ヤミノフルヨル1
「……間に合わなかった」
紫音はシャッターの閉まった店の前でガックリと項垂れた。
今夜はこの(浜中精肉店)の手作りコロッケ(120円)にしようと決めていたのに……
具沢山な所が母親の作るコロッケに似ていたので気に入っていた。
この店はコロッケを看板商品にしている事もあり主な商品が売り切れるとその時点で閉店してしまう。
まさか自分があんなに泣いてしまうとは……予想以上に自分が我慢していたのだろうか……?
朝のイリュの言葉を思い出す。
(そんな風に見えていたのだろうか?……見えてたんだろうな…… )
先程の自分を思い出し少しだけ気恥ずかしくなった。
……しかし幾らか気持ちが軽く感じる事気がした。
「さて……仕方ない…今夜はあそこのスーパーで買って帰るか…」
紫音は気を取り直してトボトボと歩き出した。
この店はアパートから離れた場所に在る為いつも買い物をする商店街までは少し歩かなければならなかった。
週末のこの時間では人通りもまばらで一般家庭では夕食後の家族の団欒の真っ最中であろう。
「……さて」
紫音は三差路で立ち止まる……右にいけばそれなりに店の立ち並ぶ明るい道…
…しかし時間はかかる。
左に行けば 既に暗いオフィス街…目的地迄は一直線だ……
…暫く悩んで左を選んだ……理由はただ早く家に帰りたかったから。
オフィス街といっても広い道路に並木道が並ぶ………な感じではなくて路地裏みたいな道に二流三流企業が箱詰めされた雑居ビルが立ち並ぶエリアだ。
昼間はサラリーマンやOLさんで賑わうこの道も夜は全くの別世界だった。
(……物語とかで野良猫とか出てきそうな雰囲気ね …そこの角のゴミ箱とかひっくり返して…)
などと他愛もない 想像をしながら歩いていた。
次の瞬間 想像通りにゴミ箱が弾き飛ばされ何かが路面を転がった。
「なっ?!何っ?!」
紫音は鞄を抱きしめ身構えた…だってそれは猫なんかよりも大きくて…ゆっくりと二本足で立ち上がったのだから…
……え?立ち上がるっ………て
ソレは身の丈は一メートルほど在る猫だった……いや…猫と呼ぶには異質な存在感のある猫だ。
茶色い毛で全身を覆われておりその両手(?)の爪は鋭く長い。
口は耳元まで裂けた様に大きく その口には鋭い牙が乱雑に並んでいた…
…その目は細く鋭く憎悪に燃えるかの様に赤く輝いていた。
ソレはふらふらと立ち上がると自分が飛んできた方向に向って
背を低く構えると 威嚇の声を発した。
次の瞬間 その方向から火の玉が飛んできた。
「火球」 の呪文だ。
火属性の初級呪文だが この速度 精度 威力を見れば、使用者がなかなかの熟練者だと推測できた。
魔法は術者の熟練度によってその姿を変える。
初めてファイアボールを使用した者には火の玉を作り出す作業でしかない 。
熟練してゆくにつれ 攻撃力 魔力消費量軽減 詠唱破棄 貫通 多重効果付属など 術者と共に進化して行くのだ。
再びファイアボールが三発 ソレに向けて襲いかかった。
ソレは敏感に反応して二発をかわした先で三発目の直撃を受けた。
瞬時にソレは火だるまと化した。
「ギニャァァァァァ……」
猫っぽいソレは猫っぽい断末魔の叫びをあげて木っ端微塵に吹き飛んだ。
その残骸は大気に溶け込む様に煙と化して消え去った。
「……………」
紫音はその場に尻餅をついた。
……何なの?これ?
最後のファイアボールには 「加速」「殺傷力上昇」「爆発」の効果が付与されていた。
最初の二発は囮……対象を目的の位置に誘い込むためのモノだ。
その証拠に最初の二発は加速の効果が強く付与されていなかった。
避けさせる事が目的だからだ。
三発目には強い殺傷力が感じられた。
理論では知識があっても、目の前でその威力を見せられては……言葉が無かった。
授業で習う魔法とは違う『本物』の魔法である……それが今、目の前で命を刈り取ったのだ。
気が付けば紫音の足も手も震えていた……周囲からは未だに無数の気配が感じられた……彼女は手に力を込めると深呼吸を繰り返した。
こんな状況でありながらも紫音の(眼)は「分析」していた。
別な方角から三匹のソレが現れた。 「ワイルドキャット」 そうアナライズされた。
…連中はまだ紫音に気がついていない…
「……逃げないと……」
紫音はふらふらと立ち上がり後ずさりした……が見えない壁に阻まれた。
結界だ……そんな筈は…自分がついさっき歩いてきた場所なのに……
「模倣結界」「十二使徒の魔鏡」…紫音の目によりアナライズされた結界を瞬時に理解する。
この区域に学園の演習場と同規模かそれ以上の結界が張り巡らされていた。
故に紫音は追い詰められる形になってしまった。
(…何故こんな事に?…)
恐怖で膝が震えていた…どうする?逃げる事も出来ずこのまま見つからない保証もない……見つかるのは時間の問題だ。
この場所では戦闘が行われていた……このワイルドキャットと敵対する存在もいるという事だ。……それが味方になってくれるとは限らない。
ワイルドキャットの一匹が紫音の存在に気付いた様だ…威嚇の唸り声をあげてこちらに向かってきた……初めて直面するこの事態に 紫音は「死」を意識した。
それは遠い存在と思いながらも、こんな日常のすぐ近くに潜んでいたのだ。
(このまま……死んじゃうのかな?)
(それは……嫌だ!)
(どうする?・・魔眼しかない?……でも……)
(?!やるしかないっ!!)
魔導リングに意識を集中させてシールドを展開……飛び掛かってきた一匹目を防ぐ。
その凶暴さと鋭い爪は今にもリングの障壁を破りそうだった。
見れば後方の二匹もこちらに向かって来ていた。
……三匹は防ぎ切れない……
紫音は覚悟を決めた。
この状況で助けは期待できない……この猫達とも話し合いも無駄……
このままやられる位なら……やってやる!
震えは止まった……あの日の様に。
その瞳には強い決意が見えた……あの日の様に。
しかしあの日とは違う、これは……逃げる為の決意ではない……前に進む為の決意だ!紫音は目を閉じて叫んだ。
「魔眼発動!」