シン・暗き森のマトリーシェ 16
「今日は新作のケーキを作りました」
「やった〜!マリーお姉ちゃんのケーキは美味しいもんね〜大好き」
リーネがウキウキしながらマトリーシェの後ろをついて歩いていた……最早、女王の威厳など微塵も感じられない。
作戦を遂行するにあたり、王都であるヘブラチカに滞在していたマトリーシェ一行は連日暇を持て余し、彼女の中のイリスの知識にあるショートケーキや、チーズケーキなどの現代の洋菓子の再現に成功した……その結果リーネを始め城で働くメイド達の胃袋をつかんでしまった。
いつもならばリーネの側で置物の様に不動の状態のレイヴンですら、この試食の時間になると仮面を外し既に着席している…護衛は良いのか?
新作の試食会はまず母親である私達が中心に行われる……そこにどうしても立場上、女王とその護衛が加わるのは致し方ない…実際美味しいだから。
「みんな届いたかしら?今日はラズベリーのホイップクリームたっぷりのレアチーズケーキです」
「えっ?名前だけで幸せ……」
「リーネ…口元を拭きなさい…はしたないぞ……じゅるり」
「あなたたち二人共垂れてるわよ…」
全くマリーは、なんてものを作るんだ!!私の大好物じゃないか!
なんて、親孝行な娘なんだ!!と思いながら、私は席に着き、フォークを手にすると、記念すべき一口目をいただこうと手を伸ばした……
一瞬の浮遊感の後に周囲の景色が一変した……目の前には美味しそうなケーキではなく、満身創痍のヴァルヴィナス一行がこちらを見ていた。
「あれ……わしのケーキは?」
満面の笑みを浮かべて、ケーキを食べようとしていたネトリーシェが光の粒子となって消え、その場に完全武装のカミュが現れた……先日二人が契約した際に得たスキル『位置交換』である。
「マリー!!無事かい?!」
「カミュ?どうしたの一体……」
「向こうは罠だ!!本命はこっちだ!!」
カミュの声に反応してリーネとレイがすぐさま武装を身に纏った……口元にクリームがついてるのは見なかった事にしよう。
やがて、強い揺れが王都全体を襲った…街の中央付近に巨大な土煙が上がり、地中より巨大な蔦が吹き出し塔の様な巨大な植物の形を形成した。
巨大な植物は王都全土に根を張っており、各所で巨大な植物が吹き出し、その先端の薔薇が黒い瘴気を周囲に撒き散らし始めた。
『えっ?!何これ…こんなの私の清楚なイメージが悪くなっちゃう…』
一際巨大な中央の植物の上には巨大な黒い薔薇が花開き、その中央に白いドレスを身に纏った生物が意味不明な言葉を呟いていた。
「やはりローズクイーン!!これが本体かっ!!」
「あれが使徒なの?」
「マリー!!危ないっ!」
カミュがマトリーシェの腕を引き、後ろへと飛びのいた。
同時に、巨大な何かが窓際を破壊し白の外壁の一部が大きく削り取られた……
「物理防御の術式が組み込まれた外壁をいとも簡単に!!」
『あら〜?私ってなんて良いタイミングなの?私も甘い物大好き』
続いて、巨大なバラが近づいてきたと思ったら、その中央のローズクイーンが単身乗り込んできた。
南方の遺跡で戦ったローズクイーンと同じ衣装を身に付けているが違うのは長い金髪と目元を覆い隠している仮面の存在である。
「マリー下がれっ!」
全員が戦闘体制のまま対峙する……それを呆然と見ていたローズクイーンが何か思い出したかのように言葉を発した。
『あっ…えっと…我が名は……ローズクイーン?…この魔界のすべての生き物は皆殺しだ?……しかし!可愛い子は私のコレクションにしちゃおっかな!』
今一つ言っている事がよくわからない……情緒不安定なのだろうか?
リーネとレイヴンも困惑した様子で動向を窺っている。
『本当はこんな事したく無いんだけど〜でもアイツに貴女達に触れさせるのは嫌だし〜ちょっとだけ我慢しててね?』
ローズクイーンが手を打つと、全員の目の前に黒い薔薇の花が突如現れた。
カミュは本能的にそれを切り伏せると瞬時に後ずさり周囲の様子を伺った。
「マリー?」
黒い薔薇は何もせずとも、その場で弾けて消え去り、周囲に黒い瘴気を撒き散らした。
それを吸い込んだ護衛や侍女達は混濁し、その場に崩れ落ちた。
対処できたのはカミュを含めリーネとレイヴン…その配下の数人の護衛達だけだった。
マトリーシェは意識を失い、ローズクイーンの腕の中でぐったりとしていた。
「貴様っ!マリーを離せっ!!」
『あらっ?反応できたのね。すごいわ…』
カミュ自身理解している…本能的にこの相手には『勝てない』と……それはリーネやレイヴンも同じ様だ……
それでも……
「マリーを返せっ!!」
瞬時にローズクイーンに肉迫し、上段からの振りおろしを繰り出した…
彼女の目はこちらの動きを見ていなかった……が、カミュの剣は何気なく差し出された指先に掴まれていた。
「なっ?!」
『気持ちはわかるけど……今は大人しくしていてね?大丈夫…ちゃんと彼女は返してあげるから』
彼女の顔がこちらに迫りふっと息を吹きかけると黒いモヤが吐き出され、カミュの意識はそこで暗闇に包まれた。
『なにこれ?!違うよ!違うのよ!!私ちゃんと毎日歯磨いてるからね?!カミュ君臭くなかったよね?!いい匂いがしたよね?!』
そんな言葉を聞きながら、意識は闇の奥へと落ちていった。
「マリー?!」
カミュの声に意識が浮かび上がるのを感じた……ゆっくりと目を開けると、見知らぬ白い天井と不安げにこちらを覗き込むカミュの顔が見えた。
「カミュ……」
「良かった…マリーもう目を覚まさないのかと……」
「私……一体…」
「無理しないでもう少し横になっていて、今みんなを呼んでくる」
部屋を出て行くカミュを見送ると再びベッドに深く体を委ねた……
何があったのだろう?記憶がはっきりとしない……若干の体の怠さを感じながらも、自分の中の何か大切なものが失われているような感覚に気が付いた……
『イリス…何があったの?』
『わからない……マリファもマリータも皆気を失っていたから……』
チャットルームに意識を向けるとそこには鎮痛な表情のマリファ、マリータ、マリー、そしてイリスが着席していた。
『みんな何も覚えていないの?』
『…貴女が意識を失う瞬間、あの女がここにやって来たの』
『あれはヤバい存在だな…』
『何か〜大事なこと忘れてる気がするの〜』
全員が納得のいかない顔をしている……
あんな存在と遭遇して無事でいた事は幸運だった……本当に?本当に無事だったのだろうか?
「マリーーーーーー!!」
大粒の涙を流しながらネアトリーシェやリリシェール達が部屋に駆け込みその思考はすぐに忘れ去られた。
「では…あの後何が起こったのか説明……できるかなぁ……」
リーネが難しい顔をしながら話を続けた。
隣のレイヴンも難しそうな表情を浮かべている。
二人とも包帯を巻いているが見た目ほどの怪我ではないらしい。
『…なんだか私のイメージが悪くなった気がするわ』
意識を失ったカミュを触手の様な蔦でぐるぐる巻きに拘束すると、優しく地面へと降ろした。
「…私たちの命が目的ではないのか?」
『そんな物騒なことしないわよ……さてと…私もこれでも忙しいでねそろそろ仕事を始めちゃおうかな』
ローズクイーンがマトリーシェを解放すると地面から生えた蔦がゆりかごのようなベッドを形成し受け止めた。
「?!」
視線をそちらに向けた瞬間にリーネのすぐそばにローズクイーンが顔を寄せていた
『よそ見は厳禁よ?』
再び口から黒い瘴気を吐き出すと、リーネの意識はそこで失われた……カミュ同様に蔦で拘束されると地面に優しく寝かされた。
「リーネ!!」
レイヴン今までにないほど危機感を感じていた……まるでその動きが見えなかったのだ、ましてや自分の命とも言える最愛の魔女をその手に握られているのだ。
『賢いあなたならわかるでしょ?自分がどうすればいいのか…』
レイヴンはそれに返事をすることなく、手に持っていた剣を手放した。
その瞬間レイヴンは背後から巨大な蔦の手によって掴まれた。
『そんな怖い顔しないでよ…あなたには眠れるお姫様を目覚めさせる役目を与えてあげるんだから光栄にに思いなさい』
そう言って、レイブンの手に小さな小瓶を握らせた。
『あなたが目覚めたらリーネちゃんにはこれを飲ませなさい……嫌なら飲ませなくてもいいけど…その場合彼女は死んじゃうかもね?中身が気になるなら鑑定してみてもいいから』
「………鑑定」
鑑定結果は『神の雫』と表示された。
『!!』
「ふふ…本物よ?』
『神の雫』といえば伝説とされる霊薬である。
マトリーシェの作った『準・神霊霊薬』の最終的な到達点。
全ての病気、呪い、状態異常を克服し、死すら覆すと言われる伝説の霊薬である。
「……お前は…使徒なのか?」
「どどど、どこから見たってししし使徒にしか見えにゃいでしょ!!』
最早どこまでが本気なのか解らなくなっていた……しかしレイヴンは不思議とこの存在は『信用』しても良いかも知れない……そんな感情を抱き始めていた。
『じゃあ……おやすみ』
ローズクイーンの言葉を最後に、この部屋にいる全員の意識は失われた。
「………??」
レイヴンは意識を取り戻した…どれくらい時間が過ぎたのか解らないがすぐに自分の状況把握を始めた。
「一体何が……!!」
その手に握られた小瓶を見て全てを思い出しリーネの姿を探した。
「リーネ!!」
彼女は部屋の中央に蔦で作られたベッドの上に横たわっていた。
意識を失っている様だが……顔色が悪い…魔力に乱れも起きているようだ……
その手の小瓶を見つめると意を決してその中身を口に含むと口移しでリーネの喉へと流し込んだ。
「…ごほっ……何これ……酷い味……」
「リーネ!…ああ…酷い味だな」
その愛おしい存在をレイヴンはしっかりと抱きしめた……ふと視線を感じ窓の外を見るとローズクイーンがこちらを覗き込んでいた……やけに喰い気味に……
『ああ…やっぱり純愛っていいわね…!!えっと…』
見れば周囲の者達も意識を取り戻し始めていた…王都を覆うように生えていたあの巨大な薔薇達も粒子となって消え始めていた。
『ぐわあああああああ なんだこれはー!!』
突然ローズクイーンの素人丸出しなセリフが響き渡った。
『これは!森の魔女マトリーシェが作った治療薬!!謎の病気から王都の住民を守る為に苦労を重ねて作った治療薬!お母さん達と夜鍋して丹精込めて作った治療薬!飲めば効果テキメン!どんな病気もすぐに回復!肉体疲労時の栄養補給に!ファイト!一発!森の魔女マトリーシェの特製治療薬!!!』
「………」
「………」
薬の名前はなんだったかしら?マトリミンC?マトリタンD?この際なんでもいいか……
『やられたー!王都を乗っ取り、この魔界の全てを恐怖と混乱におとしめてやろうとしたこのローズクイーンが森の魔女マトリーシェとその仲間達によってやられた!』
ローズクイーンは、顔を押さえながら、もがき苦しんでいる……よね?
時折、指の隙間からチラチラとこちらを伺うような視線を感じるが、気のせいだと思いたい…いや、きっと気のせいだ。
『謎の奇病を蔓延させ、魔界の全てを闇に飲み込む計画が、マトリーシェの作り出した薬のおかげで全て台無しだ!そこで私は実力行使でこの王都に攻め込んだのだが、彼女とその仲間たちの激しい抵抗にあった!そして私の繰り出した王都全てを巻き込む究極の魔法を、なんと!彼女は自分の身を犠牲にして阻止したのだ!その為,彼女は今昏睡状態に陥った!なんて、素晴らしい博愛の精神!もうこれは聖女と呼んでもいいんじゃない?いいよね!王都ヘヴラチカに住まうものどもよ!聖女マトリーシの活躍により、お前たちは救われた!喝采せよ!敬讃え崇めるが良い!彼女こそが、稀代の大魔術師にして純真無垢な聖女!今世においての私の最推し美少女!マトリーシェ!!マトリーシェ!!皆さんも一緒に!!』
言いたい放題喋りまくると、ローズクイーンの体は、無数の光となり、弾け跳び、その全てが天空へと向かい、大輪の花火を咲かせた。
それを見た王都の住民たちから歓声が上がり、聖女マトリーシェの呼び声がいつまでも続いた。
「…今までにないタイプの使徒だったわね」
「奴の目的がいまいち理解できない…」
ローズクイーンの行いを見れば、謎の病を流行らせ阻止され、勝手に現れ、勝手に自滅した……
今までの奴らのやり方にしては得られるものが何もない、逆に、こちらの得るものが多すぎる…特にマトリーシェに関しては、『聖女マトリーシェ』の名前が、民に深く刻まれてしまった。
「まだ油断はできないけれど、とりあえず事態の収集に取り掛かりましょう」
リーネの言葉に配下達が動き始めるのだった。
「……聖女?誰が 」
マトリーシェの言葉に周囲の全員が指を刺した…私?
「いやいや…私は聖女なんて柄じゃあ……」
「…それがもう……世論では聖女なんだよね……」
リーネの呟きに首を傾げていたらカミュが突然抱き上げた。
「カミュ!!」
「いいから…みんな君が目覚めるのを待っていたんだ」
「…みんな?」
連れられて来たのは城から正面の広場が一望できるテラスだった。
そこには所狭しと多くの老若男女が祈りを捧げるように集まっていた。
「見ろ!!聖女様だ!」
「おお!!聖女様!!」
マトリーシェの姿に気づいた群衆から割れんばかりの声援が起こった。
「えっ?えっ?何これ!?」
「ほら…手を振ってあげて……みんな君のために祈りを捧げていたんだ」
言われるがままに手を振ると 割れんばかりの歓声が一層湧き起こった。
「何が……」
「さてね…使徒の策略なのか…どちらにしてもマリーは今,この国で最重要人物よ……」
隣に現れたリーネが手を振ると更に歓声が上がった……
「民達よ!聖女が無事に目を覚ました!!皆の祈りが通じたのだ!!」
その後も民に向け,リーネの戦勝の宣言が続き民達は熱狂の声援を送った……
その隣でマトリーシェが実感を持たないまま呆然と手を振り続けていた。