シン・暗き森のマトリーシェ 10
その日、マトリーシェは一人で森の奥に採取に来ていた。
薬の製造に必要な薬草の確保の為である……それに……あの薔薇がアレで終わりとは思えなかった。
(…それよりも妙にカミュの事を意識してしまって…なんだか落ち着かないのよね)
先日のベルゼーヴ達との会話以降、カミュの事を必要以上に意識しまくっていた。
カミュは特に気にした風でもないのが少し納得いかなかったが……
(カミュって私の事どう思ってるんだろう?やっぱりお姉ちゃんとしか思ってないよね?…私だって弟だとしか思ってなかったけど…でも誰かに取られたりするのは嫌だな……)
そんな自分自身の感情を測りかねており、今日も二人で一緒に来るはずだったのを一人で黙って出てきてしまった。
(いつもカミュにわがままばっかり言ってるし…今日だって、どうせ気まぐれ程度に思われてるんだろうし……なんか私だけが変に意識して少し腹が立ってきたわ……!)
そんな感じで注意力が散漫だったからだろう、アレの接近に気がつけなかったのだ。
「あの〜」
「?!」
突然、背後から話しかけられ瞬時に距離をとった。
いくら思考に没頭していたとは言えこの森でそんな醜態を晒すなど命を落としかねない。
腰の剣に手をかけ瞬時に体制を構えると声の主へ視線を送った。
「きゃっ」
そこには薄汚れた簡素な服に裸足の少女が腰を抜かしていた。
何故こんな森の奥に?見た目は無害な村娘風だけど……そう考えて警戒を解いた。
「ごめんなさい…驚いてしまって…大丈夫?」
「私こそすみません…いきなり声をかけたりして…」
「一体こんな所で…何があったの?」
「…商隊が魔物に襲われて…私、必死に逃げて…ううっ」
「大丈夫よ……怖かったでしょう…怪我はない?」
商隊…雑用か奴隷の少女かもしれない。
彼女は運良く魔物の襲撃から逃げて来たのだろう……擦り傷以外大きな怪我は見当たらなかった。
薔薇の脅威が去った今、再びこの森の中には強力な魔物が姿を現し始めた…森の浅い部分にもその姿を見かける為、護衛達も油断していたのかもしれない。
「私はマトリーシェ…あなたは?」
「私はリーネ…ありがとうございます…マトリーシェさん」
「マリーでいいわ…とりあえず安全な場所に移動しましょう」
瞬時に周囲に索敵の魔法を拡げ安全を確認する。
どこから逃げて来たのだろう?周囲に人や魔物の反応は無かった。
「リーネ…こっちへ行きましょう」
ポーチから布を取り出すと彼女の足に巻きつけた。
これで歩いても少しは痛みを感じないだろう…そのまま手を引き歩き出す。
大人しくついてくるリーネに視線を向けて観察する…彼女自身には僅かな魔力しか感じられない……
少しマトリーシェよりも幼く見えるが素材は悪くない……元貴族とか高貴な出身かもしれない……訳ありの予感……その白銀の髪と銀の瞳は磨けば光るとマトリーシェの庇護欲を掻き立てた。
どれだけ必死に逃げたのだろう……その美しい白銀の髪は乱れ体中泥だらけでかすり傷だらけだ
生活環境も良く無いのかも知れない…その体はやけに痩せていて少年かと思ってしまうほどだった。
(こんな森を一人で彷徨って…怖かっただろうに……帰ったら温かいお風呂と食事を用意しなきゃ)
幸いにも、この先に家への転移陣を刻んだ石碑がある……もう少しの辛抱だ。
あと僅か……そこでマトリーシェは異変を察知した。
「……?!リーネ…静かに…」
妙な気配を察知してマトリーシェは姿勢を落とした、追従するリーネもそれに倣って腰を落とした。
その視線の先には転移陣の刻まれた石碑がありその側で何かが蠢いていた。
「何よ…アレは……」
「キモい」
リーネの言葉通り、その物体は胎動する胎児のように蠢いていた……その見た目はオークだろうか?
特筆すべきはその頭部に黒い薔薇が数本咲いていることだ。
「薔薇が複数…?今までの物とは違うわね…」
「お姉ちゃん…アレ何?」
「はうっ!!」
お…お姉ちゃんですって?!妹はファルミラだけでお腹いっぱいだと思ったのに…ファルはもういい歳だから『お姉様』呼びなのよね……ファルは絶対に『お姉ちゃん』って呼んでくれないし……カミュに至っては『姉さん』とも『姉貴』とも呼んでくれやしない……ああ……『お姉ちゃん』……なんて甘美な響き………
「お姉ちゃん!何か動き始めたよ!」
「はっ?」
リーネの声に現実に引き戻された。
見れば頭部の薔薇が一斉に枯れ始めその体内に溶け込むように消え去った……そしてオークの体に変化が起こり。その体はより屈強に、より強靭に変化を始めた。
外皮はまるで鎧を纏っているかのように鋭利な形へと変化しその体は倍に大きくなっていた。
「リーネここから早く……!!」
離脱しようと動き始めた瞬間、全身の毛が逆立つような悪寒を感じた為、瞬時にリーネを抱えて横跳びに回避した。
先程までいた場所が轟音と共に地面が捲れ上がっていた……あのオークが地面に拳を突き立てていた。
「何なの?!このスピード!!」
すぐに後方に退避すると大きな木の根元にリーネを押し込めた。
「リーネ!ここから動いては駄目よ?『森の木々よ我が身を隠せ『幻惑の森』」
リーネの姿が溶け込むように木に吸い込まれた……高度な隠遁の魔法によりリーネの姿は森と同化した。
(これは………)
リーネはその姿を森の中に隠していた…いや、森と同化していた。
森の全てがリーネであり、また森であった。
(隠蔽術にしては高度すぎる…!!)
今この魔界に同様の魔法を使えるものがどれだけ居るだろうか?
「身体強化!思考加速!詠唱破棄!物理防御上昇!魔法防御上昇!状態異常無効化!」
マトリーシェはありったけの支援魔法を掛けるとその場を飛び出しオークと対峙した。
オークの変化は常識ではあり得ない…絶対にマトモな魔物ではない事が予想される。
『火球』
マトリーシェが走りながら指を振るうとその周囲に火球が生まれた……その数はおよそ三十余り。
(何よ?!この数は!!)
目の前に展開する火球の多さにリーネは自身の目を疑った。
集団魔法戦において魔法師団が使用するような魔法の使用方法だ…それを一人で行う彼女の実力は想像がつかない。
『狩猟』
マトリーシェが指を振り抜くと、その指示に従って数発の火球がオーク目掛けて飛び出した……追尾型の火球はどこまでも獲物を追い詰めた。
逃げることを諦めたオークは不動のままその身に火球を浴びた。
巨大な爆発が巻き起こりオークを跡形もなく吹き飛ばした………かの様に見えた。
次の瞬間煙を掻い潜り、その巨体がマトリーシェに肉薄した。
オークがその拳を振り上げた隙をついて再びマトリーシェが火球に指示を出した。
『貫け!『火焔槍!』』
目の前の火球がその姿を鋭利な槍に姿を変えてオークの身体を貫いた。
オークはたまらず雄叫びを上げるとその場に膝をついた。
「これでおしまいって…ええっ?」
オークの体を貫いていた炎が瞬時に消え去り、その傷も消えていた。
「嘘でしょ?炎の耐性を持ってる?!」
オークが魔法耐性を得るなんて普通ではあり得ない…ミディアムレアで良い香りをさせるのが普通だ。
しかし火球を瞬時に火焔槍に変化させるマトリーシェも十分に規格外と言えた。
「ならば…『属性変化』」
詠唱と同時に彼女の周囲を漂ってい火球がひときわ大きな炎を上げると瞬時に凍りついた。
魔法の属性を火から氷へと変換したのだ。
(!?火を上位属性に変化させるなんて…!!どれだけの魔力を……)
これも普通ではありえない技法だ、火にとって有利な木属性への変化ならまだしも耐性のある水属性、氷属性への変化など宮廷魔導師クラスでやっとと言った所だ……それでもこの数を変化できるかと言えば何とも言えない……
「これならどうかしら?『氷球』」
彼女の指示により、再び氷球が動き始めオークを取り囲むように周囲を高速回転し始めた。
『氷雪空間』
彼女の掛け声とともに氷球から冷機の魔力が溢れ、強力な寒波がオークを周囲諸共氷漬けにした。
その瞬間、オークの体が赤く発光し、その全身から炎が吹き出した。
「んなっ?」
炎は瞬時に氷を溶かしオークに届く事はなかった。
(何なの?あいつ……あれじゃあまるでサラマンダーみたい)
「ならこれはどう?」
再びエレメントシフトを行い土属性へと変換する。
「土塊槍」
地面から巨大な石の槍が突き出しオークの胸に突き刺ささった。
かに見えたが、その硬質な体皮で石の槍を砕いてしまった。
(なんて防御力!?これじゃあまるでアイアンマジロだわ…)
アイアンマジロはこの森に住む大人しい魔物だがその体皮は硬質で一度防御に入ると打撃や初級の魔法ではダメージを与える事は出来ない。
次の瞬間、オークが顔を上げるとその口から紫色のガスを吐き出した。
「毒霧?!」
(ありえない…オークがこんな多彩な能力を有するなんて!!)
マトリーシェは直前にオークの体の中に消えて言った無数の薔薇を思い浮かべた。
同時にリーネもその状況を思い浮かべていた。
「もしかして……それぞれの魔物から奪った魔力を植え付けることでその個体の能力を付与しているってこと?」
サラマンダーの炎耐性
アイアンマジロの防御力
ポイズンスネークの毒
あと、無駄にタフな体力はオークのものだろうか?
(つまりこれは『キメラオーク』って事ね)
カラクリがわかれば後は簡単だ……一つは圧倒的な武力で潰すか、同様に魔力で潰すか……
構えるマトリーシェもその事に気が付いたのだろう……さて、彼女の選択は……
(……魔力ね)
マトリーシェが両手を広げると周囲を漂う魔力の塊が一瞬で、濃厚な魔力が塊へ変化した。
「超重力渦」
重力の塊と化した力の塊がキメラオークに殺到し、その頭上で合体すると巨大な重力の塊に変化した。
その強力な重力は、周囲の光すら飲み込みキメラオークを一瞬で押しつぶした……魔力が解除された森には普段の静けさとキメラオークの残滓が地面に残されているだけだった。
「ふぅ…これでおしま……?!」
キメラオークの残したドス黒い残滓が蠢いたかと思うと流れる様な動きでマトリーシェに肉薄した。
「こいつっ!!リキッドスライムの特性まで!!しかもスピードが異常だ!」
(あの重力下でまだ生存できるなんて!)
間一髪、身を挺して回避したが掠めた腕の痛みで剣を取り落としてしまった。
「ならば凍らせて!!」
しかし、そのスピードは、彼女の魔法の発動よりも早く彼女の足に巻きついた。
「!!」
そのままスライムは左右に大きく広がりマトリーシェを取り込んでしまった。
肌にひりつく感触にアシッドスライムの特性を含んでいる事を理解した……装備の端がジュワジュワと泡を立てて融解を始めた。
(…こいつ…装備品から溶かして行く変態仕様だっ!!)
マトリーシェはなんとか抜け出そうと魔法の発動を試みるが、重たい粘膜のせいで身動きが取れない…魔法の発動もこのままでは……
(くそっ!今の私の状態では……)
今の状態のリーネではどうすることも出来なかった。
(あぁ…このまま溶かされてしまうのだろうか?カミュを黙って置いてきてしまった…今頃心配してるだろうか?私の事を探してくれているだろうか?)
思えば随分幼稚な態度を取ってしまった……このままカミュやネアトママ達に会えないまま……
「マリー!!」
カミュの声が響いたと思ったら一瞬の衝撃の後、横抱きに助け出されていた。
頭上からの一閃でスライムの体を切り裂いていた。
「げほっ…?!カミュっ!!」
なんてタイミングで……涙が出そうだ…。
背後からは激しい爆音が聞こえる……カミュの肩越しに見ればスノーがスライムに向けてブレスを叩き込んでいた……やり過ぎじゃない?
「マリー!大丈夫……!!あっあのこれをっ!!」
カミュが顔を真っ赤にして慌てて自分の外套を外して渡してきた…
そこで自分の状況を改めて確認する
装備は半分以上が溶かされ大事なところを隠す以外の機能を失っていた。
「#/%¥#☆○〒々々〆☆°€?!!!???!」
慌ててカミュの外套を受け取るとその場にうずくまった……お姉ちゃんなのにこんな醜態を晒すなんて……
「よくも俺のマリーをっ!!」
「ダメよカミュ!あれはアイアンマジロの特性を……俺の?」
カミュの纏う気配が変わった……と思った時にはオークの姿に戻りつつあったアレの腕を切り落としていた。
「ええっー……」
私結構…苦戦したんだけどな……
「斬鉄剣」
カミュの体がブレたと思ったらキメラオークの体が一瞬で細切れとなった。
その場にどちゃどちゃと不気味な音を立てて肉塊が山積みに積み上がった。
最近、魔剣王と稽古をつける機会が有り、何か『剣の聖地』って所に行って来たとは言って居たけど……
強すぎない?
「……再生しない?」
「マリーが苦戦する位だからね……念入りに細切れにしたよ」
暫く様子を見ていたが再生する気配が無いのでサンプルを確保するとスノーのブレスで念入りに燃やしてもらった。
「あっリーナ…もう大丈夫よ…『森の終わり』
呪文を唱えると目の前にリーナが姿を現した。
「凄いよお姉ちゃん!!このお兄ちゃんも凄かった!!」
「………誰?」
興奮気味に捲し立てるリーナを見てカミュが怪訝そうな顔をした……愛想悪いなぁ…めちゃくちゃ可愛いのに……
「この子はリーナ…森で保護したの…魔物に襲われたらしくて」
「リーナです…お兄ちゃんのお名前は?」
「……カミュだ……マリー帰ろう」
カミュはリーナを値踏みする様に見つめると、興味なさげに視線を外した………あれなんか機嫌が悪い…照れてるのかな?と思っていたら再びお姫様抱っこされた。
「ちょっとカミュ大丈夫だからっ!一人で歩けるからっ!」
「だめだよマリー……そもそも僕を置いて行くからこんな事になるんだよ?」
「うっ……ごめんなさい」
あまりの正論に、何も言えなくなり、大人しくそのままされるがままになった。
リーネはカミュの態度も気にして居ないようで二人を見ながら何か微笑ましい表情をしていた。
「とりあえず家に帰ろう……お前もついて来い」
「ちょっとカミュ!リーネに対してきつくない?」
「そうかな?得体の知れない子供に対して警戒するのは普通だと思うけど?」
「お姉ちゃんって呼んでくれるのよ?かわいいじゃない¿」
「そう呼ばれたいのかい?じゃあ帰ろうお姉ちゃん!大丈夫だよお姉ちゃん!お姉ちゃんの事は僕がしっかり面倒見てあげるからね?」
「はうっ」
カミュがデレた!なんでこのタイミングで言うのかな?しかも言い過ぎじゃない?デレのバーゲンセールだわ!
転移陣を刻んだ石碑は損傷し転移は困難であった…しばらく転移を試みたがうまく起動しないようだ。
「仕方ない…スノーお願いしていいかな?」
「クエっ!」
スノーは大人しく地面にうつ伏せになり受け入れてくれた……やけにカミュに従順ね、何かあったのかしら?
「あの…カミュ…この格好では乗りにくいでしょ?」
「問題ないよマリー…お姉ちゃんと言ったほうがいいかい?」
「はうっ……」
「……リーネ……お前は後ろだ」
「はーいお兄ちゃん」
リーネも特に反発する事なく素直にカミュの後ろにしがみついた。
三人はスノーの背に乗ると家に向けて旅立った。
暫くすると茂みから黒い甲冑の騎士が飛び出してきた…
戦闘の痕跡を発見し、うろたえるがお目当ての人物がそこには居ない事に安堵したようだ。
「リーネ」
遥か遠くに小さく見えるスノーの姿を確認すると再び森の中へ走り出した。