人の前に座っていた。
「大丈夫かな?」
「……えっ?あっ…はい」
「すまんのう……あれは簡単に見せていいものではなかったわい」
「……今のは…何だったんですか?夢?……」
「夢ではない……この狭間の空間にたどり着いたどこかの世界のどこかの時間の『記憶』じゃよ」
「記憶………ですか」
あの生々しい死の感覚を実際に体験したあなたにとっては実体験そのものだった。
「この記憶がどの世界の何時の時間…過去なのか、未来なのか全くの不明じゃ……内容を見たおぬしなら判る様に、この記憶を有している者は一人も居ない、この記憶が何を意味するのか全くわからん」
「はぁ……」
「さて、そろそろお前さんも帰る頃合かのう」
老人の言葉を聞くと急に眠気が襲ってきた。
「次に目を覚ましたときは、此処での記憶は一切覚えてはおらぬじゃろう……楽しかったぞ、機会があればまたいつか会えるかもしれんな……」
老人の言葉を最後まで聞かずして意識が闇の中に沈んでいった。
「あんた、大丈夫?」
母親の顔が目の前にあった……あれっ
「チャイムを鳴らしてなかなか入って来ないと思ったら……働きすぎじゃないの?」
「…そうかなぁ……それより何か大事なことを忘れている気がするんだけど……」
「先にご飯食べちゃいなさい、今夜はあんたの好きなアレだからね」
「!えっ!アレなの?うん食べる食べる」
あなたはドアを閉め家の中に入っていった……老人が言ったように、先ほどの記憶は無かった事になっている様だ……
いや、あの記憶は思い出さないほうがきっとあなたにとって幸せだろう。
「どうやら無事に帰れたようじゃの」
老人は覗き込んでいた水晶から顔を上げた……その水晶を手に取ると彼のコレクションである本の枠にはめ込んだ。
水晶は本の中に吸い込まれていき、やがて彼の新しいコレクションになるのだった。