閑話 シオリス 3
「カイル…お前…あれ程穏便にとか言っておきながら……」
「…すまん…ちょっと込み入った訳があるんだよ」
「それならそれで事前に連絡を寄越せ……」
机に座るラムゼスは眉間をほぐしながらカイルの話を聞いている…
講堂で理事長に呼び出しを受けた一行はそのまま理事長室に連れ込まれ厳しいお怒りを………受けなかった。
部屋に入るなりカイルとアウリュアーレはソファーに座り込みイリュはお茶の用意を始めた。
なんで皆んな手慣れた感じがするのかな?
その様子を初めて入室する律子とシオリス(紫音)は入口に立ったまま眺めていたがカイルに促されソファーに座る……
これ人をダメにするソファーだ!!
イングリットも黙ってラムゼスの後ろで秘書のように立っている。
そこでラムゼスは呆れた様に先程の言葉をこぼした。
「おじいちゃんどうぞ」
「おう…ありがとよイリュちゃん」
「イリュ私のお茶は無いんか?」
「あ?お子ちゃまはミルクでも飲んでろ」
イリュは手慣れた感じで専用の湯呑みにお茶を注ぎラムゼスの前に差し出した……アウリュアーレに悪態をつきながらもちゃんとミルクを用意している……ツンデレ……ツンデレだっ!!
講堂では遠目にしか見なかったけど……理事長であるラミゼスは人の良い好好爺にしか見えない……ほんとに祖父と孫にしか見えないんだけど……
「相変わらず美味いのう…さてと…シオリスさんと言ったね?何が目的かな?」
「…?目的?…」
「ん?なら言い方を変えようか…何を企んでいるのかな?」
「あぁ…貴方は私が誰か理解しているのね?」
「……」
ラムゼスは応えずににこやかな笑みを見せているだけだった。
先程までのほんわかとした雰囲気は消え去り、殺気にも似た緊張感が漂っていた。
「…敵意は無いわ…ヘラとマリーが言っている様に…感謝の気持ちがあるのは本当よ?この二人が絶望しきっていたのは本当だし…それで幸せな可能性を見せられたのだから…勿論私があれだけ苦労したのにあっさりと覆してしまうなんて……腹立たしい気持ちもあるけど……感謝の気持ちが強いのは本当よ?特に…カイルにはね」
ラムゼスはイングリットに視線を向ける…彼女は頷きシオリスの言葉に嘘が無い事を伝えた。
彼女の能力なのかそれともこの部屋にその様な術式が組み込まれているのか……とにかくシオリスに敵意がない事が証明された。
「…なんじゃ…お前らしくもないの……こんな簡単に『魅力』されるなんてな」
「…警戒はしてたんだけど…まさか『オルタ』の魔力残滓とは思わなかったんだよ…ゼロ距離から仕掛けてくるとは…お陰で中途半端なレジストになっちまった」
「はっ!どうだか……どうせ色香に鼻の下を伸ばしたんじゃろがい……全くうらやまけしからんわい!」
「…それはお前だろうが……助兵衛爺め……」
「へえ…他人の魔力を吸収したらこんな現象が起きるなんて初耳じゃの…確かに魔力はアイリスに近いが……全く本人と同じわけではないのう……」
「…ちょっと…アーレ…近いわ……紫音ちゃんが困惑しているから……」
「ほほう…しかもアイリスの記憶を持ちながら宿主も共生もできるのか……」
紫音がドレインしたワルプルギスの魔力はヘブラスカとマトリーシェを内包したアイリスをベースにしていたのだが…オルタナティブな存在の方だったのだ。
この現象は魔法学を専攻するアウリュアーレにとっては非常に興味深い現象だった。
「さて……では君は何を望むのかな?」
「…カイルに感謝の気持ちを「それはもう充分だから!」……じゃあ学園での生活を体験してみたいわ」
「…ふむ…では特例として今日だけ授業を受けることを許可しよう」
「いいの?」
「本当は良くないが…伝説とも呼べる人物とこうして話ができたお礼だと思ってくれ……細かい調整はイングリット……頼んだぞい」
結論としてアイリスの魔力の影響を受けた紫音……シオリスが体験授業を受けると言うことになった……
『それはいいけど…私欠席扱いとかにならないよね?』
そこは後日ちゃんと修正して貰えるのだった。
「へえ…検査はたいした事なかったんだ」
「……まだ本調子では無いから…迷惑かけるかもしれないけどよろしくね…」
「アイリスさんはまだ病院みたいだけど…大丈夫なのかな?」
「…ええ…悪いところはないから今は検査結果次第みたいね」
「そういえば…宮園さん?…はアイリスとイリューシャと一緒の事が多いよね?…同じ寮なの?」
「…ええ…縁があってね…律子とカイ……」
(ちょ!余計なお世辞とか言わないで!!)
「……と…ところで…どうしてずっとこの体勢なのですか?」
「……えっと……」
「朝に教室に来た時もその…こんな体勢だったよね?」
「…その…今はまだ魔力に少々問題があって…カイルに助けて貰ってるって言うか…」
「え?ま…魔力交換してるの!?」
その言葉に周囲がざわめく……そんなに珍しいものでも……あるか……
魔力交換とは魔力不足に陥った時などに相手と密着することで互いの魔力を循環させて回復させる方法だ。
今は魔導リングのタッチ決済機能を使って魔力のやり取りが出来るので今では古い手法として定着しつつある。
じゃあ何故それをしないのか?残念ながら今の魔導リングはシオリスの魔力を紫音の魔力とは認識しなかった為この方法しかないのだった。
「…ええ…カイルには助けられてばっかりで…」
「じゃあ今も魔力交換を!?」
「…え…ええ…」
「「「「「きゃああああ」」」」」
何故か女生徒から黄色い声が上がる…何故だ…
「…教室で美少女を膝に乗せてしっかりと腰に手をまわしている時点で悲鳴は上がってたけど?」
「イリュ…俺の心を読んだかのような回答をありがとう…魔力交換もやばいのか?」
理事長室を後にする際にシオリスが「あ…目眩が」と言えばカイルがすぐさまに抱き抱えた……
周囲の人々には今だに『魅了』の効果は切れていなかったらしいと思われたが紫音を人質にされているので従うしかないのだ……
そのまま再び教室にお姫様抱っこのまま戻り、簡単な説明を済ませた後,女性陣に取り囲まれたのだった。
「いや…君が彼女を過保護にしてるからだろうに…僕もして欲しいくらいだよ」
「全くだ…私の方が先だけどな」
カイルの後ろでは何故かイリュと律子が言い争いを始めた。
シオリスは女生徒との会話で忙しい様なので俺はここで椅子になっておこう。
「しかし…これ絶対お前の『アレ』が原因だろ?」
「やっぱり?イリュもそう思う?」
「…お前達……『アレ』とはなんだ?」
「「…………魔界侯爵令嬢……」」
「……は?」
聞けば律子が今世のマトリーシェがモウカリーノの店で売り出していた商品に興味を持ちアイリスと交渉した結果こちらの世界でも問題ない商品だけ販売の契約を結んだらしい……『マリーブランド』と呼ばれる衣料や小物など女性向けの商品が殆どだがその中の一品が『魔界侯爵令嬢』の書籍だった。
数あるシリーズの中で上位に入る人気シリーズが架空の人物であるヴァル様とベラとベルの双子の姉妹の恋愛小説である……何か馴染みのある名前だな……
その中で危険を回避するために魔力を使い切った姉妹をヴァル様が両膝に乗せて魔力交換を行うという有名なシーンがある………らしい……そのシーンが今女子高生を中心に話題になっているらしい……
「え?いつの間にそんな……先週魔界に行った時だよな?この短期間で?」
「ふふふ…前田崎グループを甘く見て貰っては困るな……来月にはコミカライズ版も発売だ」
「どんだけ人気なんだよ……」
「「前田崎!!」
入り口のドアが激しく開けられると、2人の女性が教室に乗り込んできた… 三年生のベルベラ姉妹……
ベルシュレーヌとベラディエンヌだった。
「なぜ我が家の家宝である古文書が大量に販売されているのだ?!」
「古文書?!」
「魔界侯爵令嬢だっ!!あれは初代当主様より代々我が一族にのみ受け伝えられた密書だぞ!!」
「密書?!」
新たな魔界の歴史ではベルゼーヴとベラドンナ姉妹がこのシリーズにどハマりしていたことを思い出す…似ているとは思っていたが彼女達はその子孫なのか……
そうか、家宝になっちゃったのか…確かに保存用を購入していた様な気がする……
マトリーシェが聞いたら喜びそうだな。
とりあえず、授業もあるので今度アイリスを介してマトリーシェと話し合いをすると言うことで納得していただいた。
帰り際に今回発売された新装版を渡して更に予約特典のヴァル様と双子姉妹のアクリルスタンドも渡しておいたので特に問題は起きないだろう。
「おい.…カイル…」
次にやってきたのは西園寺だった。
一瞬、膝にシオリスを載せる姿を見て何か言いたそうだったが……飲み込んで声をかけてきた。
「なぜお前が西園寺の秘術を使えるのか説明してもらおうか?」
「あ?あー別にいいけど……話が長くなるからまた今度でもいいか?」
「……ちゃんと説明してくれるならそれでいい」
妙に素直に引き下がるのを見て違和感を覚えるが、なんとなく察したイリューシャは空いているカイルの膝に座り彼にもたれかかった。
周囲の女子から再び悲鳴が上がる……『原作再現』とか『本家を超えた』とか……原作読んでないから意味がわからんのだが……
「おいっ!?」
「西園寺ぃ〜お前…約束はいいのか?」
「約束?」
その言葉にクラスの何人かが『そう言えば……』といった感じで思い出した。
「そういえば、アイリスと対決したときに何か約束していたよな?」
実際には、マトリーシェとだが
「いや、あれはその」
「……一応本人にも確認してみるわ」
シオリスはそう言って、自身のチャットルームの中のマトリーシェに説明をした。
シオリスの魔道リングからアイリスっぽく見えるマトリーシェのホログラムが浮かび上がった
「…何?イリュ……」
「ほら、以前授業で西園寺と賭けをしたじゃない?」
「……くさいおんじ?」
「さっ!西園寺や!」
「……そう言われたらそんな約束したような…どうでもいいことだからすっかり忘れてた」
「うっ」
地味にダメージを受けるくさいおんじ……いや西園寺……
「……私もやりすぎたし、無効でいいんじゃないのかな?特に見たいとも思わないし……」
「そうね……くさそうだものね〜」
「イリュ…お前…」
隠密状態のカイルをいじめていた事を根に持っているのか、女性陣からの容赦のない言葉にカイルは思わず同情した。
「やかましい男にニ言はないんじゃ!!」
西園寺は涙目になりながら教室を飛び出した……
その先から女性徒の悲鳴が聞こえてきた………あいつ大丈夫だろうか?
トリーとマキが追いかけていったから大丈夫だと思うが……
後日、聞いた話だと玄関先であと一枚の状態を必死にトリーとマキが押さえ込んでいるところを生活指導の先生に見つかりどこかに連行されていったらしい。
「さて…これぐらいやっておけば悪い虫はもうつかないでしょう」
『……明日からの学園生活が思いやられる…』
「何を言う…この姿での行為こそが効果があるのだ」
『…あなた達にはあっても私にはメリットなんてないわよ……』
チャットルームから外の様子を見ていた紫音は頭を抱えた……周囲の視線は何か生温かい物を含んでおりカイルと紫音を見つめるそれは実家の母親の様であった。
「………まあ良い…この後は、学園生活を堪能させてもらうわ」
その宣言通り、この後は何事も起きることなく、シオリスは模範的な生徒のように授業を受けていた。
過酷な時代に生きたヘブラスカとマトリーシェにとっては何もかもが新鮮で年相応の反応を見せていた。
オルタにしても日常生活を楽しむ余裕はなかったのかもしれない…本人は素直には言わないかもしれないが……どこか嬉しそうにしている印象を受けた
「感謝するぞ紫音……いい経験になったわ」
「…それは何より……」
「…ごめんね紫音ちゃん…でも本当にありがと」
「…対価としては少ないかもしれんが…紫音でも使えそうな魔道書を用意しておいたから有効利用してくれ」
「…それはちょっと助かるかも」
「何かの役に立つかもしれんから、スキルトリガーの手順書も残しておくからな」
「そんな物騒なものは要りません!」
紫音のチャットルームではヘラとマリー、そしてオルタによるお茶会が継続していた。
「…そろそろ時間だな」
オルタの言葉と同時に、3人の体から小さな光が立ち登り始めた。
「すまんな…ろくに恩も返せぬまま去ることを許せ…紫音…お前は強い…力や魔力ではない……心の強さがだ……これからもアイリスを頼むぞ……あとカイルによろしく」
言いたいことだけを言うとヘブラスカは光の粒子となって消え去った。
「…紫音ちゃん…色々ありがとう…いい思い出になったわ…沢山迷惑をかけちゃったからごめんね?これは…私がネアトリーシェから教わった魔法薬の作り方をまとめたものよ…何かの役に立つかもしれないから貰っておいて欲しいな…うふふ…私は弟子をとってこの技術を伝える事ができなかったから紫音ちゃんが私の弟子になるのかな?…アイリスをよろしくね…それとカイルによろしく」
マトリーシェも同じように言いたい事だけを言って消えていった…しかしその瞳が潤んでいた事に気づき、思わず紫音も目頭が熱くなってしまった。
「さて…私から贈り物はこの賢者に伝えておいた…何かの役に立ててくれ……紫音、アイリスは強くなった……しかし根の部分は弱い少女だ…紫音の様な友に恵まれた事は幸いだ……よろしく頼む」
チャットルームからオルタが消え去り何時もの様な平穏が戻ってきた。
『…賑やかだったな……』
『ええ…また何時もの日常に戻ったのね…』
「クロン…シロン…」
チャットルームの中は賑やかでこの二人も満更では無かった様子だった……
『じゃあそろそろ……』
「?」
『紫音……自分の足で歩こうか?』
「!!降ろして!大丈夫だから!!」
「!?おっ…おう……」
下校の際も玄関で『あっ…目眩が……』とふらついたシオリスにお姫様抱っこを要望され、そのまま寮まで帰って来ていた……玄関に入る寸前で急にシオリスから魔力が霧散し、そこにはただの紫音が残された……
自分が今、抱き抱えられている事に気が付いた紫音は耳まで真っ赤にして講義の声を上げた。
「あ、元に戻ったみたいね」
「紫音〜!」
地面に降り立つと同時にイリューシャが飛びついてきた。
『余計なことを言うと、動揺して魔力がついうっかりとんでもないことになるかもしれないからな』と、シオリスに脅されていたイリュはその言い付けを守り紫音が無事に解放されるのを待っていたのだった。
その後は無事に夕食を済ませ就寝となる……長い一日だった……今日の事を思い起こせば明日からの学園生活が悩ましいが………結局彼女達の魔力は消え去ったが……前髪の一房だけは変色したままだ……
「生活指導で引っかからないよね?……」
程よい眠気が襲い、紫音は思考を手放した……
「ああ…長い一日だった……」
『全くお前は飽きさせないな……』
『そうよ!カイルばっかり!私だってシオリスちゃんを抱っこしたかったわ!』
湯船でくつろぐカイルの両肩には魔導魔眼となったアーガイルとミカイルが現れていた。
『………まあ…ゆっくり休め……』
『!!そうね……おやすみカイル…』
「え…ああ……おやすみ」
いつもならしつこく話しかけてくる二人は大人しく姿を消した………一応、気を使ってくれたのだろうか?
湯船を堪能したカイルは洗い場に移動して頭を洗い始める………
「しかし…明日からどうするべきか……パンデミックの術式はもう無効だし…今日だけでかなり姿を見られてしまった……隠蔽するのも…『伝え忘れたのだけれど』おおおおおお!?」
突如耳元で囁かれ、不意に背中に柔らかい感触が覆い被さった………
『アイリスを助けてくれてありがとう……貴方にはちゃんとお礼を言ってなかったわね』
「オ…オルタ?何故…紫音の体でこんな事は止めて貰えないかな?」
『ふふふ…ちょっとしたお礼よ』
視線を向ければ紫音の顔がすぐ横にあった……変色していた髪が全て元通りになっている……
「髪に魔力を残していたのか……」
『あんな事を引き起こした手前……みんなの前では言いにくくて……でも貴方への感謝はちゃんと言っておきたくて』
「そうか……それでこの後はどうなるんだ?…変に体を動かすのは止めてもらえませんかね?」
『うふふ……お礼だって言ったでしょう?……この後は迎えが来るから大丈夫よ?』
「迎え?」
その時浴室の引き戸が勢いよく開かれた。
「……お待たせ……」
「アイリス……ちょっと待て!なんでお前まで裸なんだ?!」
「……お風呂に入るなら裸は当然……」
そのまま真っ直ぐにカイルの隣に来る……
「せ…せめて隠せよ……」
「……サービス……オルタ…ちゃんとお礼は言えた?」
『アイリス……貴女にも感謝を……これからは貴方の人生よ……がんばってね』
「……大丈夫……さぁ…時間がないから帰ってきて」
『いや、私はこのまま消え去るべきだ』
「…オルタ…あなたも私の一部…あなたもアイリスなのよ?」
『!!…全くお前はどうしようもないほどの甘ちゃんだな』
不意に紫音の瞳から一筋の涙が流れ落ちた。
『…帰るべきところがあると言うのは良いものだな』
アイリスの手が紫音の頭に置かれると紫音は気を失った様にカイルにもたれかかった。
「おいっ!?」
「……大丈夫……オルタは私の中に戻った……」
「そうか……良かったのか?」
「……うん……みんな幸せ……」
あのままアイリスは本来の自分を取り戻す事も出来た筈だ……だがマトリーシェとオルタを取り込む事で再び魔素の体内生成に支障が起きる状態に戻ってしまった。
検査の結果、以前よりは魔素が生成されており日常生活には支障がない状態だったが抱える存在の大きさに、感情表現が出来なくなっていた。
「……さて…じゃあ私にする?それとも紫音?」
「おいおい…俺はそんな礼儀知らずでは……」
「……あれ…?アイリス?……え?私なんでお風呂に……!!!」
ああ…オルタ…何故もっと紫音を眠らせて置いてくれなかったのだろうか?
紫音の悲鳴が響き渡りカイルの頬を張る気持ちの良い音が響いた。