シン・暗き森のマトリーシェ 5
「ベラディーヌ・フォン・アガルタ!貴様のような悪女は私にはふさわしくない!よって貴様との婚約は破棄させてもらう!私にはこの真実の愛……アリストリアこそが相応しい!!」
賑わっていた学園の卒業パーティー会場は、王太子ギュスターブの情報量がやや多めの宣言により静まり返った。
「…殿下…それは国王陛下もお認めになっておられるのですか?」
「この国のことを思えばいずれ国母となるこの私の伴侶に貴様のような悪女は相応しくない…王もきっと英断だったと称賛されるだろう」
つまり、ギュスターブの独断の婚約破棄のようだ。
「…先ほど私が悪女とおっしゃいましたが……その根拠をお聞きしても?」
「この場に及んで白々しい!貴様がこのアリストリアに対して行った悪行は既に明るみに出ている。」
「…???すみません…殿下おっしゃっている意味がわからないのですが。」
困惑しながらも、視線を殿下と、その隣にいる男爵令嬢であるアリストリア嬢に向けた。。
「ひっ」
今のどこに怯える要素があったのか、理解しかねるが………どうやらそういうことらしい。
「そうやって公爵家の威を借りて、彼女を脅すのはもうやめろ!」
「……彼女をいじめたと言う覚えもないのですが……」
「!!彼女の私物をゴミとともに燃やしたそうではないか!!」
「?…ゴミ捨てを頼まれたので、何度かゴミを捨てた記憶はございますが?」
公爵令嬢といえクラスで決められた掃除当番はちゃんと守ってましたけど。
「彼女に冷たい水を浴びせたそうだな!」
「……真夏日に皆さんと一緒に水魔法の「ミスト」使用した事は何度かありますが」
熱中症怖いもんね。
「それからそれから……!!」
次々に、殿下の口から語られる内容は、日常生活において些細もない出来事なのだが……この人達の頭の中は一体どうなっているのだろう?反論するのも呆れてしまい、大きなため息をついた。
「お待ち下さい!ギュスターブ様!ベラ姉様に対して、それは言いがかりでございます!」
そこに、新たな人物が踊り出た…私の双子の妹ベルティーヌである…優しい、しゅき。
「ベラ姉様はそんな事はしておりません!アリストリア様に学園での常識を……」
「えーい!黙れ!ベルティーヌ!貴様も姉同様いじめに加担していた事は明白だ!」
「はぁ?!」
殿下の発言にベルが素の声を出してしまった…ベルだめよ……ここは王城なのよ…スマイルスマイル。
「殿下私達は……」
「お前たち不敬であるぞ!もうお前たちの顔も見たくない!お前たちは姉妹揃って国外追放だ!!」
その宣言に、周囲の者たちの息を呑む音が聞こえた……周りの皆様は頭がお花畑の人達と違って、的確にこの国の状況を理解しているみたいね……
今この国を支えている三大公爵家の家の一つであるアガルタ家の姉妹を有りもしない罪で断罪したのだ…もうこれは国が割れるなどと言うレベルの問題ではない。
今この国の経済を支えているのはアガルタ家による隣国を始めとする各国との貿易……この二人の姉妹の力なのだ。
(……馬鹿みたい…昔から少し頼りのないところのある方でしたが、私がしっかりと支えてこの国を導いていければと思っていたのにそう思っていたのはどうやら私だけだったよね……)
婚約自体はどうでも良いのだが…今までの努力と苦労が報われないとなると何とも言えない気持ちになった。
「お姉様……」
双子の妹だけが、私の心情理解し寄り添ってくれる…貴女がいてくれたら怖い物なんて無いわ。
「わかりました…殿下…婚約破棄の件承りました…」
「ふんっ!最初から素直に、そう言っていればいいのだ!」
ふふっ…そうね…素直に従うのはこれが最後よ……だってこれからは敵同士だものね…価格操作?経済破壊?やってやろうじゃん!!
「では私達は……「それはそれは大変素晴らしい話ですね」…??」
私の宣戦布告を遮り、後ろのドアを開け放ち、1人の男性が入ってきた……綺麗に切り揃えられた美しい金髪を靡かせ上等な金糸の刺繍の入った上着を羽織っている…昨年、帝国からやってきた留学生だ。
「ということは、彼女達は婚約が解消となった上にこの国の民でもなくなるのですね?」
「そういうことだ!…貴様は…」
男が颯爽と姉妹に近づくと、2人の手を取り膝まずいた。
「ああっ…いつ見ても素敵な可憐な俺の花達よ…夢にまで見たこの瞬間が訪れようとは…」
「…あの…貴方は…もしかして……」
「…!これは失礼。あまりの嬉しさに名乗りを忘れるとはお許しを…」
私達の手に口づけを落とした。
な、何か胸の奥が熱いわ……
「…隣国より留学中のヴァルディナスです……二人ともどうか私の妃になっていただきたい」
「「!!隣国の王太子!」」
本日一番の爆弾が投下された…会場は騒然となり先程の婚約破棄が既に過去のこととして流されていった。
隣国の帝国はこの国が霞んで見えなくなる位の超大国だ……象と蟻、月とスッポン、それ程の差があるのだ。
「ベル嬢!ベラ嬢!どうか返事を聞かせてもらいたい」
「「よろしくお願いします!!」」
2人は全力で、その手を握り返すのだった。
「やばいわー!ヴァル様まじカッケェ!」
「ほんとですわ…お姉さま2巻の42ページも読まれました?」
「ああ…あれな…『この命は貴女の為に!』だろ?ほんとしびれたぜ!」
テーブルに向かい合って座る姉妹が、互いに本の感想を述べながらティータイムを楽しんでいた。
「なんだよ…その本は…しかもその登場人物の名前は……」
「なぁに?」
「……何でもない」
絶対にこの作者は狙っている…ヴァル様 ベラ様 ベル様……
絶対に俺たちをモデルにしている…頼むから二人とも声を出して朗読するのはやめて欲しい…
聞いているこっちが恥ずかしくなってくる……
「お前らいつまでいるんだよ…領地の方は大丈夫なのか?」
「大丈夫に決まってんでしょ!私達はね有給消化中なのよ」
「そうですわヴァル様…今までに溜まりに溜まった有給を消費してしまわないと、部下に締めがつきませんからね」
「そうか…マック…俺の有給はどうなってるんだろう?」
「ヴァル様は有給を使って定期的に魔物狩りに行ってますからね……もうないですよ」
思った以上に、ホワイトな職場だった
「先日の起こった暴動については何か判った事があるか?」
「反魔女組織が絡んでいそうではありますが、今のところ有益な情報は得られませんでした」
「反魔女組織か……」
それは男性魔術師こそが、正当なる魔導の先駆者であり、至高であるとする過去の帝国のようないびつな考えを持つも者達の集まりであった。
崇高なことを言っているように聞こえるが、結局言い分が受け入れられないために、実力行使に出てしまうような……結局のところただのテロリスト集団だった。
「王都の警備を強化しつつ…近隣の町や村にも巡回を増やそう様にしよう」
「仰せのままに」
「……ほかに何かあるか?」
「南西の村で疫病が発生したと言う情報が入っております」
「疫病?この時期に珍しいな。」
「医療チームと騎士を派遣しましたので、結果については後日報告が参ります……私事ですが先日は大量のお土産をありがとうございます…妻も息子も大喜びでした」
「ああ……喜んで貰えたなら良かった」
そんな真面目に職務に取り組むヴァルヴィナスを二人の姉妹が熱い視線を送っていた。
(真面目に仕事するヴァル…素敵)
(民のことを第一に考えているヴァル様優しい…しゅき)
視線を感じたヴァルヴィナスが姉妹の方を見ると、二人は慌てて本に視線を向ける…
意中の人が真面目に仕事に取り組む姿を目の当たりにして胸の鼓動が止まらない二人は仕事の邪魔をしてはいけないと思いつつも、その姿を目に焼き付けている。
そんな二人の気持ちに気付いて居る様で、気付いて居ない……鈍感系主人公なヴァルヴィナスは『付き合いの長い同級生にちゃんと真面目にやっている姿を見せたほうがいいかな……』程度に考えつつも、いつも以上に真面目に取り組んでいる姿は『気になるあの子にかっこいいところ見せたいぜ!』と、意気込む思春期の男子のそれである
(…この人達…じれったいなぁ…さっさとくっついちまえよ)
その状況を正確に把握しているのは、壁際で空気に徹しているマクガイアだけであった。
「うっ!!」
「マリー!しっか……ううっ!!」
顔を蒼白にしてうずくまるマトリーシェを介抱するカミュだが……彼も同様に口元押さえて、その場にうずくまった。
しばらくすると、二人は何とかベッドにたどり着くと、そのまま体を投げ出した。
「うっ…また失敗だわ」
「…食感は良かったと思うんだよ…問題は……後味だよね」
二人はテーブルの上に置かれた小さなクッキーのかけらを見つめた。
今は一日の作業が終わった。夜で就寝前の時間である。
ここ最近、二人は毎晩の様にこの試作品をマトリーシェの部屋で秘密の試食会を開いているのだった。
『今夜、私の部屋に来て』
最初にそう彼女に告げられた時はカミュは心臓が飛び出るかと思った。
そして、お風呂でいつもよりしっかりと体を洗うと部屋に戻り、落ち着きなく部屋を行ったり来たりしながら時間が来るのを待った……
約束の時間が来て、彼女の部屋を訪れるとそこには一糸纏わぬ彼女が……ではなく、一心不乱にボウルの中の液体を掻き混ぜる彼女であった。
「ごめんね。もうちょっとで完成だから」
彼女の説明によると、王都はまだしも、周辺の町や村では住民の栄養が足りていないのだと言う。
特に暗き森に近い村々では食べ物が不足している傾向にあると思われる。
彼女が作ろうとしてるのは、主に子供達に食べさせる為の基本的な栄養バランスのとれた携帯食料であった。
邪な想像をしていた自分を恥じながらも、彼女の手作りのお菓子が食べられると思えばずいぶんと役得な気がした。
「形はいびつだけど…どうぞ召し上がれ」
出来上がったクッキーを2人して、口に放り込むと…………気がつくと朝であった
体中が痛い……どうやら自分は床で眠っていたらしい…というか床に倒れて気絶していたようだ。
「まっマリー?!」
立ち上がり、彼女の姿を確認すると、昨夜ベッドに座っていた彼女はそのまま後ろに倒れ込み眠って…気絶していた様だ……
2人揃って部屋を出た所をネアト母さんに目撃されて
『昨夜はお楽しみでしたね』
などとちょっとよくわからないことを言われた。
お楽しみも何も記憶がないんですけど。
その後もマリーの試食会は続いた。
5回目にして気絶する事は無くなったが…気分が悪くなったり吐き気を催したり動悸、息切れ、目眩、倦怠感など……
様々な後遺症を克服して今に至る。
机の上にあるポーションを飲み干し、やっと体調が回復した。
「本当はママたちの意見も聞きたいんだけど…あれ以来食べてくれないしなぁ」
二度目の試作品は家族みんなで食べたのだが……ママ達にはすこぶる不評だった……『殺す気か!』とまで言われてしまったほどだ。
ちゃんと完成したら(味が良くなったら)食べると言う約束はしているが……このままでは部屋中がクッキーで埋め尽くされてしまいそうだ。
「…あー今日はシルヴィとベオが来る日ね」
「予定では……そろそろだね」
昔から友好のある竜人族の族長の娘、シルヴィアとその伴侶のベオウルフ……彼女はマトリーシェの初めての友達で、その伴侶のベオウルフとは最悪の出会いだった……今はあの時に殺さなくて良かったと思っている。
視線の先には二人の鱗から培養した卵が小さく揺れていた。
「…ママは…今日も帰らないのかな?」
「…ラビママが言うにはもう少しかかるみたいだね…」
先日のリリたん事件の後、森の家に帰るとネアトリーシェとミミルがモフラシアからの要請で既に出発していた……王宮からの要請のため断れなかったらしい。
「大丈夫だよ…ネアトママからの手紙にもあったでしょ?」
「そ…そうね…」
カミュの言葉に残されていた数十枚にも及ぶ書き置きを思い出した……最近感じるのだが…ネアトママは過保護すぎんか?
いや、ネアトリーシェだけでなく他のママ達も過保護すぎるのではないか?…甘やかされるのは別に構わないのだけど…その様子を見るカミュやミネヴァ達の視線が凄く暖かくてちょっと居心地が悪いと言うか……
ネアトリーシェの計画通りに年相応の思春期を迎えていた。
「マリー!早く『竜王女様は静かに暮らしたい』の続きが読みたいのです!』
「あぁ……あれね…うん、頑張るわ……」
ミネルヴァが来た途端にマトリーシェに詰め寄ると一気にまくしたてた。
この作品は、魔族以外にも需要があるのか気になって興味本位で書いたスピンオフな物語であった。
まさか、大ブームが起こっているとは夢にも思わなかったが……
「それよりも生まれそうだ!」
カミュの声に、全員の視線が卵へと集まる…卵がひび割れると中から生まれてきたのは真っ白な…
「ワイバーン種ね」
「しかし…白いワイバーンとは聞いたことが無いな…」
生まれたてのワイバーンを見る両親的な存在の二人は興味津々だ。
「そうね。雪のように白いから…名前はスノウにしましょう」
「!!貴様っ!何故名前をっ?」
「だって…ないと不便でしょう?」
「しかしっ…そんな簡単に…スノウ…悪くは無いが……」
やたら食い下がるベアウルフに怪訝な顔をするマトリーシェにミネヴァが耳打ちする。
「…悔しいのよ……昨夜遅くまで名前を考えていたからね…」
「ええっ?もう生まれちゃったの?」
「うん、ついさっきね…ファルも見て!すごく可愛いのよ」
遅れてやってきたファルミラとカリナが部屋に入ってきた。
ここに来ると普段のファルミラからは想像が出来ない位に幼い表情を曝け出す……それほど彼女の中でマトリーシェの存在が大きくなっているのだ。
「あっミネヴァさん、ベオさんこんにちは」
「ファル…こんにちは」
「おう」
竜人族の二人とも何度か顔合わせをしているので既に友達である。
ファルミラとカリナは王都のモウカリーノの店にある転移魔法陣からここにやってきた。
マトリーシェ達がこの森で生活している事は秘密なのだが……ファルミラには内緒にして貰う事でここに招待した。
王都の店で初めて出会った彼女は『危うい』気配が物凄く漂っていた……
その家庭環境や母親の体調不調により『子供らしさ』を抑制された結果だった。
それを見抜いたマトリーシェは自分がその友人になる事で彼女の子供らしい面を引き出そうと考えたからだ。
思惑通りに安定を得たファルミラはさらに成長を見せた……その結果、モウカリーノの商会でマリー達と週に数回面会をする事が許された……それは口実でこの森で茶会を開く事が目的なのだが……
何かあれば王都の店から連絡が来るので転移魔法陣で直ぐに帰る事も可能だった。
「今日は新作のクッキーよ…感想聞かせてもらえると嬉しいわ」
「……先日のような苦いクッキーではなくて?」
「あっ…あれはちょっとした手違いで…大丈夫よ…あれは厳重管理してるから」
先日の茶会はバタバタしていた為、本来カミュとの試食会にしか出さない例の試作品を出してしまい、ご茶会が阿鼻叫喚に包まれたのは記憶に新しい……
あれ以来、商品管理は亜空間収納にて厳重管理することになった。
「でも…お父様とお母様に内緒でなんて……なんだか悪い事をしている様で……」
「別に悪い事をしている訳じゃ無いもの……ファル…女性は秘密を持つ事でさらに美しくなるのよ?」
「ふふっ…マリーが言うのならば…そうなのでしょうね……」
みんなで楽しく会話をしていると、ふと頭の中に声が響いた
『実績解放『友人を作る』をクリアしました……新たなスキルが解放されます『スキル名:『姉妹人格:シスターズ』解放します…なおすでに既存のスキル名『イリス』は『シスターズ』に統合されます』
「んん?」
「どうしたのマリー?」
「いや…何でも……」
先日からこの身に起きる、このスキル獲得の流れは何なのだろうか?
とりあえず検証は後回しにして、今はこのひと時を楽しもう。
そう考えて、マトリーシェは意識を切り替えた。
「マリー…あなたの薬のおかげでお母様の体調が安定しているのありがとう。あなたには本当に感謝してもしきれないわ」
あの日以降リリシェールはマリーの作ったなんちゃってハイポーションを継続して服用していた。
「そうだ!ファル…今度この薬をお母さんが調子が良い時に飲ませてみてあげて」
「これは?.…一応鑑定してみてもいい?」
「えっ?う、うん…イイヨ……」
やや挙動不審になったマリーを横目にファルは鑑定を使った。
『準神霊薬液、エリクシアン(リリシェール専用)」
「ちょっ!、マリー!!これ!」
「えーっと…内容は伏せて飲ませて欲しいな……」
まるで姉妹のように笑い合う二人を見てカリナは内心困惑していた……二人の見た目は姉妹の様なのだ…
店で出会った時にはマトリーシェは若草色の髪の色をしていたが、それはカミュに合わせていた為、魔法で色を変えていたのだった。
本来の彼女の髪は白金色だ……昔、この森の近くでワイバーンに攫われた彼女の双子の姉と同じ髪色だ……そして何より名前が『マトリーシェ』……もう本人じゃん!確定じゃん!しかしあえて誰もそれに触れようとはしないのだ……触れたくないのかもしれない。
しかも二人がこうして共に会っている事はガノッサ夫妻には秘密事項なのである…
勿論一緒に参加している時点でカリナも共犯者なのである…
だってこの紅茶もお菓子も今まで食べたことが無いくらいに美味しいのだ。
最早胃袋を掴まれたカリナには出来る事は無いのであった。
暗き森の最西の端に小さな泉があった……森に住む動物達の憩いの場であり、オアシスであるこの場所は魔物であってもここで暴れる様な事は無いのであった。
水を飲んでいた鹿の親子が耳を動かすと周囲を警戒した……そして小鳥達が一斉に飛び立つと同時に動物達も森の奥へと駆け出し、全ての生き物がこの場所から居なくなった……
やがて木々の葉が変色し、水の色が黒く濁り始め、周囲にはくすんだ様なモヤが漂い始めた。
それはさながら暗黒領域を連想させる様な景色であった。
やがて泉の近くの大地が盛り上がると小さな植物がゆっくりと持ち上がり……ゆっくりとその蕾を開花させた……それは赤い胞子を炊き散らしながら立派な花を咲かせた……それは今まで誰も見たことが無い黒い薔薇であった。