混沌 7
「…もう気が済んだだろ?」
『ーーーーーーーーー』
「だから…今は準備をしている……そう言っただろ?」
『ーーーーーーーーー』
白い空間でカイルは目の前の少年に話しかけていた。
会話は成立している様だが……少年の言葉は我々には聞き取ることができない。
「焦る気持ちもわかるけど…せっかく溜め込んだ魔力が台無しじゃないか……」
『ーーー』
「……いいよ…それもわかった上で君を迎え入れたんだ…」
『ーーーーー』
「だからもうー」
『?!!!!』
突然少年が地面に膝から倒れ込みその体から黒い瘴気が吹き出した。
「!!カイル!」
カイルは走り出し少年に手を伸ばした。
『ウガアアアアアアア!!』
「!!」
動きを止めていた覚醒カイルから再び魔力が噴き出した。
アーガイルとミカイルは突然の事に慌てたが魔力の拘束を強めた…
しかし想像を超えるほどの力でのその拘束を引きちぎろうとしていた。
『なんだこの量は!!』
「抑えられない!!」
その二人に体を貸しているイリュとアイリスがその魔力を提供して押さえ込んでいるが……少し無理そうだ……
もう私には見ているだけなんて出来ない!
「流砂捕縛」
地面から黒い流砂の鎖が覚醒カイルに巻き付いた……
カイルがこの身体から出ていったので紫音自身の魔力で行使しなければならないが……持ち前の魔眼の不安定さもあり出力不足だった。
ならば…私も全力でやれば良い。
『紫音様!いけません!!』
何かを察した派遣賢者が制止の声を上げるが私は止まらなかった。
「魔眼発動!!……っ!!うあっ!」
瞬間左目に激痛が走った。
今までに感じたことのない痛みだ……無理矢理に繋がりを断たれた様な…それでいて鋭利な切先をゆっくりと押し付けられる様な鈍い痛みを感じ、紫音は左目を押さえてその場にうずくまった。
「しまった!…捕縛がっ!………!?」
覚醒カイルを抑え込んでいた捕縛の魔力が途切れてしまい、慌てて顔を上げて覚醒カイルを見た紫音は今度こそその場に硬直した。
「…な……なんで……」
自分の正面には同じように覚醒カイルがその場に片膝を付きこちらを見ていた…自分と同じように右目を覆った彼は信じられない様なものを見る目でこちらを見ていた……その…紫に染まった左目で……
「……私と……同じ…?」
今度こそ捕縛の魔力が途切れ、その隙をついた覚醒カイルが飛び出した。
「……なんで…どうしてカイルが……?」
紫音はその場にしゃがみ込んだ……すでに痛みは感じない……魔力が安定していない為、既に魔眼は解除されていた。
『紫音様…!ご無事ですか?魔力波長に異常は見られませんね…どこか痛い所は無いですか?ほら立って立って!スカートが皺になってしまいますよ!』
『……お母さんかな?』
その様子を見ていたクロンが呆れた様子でそんな言葉を呟いた。
『紫音大丈夫?』
「.…シロン…あいつが…同じ眼を……」
「紫音!!」
『ミツケタ!』
気がつけば覚醒カイルが目の前にいた……その手が伸ばされ……
遠くでイリューシャの声が聞こえた……
私の意識はそこで失われた。
あの暗い闇夜 私以外誰もいない部屋 人払いの結界
鏡に映る自分… 手に握られた……月光を鈍く反射するカッターナイフ…意思の篭った(眼)
苦痛から逃げ出す為に、強く強く決意した夜。
幼い日の自分を数歩下がった場所から見つめる自分が居た。
首や視線を動かすことができたが、その足は床に固定された様に少しも動かす事が出来なかった。
『ああ……夢だ…またあの時の夢を見ている……』
再び雲が月を覆い隠し室内は再び闇に覆われた……室内の空気が重くのしかかる…どこか他人事の様に見ているが
当時の自分にとっては死ぬほど苦しい決断だったのだ……
再び室内に月明かりが差し込み幼い紫音の姿が浮かび上がった……その再び開かれた目には迷いが感じられなかった。
その決意は固かった……再び眼前にカッターを構え眼を閉じた……
『…そういえば……彼はどこから来たんだろう?』
ふと視線を背後の扉へと向けた。
確か扉には人が入って来ない様に『施錠』『不動』『固定』の三重に結界を張っていた……
こうして見るとこの当時の自分の方が今よりも魔術の構築が丁寧で正確だった様に思えた…
『駄目だよ』
『!?』
その声は背後から……幼い紫音の隣から聞こえた。
慌てて振り返ると紫音の腕が少年に掴まれていた所だった。
『え?どこから現れたの?』
入り口ではなく室内に突然現れた…
紫音は改めて少年を観察する……その髪は白く綺麗に切り揃えられていた……
髪色もだがその声も…
『違う……』
その蒼い瞳も紫音の知るカイルとは別人だった。
『綺麗だね』
色々と落ち着いた私に彼はそう言った。
当時、私にそんな言葉をかけてくれる人は居なかったので凄く心に響いた記憶がある。
その言葉に歓喜した幼い私は涙を流した。
当時は自分の眼が綺麗だなんて考えもしなかった。
『それは君だけの瞳』
落ち着いた私に彼はそう告げた。
幼子を諭す様に。
大切な事を優しく、そして強く語りかけた。
『そして君だけの力』
優しく手を重ねた。
『でも……』
彼は手をそっと離すと私の眼を真っ直ぐに見つめた。
彼の蒼い瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚える。
そしてその言葉の先をただ静かに待った。
『その瞳が君を苦しめているなら…助けてあげるよ』
「本当?!」
思いもよらぬその言葉に幼い私は反応してしまう…そんな彼女の反応に彼は微笑んだ。
今思えば一体何をしたのだろうか?
『じゃあ…君の…魔眼を……これは……契約……で……』
契約?そんな内容だった?
彼は私の額に手を当てると小さく呟いた。
彼は右手を紫音の左眼の上に当て、左手を自分の左眼の上に当てた。
微かな光が二人を包み込みやがて静寂が訪れた。
光が収まると幼い私の髪は紫から黒へと変色していた。
『終わったよ』
魔力の流れは解らなかった……お互いの眼を入れ替えた?
紫音の目の前では何も知らずにはしゃぐ幼い自分と謎の少年……一体何をされたのか……なんの意味があったのか
今になって背筋に冷たい物が感じられた。
『……君の名前は?』
そういえばお互いに名乗り合った筈だった 。
『…紫音…紫の音って書いて紫音』
『紫音か……君にピッタリのいい名前だ』
『……ありがと』
『……僕の名前はシリウティウス……』
『…シリウティウス…』
『うん…でもこの名前は忘れて……もしも君がこの名を覚えていたら……』
……シリウティス……確かにそう聞こえた……いつも夢では聴こえない筈なのに……
なぜ今になって?
これは本当に私の記憶なのだろうか?
『これは…彼の記憶だよ』
『!!』
背後からの声に振り向いた。
そこにはカイルの姿があった……いや違う…姿はカイルだがその中身はカイルではない……
私は警戒は一気に膨れ上がった。
『誰?』
『ん?これは可笑しな事を……ああ……アイツから聞いていないのか……』
カイルが可笑しそうに笑う……違う…これは私が知っているカイルではない!
『僕が本当の『カイル:アルヴァレル』だよ…この姿で会うのは初めてかな?』
『何を…』
『君が知っている『カイル』は何者でもない偽りの空虚な存在って事だよ』
『カイル』がこちらに近付いてくる……来ないで!
私は動けないまま彼を睨みつける。
『別に君に危害は加えないよ…大事な『お姫様』だからね…』
『紫音様!!!』
派遣賢者の声が響いて強い衝撃が辺りを包み込んだ。
『紫音様…ご無事ですか?』
目の前には派遣賢者の顔があった…私が目を覚ました事でその顔には安堵の色が伺えた。
見れば彼の左手は肩からノイズが走った様に失われていた。
「どうなったの?」
『肉体の方はカイル様に拘束されたままの状態です…イリューシャ様とアイリス様が必死に…その…何とかしようとしています」
「…肉体の方?」
『意識の方はカイル様が侵入されて今立て籠っている状態ですね……先程紫音様の意識を取り戻す事に成功しましたが……今はシロン様とクロン様が抵抗していますが……時間の問題かと…』
「貴方の手はどうしたの?」
『侵入された時に…排除に失敗しました…』
賢者の背後を見ればシロンとクロンが結界を張っていた。
その向こうにはカイルが立っており余裕の表情でこちらを見ていた。
『無駄な抵抗は辞めた方が良い…君たちも悪い様には……っつ!』
一瞬カイルにノイズが走った様に見えた。
「……そうよね…あいつがすんなり諦めるとは思えないものね……」
『紫音様?』
「派遣賢者さん……言い難いわね……えーと2106番……ニトロ…あなたの名前はニトロね」
『!!』
瞬間、派遣賢者……ニトロが硬直し光の粒子が周囲に集まり、彼の失われた腕を再生させた。
「え?ええっ?!」
『紫音様…このニトロにご命令を』
イケメンな所作がさらに洗練された動きになった執事…ニトロが紫音の前に傅いた。
「な…何が……!!今はそれよりも…ニトロサポートして!今度は私があいつの中に入るわ!」
『!!危険です!そんな方法は……』
「多分……私の魔眼とあいつは繋がっているの」
先程見たあの光景…理由はわからないけど私の魔眼の片割れはカイルが所持しているのだ。
『わかりました…主人の願いを叶えるのは執事の役目……魔力を同調させて紫音様の魔力のブーストを行います』
ニトロが背後に回り込み紫音の両肩に手を置いた……暖かな魔力に流れを感じる。
『魔力同調……完了 魔力増幅……補正値2…3…規定値に到達…外部要因による負荷はこのニトロが請け負います……紫音様いつでもどうぞ』
「…行くわ……魔眼発動!」
再び魔眼を発動する…右目に軽い違和感を感じつつも先程の様な痛みを感じる事は無かった。
周囲の形式が流れるように過ぎ去り カイルの目に引き込まれて行く様な感覚と共に紫音の意識がブラックアウトした。
『紫音様…紫音様……』
「う……ニトロ?」
『はい…無事にカイル様の深層意識に入り込みました』
ゆっくりと身体を起こす…その姿は半透明に透き通っており意識だけの存在だと嫌でも視認させられた。
ニトロは……私の周囲をゆっくりと周回する小さな光……これがニトロの様だ。
目の前では2人のカイルが言い争っている
『あれがカギなのだろう?早く次の段階へ…』
落ち着いた様子でやたらと高圧的な金髪のカイル。
『準備がまだ足りないって言っただろ!前回の二の舞になるって何故わからない!』
必死に説得しようとしているが…どこかゆとりの無い銀髪のカイル。
『お前のやり方は生ぬるい…』
『必要な事なんだよ!…今のカイルは使徒の影響を受け過ぎている!落ち着いてくれ!』
『交渉決裂だな』
金カイルの手から閃光の魔力弾が放たれ銀カイルがそれを弾き飛ばした。
次の瞬間には銀カイルの上に金カイルが馬乗りになってその首に手をかけた。
『風の息』
『!!』
自分に襲いかかる風圧に金カイルはその体を弾き飛ばされた。
金カイルは体勢を立て直すとこちらに視線を向けた。
『これはこれは…『姫』ではないか…』
『紫音っ?!…何故ここにっ…』
紫音は銀カイルに近付くとその手を取って助け起こした。
『何やってるのよ…あんな奴さっさと倒しなさいよ』
『…いや…それ無茶苦茶だよね?』
『……いいわ…今回は私が守ってあげるわ』
彼に触れてみてその体に残された魔力が非常に少ない事を感じた…
考えて見ればアイリスを助ける為に相当な無理をして来たのだ…
超常的な力を使い何でもやり遂げてしまう彼の姿に超人の様なイメージを持っていたが、よく考えれば所詮、彼も人の子であると言うことだった。
『ニトロ!防御は任せるわよ』
『紫音様!ご武運を』
ニトロの光が紫音の周囲で激しく回ると弾けた様に消えた。
その瞬間紫音の周囲に魔法障壁が展開された。