閑話 シオリス 2
「おはよう」
その声に振り返ると紫音がリビングのドアを開けて中に入って来た所だった……昨日の状態とも、また少し雰囲気が違う様な気がする……しかし見た目は紫音そのものだ。
「おはよう…紫音…か?」
「当たり前じゃない…と言いたい所だけど……そうね、今の状況を簡単に説明すると…昨日マリーとヘラの魔力を随分と消費したおかげで残っている魔力はアイリスの魔力なのよね……」
「……」
彼女の後ろにはイリューシャが大人しく付き従っている。
常に紫音を優先するイリュが何も言わない……という事は本当の事なのだろうか?
「昨日あなたが大変な目にあったのはわかっているわ…大丈夫…今は私があの二人の魔力を管理しているから…アイリスの魔力と私が融合した状態…シオリス…いったところかしら?」
「シオリス…」
「そんな心配そうな顔をしないで?今日一日この状態でいれば、おそらく魔力は全て消費されるわ」
そうであってほしい……カイルは切実にそう願うのだった。
しかし、願いは早くも崩れ去った。
「へぇ…これが学園か…」
「!!お前…マトリーシェか?ヘブラスカか?」
「やぁねえ…シオリスだってば」
「……」
その言葉が本当なら紫音もアイリスもこの学園の事はよく知っているはずだ。
見る物全てが珍しそうに振る舞う彼女の中の人は一体誰なのだろうか?
それでも何も言わないイリューシャに視線を向けると大人しくしてるので危険は無いはず……よく見れば涙目だ……これ絶対脅されて従わされてる!!
「おはよう…紫音…紫音?」
「あら…律子…おはよう…やあねぇ…そうに決まってるでしょう?」
「どうなってるの?」
そこに数日前から実家に戻っていた律子が合流した。
昨日からの出来事を簡潔に説明すると律子は納得した様なしていない様な顔をした。
「つまり…シオリス状態で居る事で体内の魔力消費を高めている訳ね…そうね…効率は良いみたいだけど…燃費にムラがあるみたいね……」
「…そこまでわかるのか…流石に魔学士は伊達ではないな…」
「!!」
「!おいっ!」
突然目の前で紫音…シオリスがよろけた為,咄嗟にその腰に手を回した。
「大丈夫か?」
「……やっぱりこの体にはこの魔力は扱い辛いわね…」
シオリスが前髪をすっと撫でると一房ほど真っ白に変色した。
余剰魔力を一時的に貯蔵するための措置のようだ。
律子が髪の毛を手に取って鑑定する……
「…うーんアイリスの魔力の消費量に対して紫音の魔力が追いついていないんだね……同じ割合に合わせてごらん?」
「魔力消費しようと全力を振り分けたのが良く無かったわ……暫くこれで様子を見ましょう……」
そう言って体を預けて来た。
「お…おい」
「魔力が安定するまで動けそうに無いわ……連れてって」
「……」
「……ねえ…流石にこれは違うのでは?」
普段では考えられない紫音の行動に律子も違和感を感じた様だが、何も言わないカイルとイリューシャを見て何か理由があるのだろうとそれ以上の詮索はしなかった。
「ふふ…お姫様抱っこってやつね…悪くないわ」
「はいはい…それは良かったですねお姫様」
なんでも無い様な会話をしているが既にそんな行為をしている事がどの様な結果をもたらすのか今のカイルには考える事が出来なかった……互いが触れ合うゼロ距離からの『魅了』は彼も気付く事なく浸透してしまった。
彼女を手助けする事は正しい事だ……そう認識してしまっていたのだ。
(…カイルのやつアイリスの魔力だからって油断したな…同じアイリスでもコイツは恐らくオルタの方の魔力だからな…)
状況をただ一人冷静に分析していたアーガイルだが、この先の状況が楽しみな部分もあるので黙っておくことにした。
橘真理亜は高鳴る胸の鼓動を抑えながら席に座っていた……えっ?誰だって?カイルの席の隣のモブですよ!
つい先日隣の席の男子がとても有望なことに気がついた……何故かその後ちょっとその事を忘れていたのだがここ数日、はっきりと思い出していた。
カイルの仕掛けた記憶操作の魔法は定期的に魔力を消費して同じ幻覚を掛け直さなければならない継続型であった……その為、学校が休校になる事によりその効果を急速に失っていた。
そもそもカイルがこの件を忘れていたのだから…もう打つ手無しである。
教室のドアが開き、周囲にざわめきが起こった…きっと彼が登校して来たに違いない。
気配は彼女の後ろを通り過ぎ、隣の椅子に着席した……真理亜は意を決して挨拶した。
「あ、あの、おはよう」
「……おはよう橘さん」
「みゃっ??」
返ってきたのは予想すらしていなかった女性の声に思わず視線を向け、そこにいる美少女に思考が停止した。
さらに椅子に座るカイルの膝の上に横抱きにされた彼女を見て変な声が出た……
(あーこれはもうどうにもできない奴だ)
彼女の心に諦めと言う文字がすっと収まった。
他のクラスメイト達もカイルが登校して来たと思ったら女性をお姫様抱っこで教室に入ってきたのだ。
ある意味事件ではあるが、その姿を見た全員が納得という言葉を脳裏に浮かべていた。
「ちょっと馬鹿じゃないの?!やめてよ!!」
『何を不満に思うところがあるのだ?この優秀な男を身近に置いておく事は利益しかないだろ?』
「不満しかないんだけど?!」
チャットルームの中で、優雅にお茶を飲むヘブラスカに対して紫音は抗議の声を上げた……
その隣ではマトリーシェがクッキーを齧っていた。
正面でお茶を飲むアイリスに至っては全く動じてすらいない……
『それに今、体の行動権を持っているのはアイリスだもの…私達はただ感覚を共有させてもらって、社会勉強しているだけだから…ねー?』
「昨日あれほど遊んでおいて!何を今更…あんなに絶叫マシーンに乗ったお陰で今日はなんだか声の調子も良くないし…とにかく!これ以上!こんな恥ずかしい真似はやめてもらえないかしら?」
『…紫音?…それは間違い…紫音はもっと彼と仲良くしたほうがいい』
「…いや、言ってる事は正しいのかも知れないけど……仲良くの意味が違わない?これってアイリスがお姫様抱っこされたいだけでは?」
『これは私達からの詫びでもあるのだ…』
「詫び?何処が?」
『この子は変に人気があるじゃ無い?なので今回絶対的な正妻の存在を周囲に認識させる事で女性問題を一気に解決してあげようと思ってね』
「だから、それに私を巻き込まないで欲しいのですが……」
『紫音のその眼も重要な保護対象だもの…悪い話ではないと思うんだけどな』
「うぐぐぐ」
このキノコ男の事はどうでもいいが、私の眼に関する事では知識のあるカイルと共にある事はやぶさかではないが………正妻がなんだか知らないがそれはイリュとアイリスに任せておけば良いか……
『あら?理解してくれたみたいね…大丈夫よ任せておきなさい』
いや、不安しかない。
『どうします?排除しますか?』
膝の上に乗せていたモフモフ人形となっているニトロが物騒な念話を送ってきた。
あれ以降、彼はこの姿でいる事が多い…このぬいぐるみに憑依する事で消費魔力を抑えられるとか何とかかんとか……
実際はシロンやクロンがもふもふする機会が増えたのでむしろそれが狙いなのでは……?触り心地は最高だもんね〜もふもふ
(いえ…彼女達からしてみれば、純粋にこの世界を楽しみたいと言う気持ちもあると思うの…)
目の前で楽しそうに語り合う三人は紫音と同世代の年頃の娘にしか見えない…彼女たちの過去を知ってしまった今となっては他人とは思えない部分を感じでしまっていた。
『紫音様はお人好しですね』
(うるさいわね…この魔力であるアイリスもマリーもヘラももうすぐ消えてしまうんだもの…命に関わる訳でもないし…恥ずかしいぐらいなら我慢できるわ!)
最後ぐらいは良い思い出を持って逝って欲しい……
(……だと良いのですけどね……)
「お前ら席につけ、出席をとりゅぅえあああああっ?!」
教室に入ってきたイングリッドが変な声をあげた。
「カイル!紫音!お前達何をやっている?!紫音?」
「先生…気分がすぐれなくて…落ち着くまでこのままで居させてください」
「いや…それなら保健室に…」
「!!そうだな…保健室だ!何故気がつかなかったんだろう?まさかお前達俺に何か魔法……『なんだかさっきより気分が悪くなった気がするわ……紫音に悪い影響がなければ良いのだけれど…』…リット!これは人命救助だから大丈夫だ…問題ない」
「問題しかないでしょ?!あと先生と呼びなさい!!」
そんなこんなで騒いでいると予鈴が鳴り、そのまま講堂へと移動になった…
『先日は不注意から事故を起こしてしまい……』
「…いいかげんそこから離れろ」
「うふふ…先生…嫉妬ですか?」
「ちょっと!声を抑えて抑えて!!」
(あいつら何をやっとるんじゃ……)
壇上で挨拶を述べている理事長…ラムゼス・フォン・アガルトリアは後方で騒ぐ彼らに眉間を寄せた。
あれ程目立ちたく無いとか言っといて…事件の後始末やその他諸々の処理を丸投げにした挙句に今、悪目立ちをしているのはどういう事だろうか?
ラムゼスはこのユグドラシルの設立と運営に当初から関わったメンバーの一人である。
故に各国の財界や魔法学界などに強い影響力を持っており今回のアイリスの暴走の隠蔽に大きく貢献していた。
(そんな頑張ったワシの話を聞かずに騒ぐとはけしからんのぅ…)
『…そこの後ろの生徒…静かにしなさい』
「っ!?…はい」
ワシの声に周囲の生徒が一斉に視線を向けた。
流石のカイルも焦っている様じゃな…ふおっふおっふおっ…魔界に行っていたらしいがワシにお土産がなかった事は許さんからの…
「くそっ…ラムゼスの奴…土産が無いからといってこんな嫌がらせを……!」
「…いや、流石にそんな事は無いだろう…」
理事長の挨拶が続く中、クラスの後ろではイングリットとカイル達の話し合いが継続していた。
「あーカイルなのじゃ」
修羅場の様な空間に突如砂糖をぶちまけた様な甘い声が響いた。
桃色のゆるふわな髪を靡かせて一人の女子が背後からカイルに飛びついた。
「アーレ?」
「はーい、貴方のアーレなのですじゃ」
アーレ……アイリスのもたらした大破壊の尻拭いをさせられた少女…アウリュアレだった。
テレビでは気が付かなかったが彼女の身長は……小さい…一瞬中学生かと思ってしまった……
彼女は犬のようにカイルに頬擦りしマーキングをしている様な印象を与えた。
「アウリュアレ?!貴女今は……」
「先生こそ何してるのじゃ?ここは生徒席じゃぞ?」
「!!」
お子様の様な印象を受けたがイングリッドを指摘するその声と視線は鋭さを含んでいた。
言葉を失ったイングリッドに満足したのかそこでシオリスの存在に気がついた。
「あれれ…アイリス?みたいだけど違う子なのじゃ」
「ああ……話せば長くなるんだが……」
「アーレ様!」
そこに新たな人物がやってくる……アーレとは対照的に身長が高くその長い銀髪で左目が隠れているがその目には鋭い光を宿していた。
「ああ…すまんのじゃ…ミルフィ…」
「アーレ!カイルから離れろ!」
「…なんじゃ…イリュ…いたのか」
その言葉にイリュが手を伸ばし……た所でミルフィに阻まれた。
「イリューシャ…アーレ様に触らないで貰おうか…バカが感染る」
「はあ?なんだミルフィ知らないのか?馬鹿には馬鹿は感染ら無いんだぞ?」
長身の二人が胸を押し付けあって互いを威嚇している……二人共高身長なので迫力は凄い……身長も大きいが胸の方も大きいので色んな意味で目が離せない。
男子生徒の間ではこの間に挟まれたいと思っている奴は多い……
「……それってイリュが自分を馬鹿だって認めてるってことよね?」
「…成績という観点では二人は同類だがな…」
「……同類なんだ……」
律子がイングリッドの会話に先日のテストでイリュが「一桁だったから答案を燃やしてやった」と言っていたのを思い出した……同類なんだ……
「ふむ…なんか変に魔力が混じっておるの…」
「あら?流石はアーレね気がついちゃった?」
「ふふん!ワシは出来る子じゃからな」
シオリスの言葉に機嫌を良くしたアーレは慎ましい胸を精一杯張り得意げな顔を晒した。
「…相変わらずチョロいな…」
「…ちょっと心配だわね」
そんな態度をイングリットと律子が静観していた。
イリュとミルフィは互いのおでこをくっつけたまま睨み合っているし…カイルもシオリスもアーレもマイペースだし……
ふと、壇上のラムゼスと視線が交差した。
「あ、やば…」
『お前ら理事長室に来いっ!!』