真・暗き森のマトリーシェ 10
「馬鹿な!レイヴン!」
ヘブラスカがその光景を見たのは迫るカミュに対してやっと魔力の一撃を見舞った直後だった。
レイヴンの胸から光が溢れ,そこから上は一瞬で無くなった。
カミュの追撃が無いと分かるとレイヴンの元へと駆け寄った。
「ぐっ!」
カミュは地面に片膝をついた……一瞬の隙を突かれ強烈な魔力弾を食らってしまった。
魔眼の効果が切れる瞬間を突かれたのだ…思ったよりも深刻なダメージであった,異変を感じ取ったイヴが駆け寄り回復を施そうとするがカミュはそれを手で制した。
「まだです…!まだ何かしようとしている!」
ヘブラスカは地面に倒れたレイヴンの亡骸に手を当てる。
そんな姿を何の興味も無い様な目で見つめていたヘブラスカは目を閉じた。
「全く…守るとか言っておいて…バカな男だねお前は……」
そう言いながら彼女の手が淡い光を放つと,その体からゆらゆらと揺らめく炎の様なものが吸い寄せられるように現れた……それは黒く蠢くベラドンナの呪詛を纏っていた。
「!?馬鹿な!魂魄を取り出した!」
ヘブラスカがソレを両手で包み込み……その手を開くと禍々しい黒い火花を放つ鋭利な光球があった。
「お前の魔力が呪詛の元だから必ず当たるぞ……返すぞ」
ソレはヘブラスカの手を離れると凄まじい速さでベラドンナの心臓へと目掛けて飛び去った。
ベラドンナの脳裏にかつて四人で旅した数々の光景が浮かんでは消えた……
(……あ……これ…ダメな奴だ……)
世界が止まったかの様な刹那の瞬間彼女は隣の姉を見た……
二人の視線が交差した。
(お姉ちゃん……ヴァルの事お願いね…)
姉に全てを託し彼女は微笑んだ。
「むっ!?」
ヴァルヴィナスは戦闘の合間に彼女の声を聞いた様な気がした………
その速度に誰もが動けないでいた…………筈だった。
ベラドンナは強い衝撃を受けて地面に倒れ込んだ………
心臓には貫かれた跡が……跡が……無い?
「!!」
顔を上げたその先で…自分の代わりに胸から血を流す姉がいた。
彼女が割り込み妹を突き飛ばしていたからだった。
「ベル!ベル!……なんで……」
崩れる彼女を抱き止めたベラドンナが必死に手当てを施そうとする……が手遅れなのは一目瞭然だった。
「…ベラ…大丈夫?……ごふっ」
「あああ…お姉ちゃん…なんで…なんで…」
「ふふっ……お姉ちゃん……だからだよ……」
「いやっ…嫌よ!お姉ちゃん!!」
「あら?凄いわね…あの速度に反応できるなんて…美しい姉妹愛ねえ」
最早ベラドンナは戦いどころでは無い…狂った様に泣き喚いている……
ベルゼーヴもうっすらと笑みを浮かべ、最愛の妹の手の中でその命の終わりを迎えようとしていた。
「……イヴさん……彼女に「奇蹟」をお願いします」
「貴方…わかってる?貴方の傷も致命傷よ?」
「ええ…でも…あの二人に何かあったら…魔剣王様に怒られちゃいますから」
「…面白い子ね…貴方は…」
イヴは最後のポーションよ、と言って液体をカミュにぶっかけた…
傷は完全には塞がってはいないが出血は抑えられた様だ…。
「覚悟を決めたのね」
「ええ…元よりこの命は…マリーの為にあるのですから」
その言葉を聞いてイヴは二人の元へと転移した。
「退きなさい…お姉さんを救いたいなら」
「?!…お姉ちゃん…助かるの?」
「それが彼の願いですからね」
イヴに優しく諭されたベラドンナは場所を代わり、固唾を飲んで見守った。
それを見つめるヘブラスカの前に再びカミュが立ちはだかった。
「…さぁ…マリーを返してもらうぞ!」
「…そんな姿になってまで…しつこい小僧だね!」
再びカミュがヘブラスカを追い詰めた…しかしその身に魔法を受けて足止めを食らってしまう……
カミュの消耗もあるが、ヘブラスカの魔力が色濃く現れ始めた…
マリファ達の解呪も追い付かなくなってきていた。
しかしその眼差しに諦めの色は見えない。
(もうすぐ…もうすぐだ…マリー)
カミュはその時を待っていた。
「聖櫃よ顕現せよ!」
イヴの頭上に金色に輝く聖櫃が出現する……天界の教典に記されている、主神の亡骸を納めた聖なる柩だ。
それと同時に二人が結界にて包まれる。
「エアリュレリの山脈より息吹、オルソラリアの波間より雫、悠久の狭間より祈り」
頭上の聖櫃が輝きその蓋が開かれ眩い光が二人を包み込んだ。
「大いなる意志よ!今ここにその奇蹟を示せ!「完全存在再生」」
眩い光がが収まると…ぐったりとしたイヴとその膝に穏やかな寝顔のベルゼーブがいた……その胸には傷一つなかった。
「ねぇ…さま…」
「…大丈夫です…この者は生きていますよ」
そう告げるイヴの顔色は悪い。
それもそうだ…いま彼女は自らの全ての魔力を使い奇蹟を起こしたのだ。
70日に一度、彼女の魔力全てを消費して起こす奇蹟の呪法。
「聖櫃の奇蹟」である。
その威力は高く、部位欠損、精神破壊、さらには死者すらも蘇生すると言われている。
しかしその代償は大きく彼女はこの後は日付が変わるまで行動不能へと陥るのだった。
「この結界は…暫く安全でしょう……出てはいけませんよ…私は今から眠りに着きます……」
「えっ?!ちょっと!」
その場に倒れ込むイヴにベラドンナは焦ったが二人とも生きている様子に安心する……
「さぁ…カミュさん…成し遂げなさい…あなたの望みを」
イヴはそう呟くと意識を手放した。
ヘブラスカは苛立ちを感じていた。
なんなのだこの男は?先程からかなりの強力な呪文をぶつけるが物ともせずに向かってくる…魔剣に宿る並列意志による解呪も使うそぶりも見せないのだ。
体力も限界なのか先程から大振りに振り回して牽制しているのか……遂にその体に魔法を受けてその場に膝を付いた……
立ち上がる事もできない様だ。
「良くぞ私を相手に奮闘したな…もう終わりにしてやろう…」
『今だ!カミュ!』
地面に突き立てられた魔剣からマリファの声が響いた。
「魔食花の抱擁」
地面に巨大な魔法陣が浮かび上がる……やがて巨大な魔力の花弁が幾重にも重なりあって二人を包み込んだ。
ヘブラスカは驚愕するこれ程の規模の結界術を行使する為の魔力の波動が感じられなかったからだ……
実際魔力の劣るマリファとマリータではヘブラスカを拘束し続けることは不可能であったが……
「!!なんだこれは!!…そうか描図式魔法陣かっ!」
先程からのカミュの大振りな剣の軌跡は牽制でも攻撃でも無く、魔法陣を描く為の物であった。
「はっ!こんな動きを止めたぐらいで……!!何故だ!何故破れぬ!!」
「「眷属召喚」」
結界にもがくヘブラスカを見て勝機と感じたカミュは次の手に移る。
召喚に応じて彼の肩に黒猫が現れた……尾が二つに分かれており上位の「猫又」であると推測できた。
ヘブラスカはその猫と視線が合う…どこかで見たことのある眼だ。
『全く情け無い娘だね…!さっさとそんな魔女なんか追い出しちまいな!』
「?!ネアトリーシェ!!」
僅かだからその黒い虚な目に光が宿った様に見えた。
『魂魄咆哮』
ネアトリーシェの咆哮によりヘブラスカ…マトリーシェの胸の辺りから鎖が幾重にも体に巻き付いた。
「な…何が…」
「魂魄契約だよ……マリーの強力な素質に不安を覚えたネアトが施した安全装置だよ」
全てはこの瞬間の為に…ネアトリーシェはカミュと獣魔契約を結び戦いの場に眷属として召喚された…マトリーシェの身体を使っている以上、決してこの契約からは逃れることは出来ない。
「有難う…後は二人で…今だ!マリファ!マリータ!」
『はいはーい!いっくよ〜!』
地面に突き立てられた魔剣が浮き上がるとそのままヘブラスカの胸に突き立てられた。
「!!……何……?剣……じゃない?」
ヘブラスカは自身の胸を見やる……突き立てられた魔剣はその姿を錫杖へと姿を変えていた。
『よっし!じゃあやっちゃうよー!』
マリータの操る錫杖の先端の魔石が輝きヘブラスカの体から魔力を吸い上げ始めた。
「!?…ぐっ…貴様この娘の魔力だけを!!」
『私の魔力を私が回収してるだけだからね…今の状態ではあんたは何もできないでしょ!』
「くっ!馬鹿にするでないぞ!これ式の結界……ぐあああああ!!」
新たな結界の幕が二人を包み込んだ時,ヘブラスカが絶叫を上げた。
『なっ…何?どしたの?』
これはマリファ自身も気づいていなかった事だがマクガイアから義理の親子の様な愛情を注がれた二人には聖属性の加護が宿っていた……それが本人も知らぬうちにその魔力にも属性が付与されていたのだ……しかもその存在はマトリーシェの体に憑依する霊的な存在である闇属性のヘブラスカにとっては死に至るほどの激痛を与えるのだった。
(ぐうっ!ここで終わってたまるか!まだ私は…皆んなの…まだ消える訳にはいかない!!)
転生を繰り返す彼女にとって何よりも恐るのは存在の消滅……『死』である。
『ソウダ!マダオワッテイナイゾ…オマエノフクシュウハ!』
(?貴様!!あの時の!)
突然脳裏に響く様な囁きが聞こえた。
と同時にカミュの結界が破壊され砕け散った。
衝撃で二人はその場に倒れ込む。
次の瞬間、何かがヘブラスカを拘束した…それは頭部を失ったレイヴンの死体であった。
『サア!ワレヲウケイレロ!フクシュウヲハタストキガキタノダ!!』
「良いだろう…生き残れるのならばな!」
ヘブラスカのその宣言を合図にレイヴンの体が割れ、中から夥しい触手が現れ彼女を拘束しその身へと取り込込んだ。