シン・暗き森のマトリーシェ 9
「………ヴァル?」
「ああ……ベル…目が覚めたか…もう大丈夫だ」
昏睡から目覚めたベルゼーブを見てヴァルヴィナスは安堵のため息をついた。
隣のベッドにいたベラドンナもこちらを見て微笑んでいた……その体にあった黒い紋様は既に消え去っていた。
「どうして……」
「必ず助けると言っただろ?」
「…馬鹿ね…こんな後味の変な味の薬なんて飲ませて……昔から眠れるお姫様を起こすには目覚めのキスだと決まっているでしょ?」
「……」
姉妹が目を閉じて何かを待っている……ヴァルヴィナスは覚悟を決めた。
「…それにしても何とも言えない味ね」
「これでもずいぶん優しい味になった方なんだ」
「良薬は口に苦しと言いますしね…」
ベッドで食事を取る姉妹は先ほどから幾分が顔色が良くなった……今二人が食べているのはハイポーションを混ぜ込んだお粥である……弱った体に急激な回復は逆効果なので一晩は安静にする事になった。
特効薬と言っても本当に効果があるか不明な点も多く試薬も出来ないまま投与する事になったが、原因不明の病なので後遺症や副反応を警戒していたがヴァルヴィナスがこの二人に投薬することを希望した。
「で…何かあったら責任取るって事かしら?」
「…他人に得体の知れない薬を投与する訳にもいかないからな…使うなら身内にと思っただけだ…」
「「身内………」」
以前のヘタレと違って今の積極的なヴァルヴィナスに思わず別人では無いかと疑ってしまいたくなるが、その言葉に意味を理解すると何も言えなくなる二人だった。
「?二人とも顔が赤いですね〜?ちょっと検温しましょうか〜」
「これは別に……」
そこにやってきたラビニアに心配されてしまうのだった。
翌日には二人の無事を確認したラビニアの許可が出た事でガノッサやマクガイアなどの家臣達、市民に投与が開始された…ヴリドラや女王陛下の関係者達にも配布が始まった。
「それにしても、よく特効薬を見つけられたわね」
「ある意味、奇跡的にと言ってもいいかな?」
ヴァルヴィナスはあの時のことを思い出した。
「「「「それだ!!!!!」」」」
「えっ?」
全員の声が重なりマトリーシュは驚いた声を上げた。
「我々が唯一共通しているこ事…」
「この恐ろしいお手製の菓子を食べた事だ」
「恐ろしくないもん!ちょっと味が整ってないだけだもん!」
「ただし、本当にこれが効果があるのかを検証しなければ……」
『クルルルぅ〜』
話し合いが加熱する中、森の奥から悲しげな声が響き、のっそりとスノーが現れた……その体には黒い模様が浮かび上がっていた。
「スノーっ?!」
その様子に慌てたマトリーシェが駆け寄った…彼女に身体を預けるようにスノーは倒れ込んだ。
「どうしよう…昨日まで元気だったのに…」
その状況を見た全員が頷きあった…ネアトリーシェが皿の上のクッキーを手にするとスノーに近づいた。
「さぁ…スノー…今、楽にしてやるからな…」
それはどういった意味であろうか?いろんな意味に取れるから恐ろしい……ヴァルヴィナスは背筋が震えるのを感じた……その間にも例のクッキーは哀れな生贄の口へと放り込込まれた。
『??????!!!!!!!!!!』
その変化は劇的であった。
スノーは声にならない悲鳴を上げると暴れる事も無く地面に倒れ込んだ。
その体からは黒い紋様が紐解く様に小さな粒子となって空中に漂い消えていった。
『ぴえんぴえん』
「かわいそうに…とても苦しかったのね…もう大丈夫よ!」
その悲しみの声は病に対するものだろうか…それとも……
いや何も言うまい…これでお前も同じ苦しみを分かち合った仲間だ。
お前の痛みと苦しみは無駄にはしないぞ。
その場のマトリーシェ以外の全員の心が重なった瞬間でもあった。
その後、マトリーシェ主体でクッキーを粉末状にし、ポーションを混ぜこんだ水溶液へ溶かし、効果を失わない状態の薬を作り出す為の試行錯誤が繰り返された……主に病人が食べても安全な味を模索する作業だった。
その役割は主にカミュとヴァルヴィナスとベオウルフが担当したのだが……二人ともあまり覚えていない……思い出そうとすると激しい頭痛に見舞われる為考えるのをやめた。
更に小さな錠剤に加工する事にも成功し、どちらもその味の改善に成功した……もう一度言う…味の改善に成功した!!.男達の犠牲は無駄にはならなかったのだった……それから森の地下工房はフル稼働で特効薬の製造を始めたのだった。
まずはヴァルヴィナスの関係者から始まりその領民、魔女王と国民へ配布し、周辺国家の王族、貴族へと全ての感染者に薬が行き届いたのだった。
その結果、あらゆる方面から、面会や招待などの打診が相次ぎネアトリーシェ達は全ての功績をヴァルヴィナスになすりつけることにしたのだった。
「まあ…当然の結果だな…魔女王様を救った上に近隣諸国の王族や指導者全てを助けたのだからな」
向かいに座る魔剣王ヴァルヴィナスがそう答えた…少し疲れた様な顔をしている……対照的にその両脇触る魔女姉妹はお肌ツヤッツヤでにこやかにこちらを見ていた…
その視線は見守るような慈しみで溢れており、先ほどから笑顔絶やさずこちらに向けられていた。
そんなに私を見ても面白いことなんてないだろうに……ふと隣の人物に視線を送る。
隣にはカミュが緊張した面持ちでうつむいていた…
「何よカミュ…」
「だって…魔王様が三人も…」
「はぁ?あのねカミュ…今更でしょ?今までだって散々研磨王さまに突っかかってたじゃないの?」
「いや…あれはなんと言うか……その結果奥様方が押しかけて来たんじゃ……」
「「奥様?!……んんっ」」
「この人達の器がそんなに小さい訳無いじゃない…」
「…そうだよね…なんだか凄い人達が揃ってて緊張しちゃって…」
「んんっ?カミュ君大丈夫よ?私たちは怒ったりしていないわ…いつも主人がお世話になっています」
実はヴァルからこの二人の話を聞いて「研磨王」などとふざけた名称で呼ぶこの二人に一言言ってやろうと思いつつも、命の御恩人でもあるマトリーシェに礼の一言でもと姉妹揃って来たのだった。
しかし先程のカミュによる『奥様方』発言により上機嫌になっていた…因みにまだ式は上げていないので婚約者だ。
「今はまだ俺の所で止められているが……魔女王様からの招待は断れん…覚悟を決めてくれ」
「えぇ〜そういうのが嫌だから研磨王様に丸投げ…お任せしたのに…」
「丸投げって言ったよな?後、魔剣王だってば」
「でもね、魔女王様からの招待は受けた方がいいわ」
「悪い事にはならないだろうし…後ろ盾になって貰えたら大きいぞ」
「うーん…ママ達にも相談しないきゃ…舞踏会とか私には……」
「あらっ?マリーちゃんは参加しないの?二人とも素材は良いのに…じゃあカミュ君は私のエスコートを頼もうかしら?」
「!!だめよ!私は参加しないとは言ってないでしょ?カミュは私のパートナーなんだからね!貴女は隣の研磨王がいるでしょ!」
ペルゼーヴのちょっかいにマトリーシェが噛み付いた……
ここ数日よく見かける風景だった。
(この人は妹の方に比べては心も体も子供っぽく見えるが……これでも一応立派な大人の女性には違いない……私のカミュが汚されてたまるもんですか!!)
「……ちょっとマリーちゃん…何か失礼なこと考えていない?」
「…ベル…揶揄うのはよせ…あと俺は魔剣王だ」
剣呑な雰囲気になりかけたがヴァルヴナスの一言でベルゼーヴは大人しくなった。
見ていてじれったいこの二人をどうにかしたい気持ちはわかるが……
「お姉様…旦那様の手を煩わせてはいけませんよ?」
「はーい…あれっ?ヴァルもしかしてやきもち焼いた?」
「お姉さま何を馬鹿なことを……ヴァル様には私がいるのですから嫉妬など焼くはずもありませんわ?」
「はあ?ベル…お前はお飾りの妻なんだから黙って座ってれば良いんだ」
「はぁ?飾りなのはお姉さまの方でなくて?」
姉妹喧嘩を始める姉妹をマトリーシェとカミュは呆然と眺めていた。
「ちょっとこの二人は貴方の事好き過ぎない?」
「「みゃっ!?」」
マトリーシェの指摘に、姉妹が思わず変な声を上げた。
今だに他者への愛についての理解の浅いマトリーシェはこの二人に興味を持った。
「ねぇねぇ!貴女達はどうしてコレが好きになったの?きっかけは何だったの?」
「…俺の扱い酷くないか?」
目を輝かせながら質問してくるマトリーシェに思わず姉妹は言葉が詰まった。
ヴァルヴィナスを想う気持ちは本物だが、それを改めて指摘される事など無かった為この様な経験に思わず動揺してしまった。
さらに、彼女から向けられる感情は、純粋な好奇心と羨望にも似た眼差しにいつものような余裕がなくなってしまった。
「え…えーっと…私が彼と初めて会ったのは…」
投げかけられる質問に素直に答える魔女姉妹と自分への気持ちを延々と聞かされるヴァルヴィナスにとって拷問にも似た甘い時間が続くのだった。
「…なるほど…気がついたら意識していた…と」
一人納得するマトリーシェの周りには机に突っ伏した姉妹と顔を赤くして黙り込むヴァルヴィナス…同じく顔を押さえ込むカミュの姿があった。
姉妹達は自分たちの心境を語りながら再度自覚させられ、それを聞かされるヴァルヴィナスはどれだけ想いを向けられていたのか再確認させられた。
「次の新作のネタが出来ました…ありがとうございます」
「?!ちょっと!やめてよ!こんな話を書籍化されたら……未来永劫語り継がれる恋の実話……あれっ?意外と良くない?」
「お姉様!それはちょっと……いや…アリ寄りのアリ…いや…むしろアリでは?」
自身の体験が本になる事を真剣に考え始めた姉妹にヴァルヴィナスは苦笑いをする…
「本当に貴方は愛されてるわね…」
「まぁ否定はしない」
「うふふ〜マリーちゃんには刺激の強い内容だったかしらね?」
「まぁ恋愛初心者…お子様にはまだ早かったな…」
「あんまり私をからかってると新刊の定期購読を停止しますよ?」
「「マリー様ごめんなさい」」
「お前らチョロすぎだろ…」
最早この二人ではマトリーシェに対抗することが出来ないのでは?
「新刊と言えば、病気の流行前に最後に発行された話は少し変わってましたね」
「あぁ…幼なじみを捨てたら有望株でした…あのやつね」
「あー…あれはネアトママの原作だから少し変わった作風だと思うの」
「へぇー」
「ほぉー」
2人の視線が居心地が悪い…言いたい事はわかっている。
どうせ私とカミュの様だと言いたいのだろう
内容はこうだ。
とある令嬢の家の隣の次男坊と同世代のこともあり仲良くなった二人…幼い頃から兄弟のように過ごしており、気心知れた仲であった。
やがて学園に入り皇太子の婚約者選定に意気込みを見せる令嬢は幼なじみの次男坊の忠告を受けながら学園生活で王太子との距離を縮めてゆく。
なんやかんやあり、皇太子の婚約者として選ばれるのだが。
彼は彼女の地位や財力や見た目しか見ておらず、内面に一切興味を持たないことを知る。
全てを幼なじみの次男坊と比べて彼の魅力に気がつくのだが
その時彼は彼女の親友と婚約しており互いに別の道を進むと言うストーリーだった。
今までの様な「ざまぁ」や大恋愛のような展開は無いのだが、一部のファンには「わかり味が深い」ということで、一定の人気を得た作品になった。
マトリーシェはこの作品が嫌いだった。
何故令嬢は自分の事を見てくれもしない男と一緒に歩む事を選んだのだろうか?
そもそも何故次男坊を選ばなかったのだろうか?
自分ならそんな王太子より幼馴染の次男坊を選ぶ……
自分でも気が付かないうちにこの物語の登場人物に、自分とカミュの姿を重ねていた。
もしカミュが私の親友…シルヴィアと結婚するなんて事は……
楽しげに笑顔を交わす二人を想像し、胸の奥にわずかな痛みを覚えた。
(えっ?あの二人が結婚?ないわね)
ネアトリーシェの蒔いた種は僅かに目を出す気配を見せていた。