失われた記憶〜結末〜
ホワイトワイバーンが現れたことにより傭兵たちの行動に余裕がなくなった。
残った勇敢な者達は陣形を組み迎撃を試みたが指揮を執っていた団長が真っ先に餌食になった。
マトリーシェは混乱に乗じて森を駆け抜けると僅かな空き地に辿り着いた。
ネアトの研究部屋より持ち出した魔道具で結界を張り、転生の儀式を行うべく魔方陣を書き始めた。
彼女の左腕は動かない…手首…そして肩の付近で骨折している様だ…それに逃げ出す際に近くにいた傭兵に背中を斬り付けられており焼ける様な痛みがあった……
この傷では逃げる事は叶わないだろう……
(だから…ここには誰も近寄らせないで…白翼竜…)
彼女の意思は翼竜へと伝わり、忠実なる僕は忠誠を誓うように咆哮を轟かせるのだった。
「魔法で奴の動きを止めろ!!」
「動きが速すぎて無理です!詠唱が間に合いません!!」
「弓で奴の動きを…うわああああ!!」
冒険者たちはほぼ惨殺され、騎士団が対応に乗り出した…が翼竜の優位は揺るがなかった。
「なんだあれは…ワイバーンと違うぞ!!」
彼はかつて仲間とともにワイバーンを討伐したことがあったのだがその経験も全く役に立たなかった。
ワイバーンは普通上空からの攻撃が主体で近付いてきた所を狙うのだ……が、この固体は上空ではなく地面を徘徊しているのだった。
鉤爪を上手く利用して高速で木々の合間を移動し爪で、尾で、竜息で…冒険者と騎士達を葬っていたのだ。
一般的に知られるワイバーンとはその機動力も攻撃方法も比べ物にならなかった。
更にはその尾にはクリスタルが付属しており何人もの騎士と冒険者が氷の彫像へと姿を変えられていた。
「この様な魔獣を…やはり魔女は生かしては置けぬ!!」
生き残った騎士たちは魔剣王への忠誠を示さんと勇敢に立ち向かい命を散らしてゆくのだった。
「……これで……完成」
魔方陣を書き上げたマトリーシェはその中央で儀式を始める……
行うのは『転生の』秘術…一時的に魂と肉体を切り離し魔力により新たな肉体を構築し魂をそこに転生させる…短時間で新たな肉体を手に入れる為の術式であった。
一般的に知られる魂の輪廻転生ではなく更に高度な転生術であった。
一心不乱に呪文を詠唱する彼女の体からはゆっくりと生命の鼓動が抜け落ちていった。
(死にたくない…死にたくない!カミュに会って彼の口から本当の話を聞くんだ!)
今まで自分に起こった出来事がどうしても納得できず、更に彼が裏切ったとはどうしても信じられない彼女の気持がここまで彼女を駆り立てていた……その結果、成功率が天文学的なこの秘術を成功に導いていた。
(もう一度…カミュに会って…本当の事を彼の口から聞き出すまで…死ねるものか!!)
魂と呼べる存在となったマトリーシェがゆっくりとその体から離れた……体はゆっくりとその場に崩れ落ちた。
新たな肉体を形成するべく魔力を注ぎ込んだ魔方陣が輝きを増した。
(成功!!これでカミュの元へ……)
新たな肉体が形成されようとしていたその時、光が爆ぜて魔力が霧散した。
同時にマトリーシェの魂とも呼べる存在は闇に似た存在に絡め取られ本来の死に行く肉体に再び押し戻された。
「…な…なんで……」
最早指の一つも動かせない状況のマトリーシェだったが、不意に誰かに抱き起こされた。
「……カ…カミュ……」
「ああ…マリー…大丈夫かい?」
自分は夢でも見ているのだろうか?目の前にはカミュが居た……彼女を優しく抱き起こしその頬を撫でた。
「…カミュ…カミュ…カミュ!!!!」
最後の力を振り絞り彼の名を呼ぶ…動かなかった筈の指に力が篭り彼の手を握り返した。
「わ…私…私……」
「…うん…もう大丈夫だよ…直に楽にしてあげるよ」
「……え?……」
喜びも束の間…彼女の胸に一本にナイフが突き立てられた。
やがてそれは痛みを伴い彼女に襲い掛かった。
「…ど…どう…し…て……」
「…悪い魔女は…殺してしまわないとね」
彼は笑顔でそう告げた。
「………………」
彼女の言葉は既に彼には届かなかった。
薄れていく意識の中涙となって彼女の瞳から零れ落ちた。
『カミュ…愛してる』
………と。
紫音は涙が止まらなかった。
彼女の一途な思いが胸を締め付けた。
「……これが私の真実だ……私は悪なのだろうか?」
「…違う貴女は被害者だよ」
「私は今なお真実を求めているのだ…しかし今では真実を知る者など居ないのだ…私は生きていても言いのだろうか?この時代に居ても良いのだろうか?」
「…それは…」
「私を認めてくれ……私を受け入れてくれ……『紫音』」
マトリーシェに名を呼ばれた紫音の瞳から輝きが失われた。
「…ええ…貴女を認めるわ…マトリーシェ……」
「マリーと呼んでくれ…私と紫音の仲じゃないか…」
「ええ……そうね……マリー…貴女を受け入れるわ…」
更に紫音の瞳から光が消えた。
「嬉しいわ…紫音…」
彼女を抱き寄せ抱擁する二人……だが紫音には感情が無く、マトリーシェには獰猛な笑みが浮かぶのだった。
「………これが…真実だ……」
ルミナスの言葉に全員が沈黙していた。
「……不憫だな……」
伊織がそう呟いた。
その表情は泣きそうにも見える。
「……カイル……」
イリューシャが不安げな表情で隣の彼を見た。
「……それでも……紫音もアイリスも助け出さないと…」
「…そうだな」
カイルの言葉にルミナスが立ち上がった。
「過去はどうあれ過ぎた事だ……だからと言って何をしても許される筈はない…それに……」
「………それに?」
「彼女は死んでしまった存在だ……だから知らないんだよ……この『真実』を」
「!!」
と、同時に扉の結界が解除される……それを見た全員がゆっくりと立ち上がる。
「さて…折角のご招待だ…行くとしますか!」
歩き出すカイルに続きイリュ…ルミナスが続く…その横顔に迷いは無い。
少し遅れてネルが続く……相変わらず表情からその感情は読み取れないが、ルミナスを守る為なら彼女は命すら捨てるだろう。
「…あいつの居る所はとんでもない事ばかり起こるな」
そういって伊織も駆け出した…その表情は何処か嬉しそうだ。
「…仕方ない…ここまで来たら最後まで付き合うか」
マードック、キース、鉄平もそれに続いた。
夜明けまであと数刻……東の空はうっすらと白く染まり始めていた。