聖女様が現れて婚約破棄が行われると怯えている婚約者を、慰める方法を求む
「えっと・・・もうすぐ聖女様が現れて・・・君が僕に、婚約破棄されるの?」
「はい!そうです!・・・そう、なんです・・・ぐすっ・・・ううっ・・・」
今日もいつもと同じように、月に1回のかわいい婚約者とのお茶会を楽しむ予定だったはずだが、目の前では、ぽろぽろと涙を流して深く落ち込んでいる自分の婚約者がいる。
泣かせたままではかわいそうで慰めたいと思うのに、混乱が大きくて思考が回らない。
え?もうすぐ聖女が現れるの?
それで、僕が彼女に婚約破棄を告げる?
・・・・なぜ?
とりあえず控えている侍女に、心が落ち着くようなハーブティーを二人分持ってくるように言いつけたが、あまりに動揺していて、目の前のお茶を一口飲まずにはいられなかった。
我が国には、多くの聖女伝説が残されている。
建国を助けた初代の聖女をはじめ、王家の世代交代に合わせるかのように、20年ほどの期間を開け、何度か聖女が現れては国の窮地を救った記録が残されているのだ。
遺跡に。
確か先日、最古の王宮跡地の発掘が終わり、聖女が描かれた壁画が見つかったとも聞いた。
その聖女という存在も、他国との交易が盛んになり国としての基盤が整った頃、出現の記録が途切れがちになる。
そして、前の記録から100年ほどの期間が開き、最後の一人と考えられる聖女が現れた。
(その聖女の記録は、確か180年ほど前か?)
僕の祖父の祖父、つまり高祖父が幼い頃、聖女の葬儀に参列したと記録が残っているのを読んだことがある。
死因は老衰であった。
最後の聖女はこの国の教育の普及に尽力された方だ。
『テラコヤ』というシステムで、国民の識字率の大幅な引き上げに成功し、算術の得意なものが増えたことで、その数年後、商業がまた大きく発展したのだ。
(アビーが、聖女の出現を予知をしたというのか?・・・まさか、そんな)
聖女の登場と婚約破棄のつながりはよく分からないが、軽く息をつき、腹に力を入れる。
自分の動揺に情けなさを感じつつ、努めて優しく彼女に声を掛けた。
「それはすごく驚いたね。よく話してくれた。もう大丈夫、心配いらないよ」
そう言いながら、ローテーブルを挟み向かいのソファーに座っている婚約者のもとへ、立ち上がり近寄る。ゆっくりと彼女の隣に腰を下ろし、優しく頭を撫でた。
すると、彼女は僕を見上げ少し安心した顔をする。
「ゼインさま、すみません。取り乱してしまって」
少し自信のない、遠慮がちな声でそういう彼女に僕は笑った。
「大丈夫だよ、アビー。君が赤ちゃんの頃は、いっぱい泣いてたから」
僕の言葉に彼女が頬を膨らませる。
「もう!私、赤ちゃんではありません!」
拗ねた声に少し元気が戻ってきてホッとした。
「知っているよ。僕の大切な婚約者だからね」
にっこりと笑ってそう言えば、アビーが頬を赤くして俯く。
かわいいくて堪らなくて、ご機嫌で彼女の頭を撫でていたら、二人分のハーブティーがテーブルにセットされたので、僕は名残惜しさも感じつつ元の席へ戻った。
かわいい婚約者アビゲイル・ファルークは、伯爵家の令嬢だ。僕より8つ年下の女の子、今年で15歳。生まれてすぐ、僕の婚約者として指名された。なので、婚約者のご機嫌伺いに初めて訪れたとき、彼女はまだ寝返りも打てない赤ん坊だったのだ。
初対面の彼女は、小さなベッドで眠っていた。ファルーク伯爵夫人から触れていいと言われ、右手の人差し指でそっとその小さな手をつつけば、思いの外強い力でぎゅっと握りしめられ、慌てたことが懐かしい。抱っこもさせてもらったけれど、小さくて柔らかくて温かくて、胸がポカポカと幸せな気持ちになった。
弟も妹もいない僕にとっては、赤ちゃんを間近で見たことも触れたことも初めてだったから、とても印象的な出会いだったと思う。
その時からずっと、僕の大切な婚約者の女の子だ。
そんな彼女の家、ファルーク伯爵家の始まりは、建国まで遡ることが出来るほどの歴史を持つ。もともとは占星術を生業とする一族で、初代の王や聖女を支え、その功績から爵位を授かったと伝えられている。
水害を予言したとか、王都に結界を張って魔物の襲来を防いだとか、どこまで本当なのかわからない出来事が、初代の聖女の伝説とともに、王家では記録され残されている。
今は占星術とは関係なく、領地を持つ伯爵家として王家に仕えている。なので予言を王家に奏上することはないし、災害の予言なども初代の王の時代以降は記録にも残されていない。
とはいえ、予言とまでは行かないが、予知に近いことはファルーク伯爵家ではそんなに珍しいことではない。
アビーの父である現当主や先代の妹で他家に嫁いだ夫人も、時折、天気の急変や突然の訪問者が事前に思い浮かぶことがあると教えてくれた。
ほんの少しだけ便利だけれど、別になくても困らないくらいの予知、とでも言おうか。
ただ、アビーは幼い頃から、その能力の精度が少し高い。
思い浮かぶ内容が具体的なのだ。天気の急変ならばその時刻や規模を、突然の訪問者ならその人物の名や用件の内容まで。
もちろん、毎回わかるとかではないけれど、比較的緊急度が高いものは、思い浮かぶことが多いのではないかなと、僕は感じている。実際自分が急な用事で先触れなしに訪れたときも、すでに出迎えの準備も部屋の支度も済んでいて驚いたことがあった。
一般的に言われる『虫の知らせ』で済ますには、少々無理があるかなと思う能力だ。
ただ、その程度の予知では、国政に貢献することもなければ、障害になることもない。
現在のファルーク伯爵家に対する認識は、建国の時代に王家に貢献した伯爵家といった程度だ。だからこそ、僕の婚約者として妥当だったのだけど。
今回の聖女出現に関しても、ファルーク伯爵家が持つ予知の力でアビーは知ったのだろう。
とはいえ、アビーの予知の力が思いのほか強くて、僕はだいぶ混乱していた。
ハーブティーを飲んで息をついているアビーを見ながら、詳しく聞くために口を開いた。
「その聖女様はどんな方だったのか、聞いてもいい?」
そう、重要なのはアビーが予知で見たという聖女がどんな人物なのか、だ。
先ほどは取り乱していたアビーが、真剣なまなざしで僕に頷く。
「私と同い年の女性です。おそらく、来週の学院の入学式でご一緒するのではと思います。学院の制服を着ていましたし、学年色のリボンも同じでした」
想像できなかった聖女という存在が、アビーと同い年の女性と判明して少し安心する。しかし、どうしてそう思ったのだろう。首を傾げれば、アビーはハッとしたのか言葉を重ねる。
「私と一緒にご入学される、王太子殿下とともにいらっしゃる様子が思い浮かんだので、同じ学年ではないかと思いました」
なるほど、それで同い年だと断定したのか。3年ごとに、新入生のリボンの色は同じになるからね。3の倍数の未来ではなくてよかった。
「そっか。それで、婚約破棄は、どう繋がるの?」
一番大事なところを尋ねたら、アビーが困った表情になった。
「それが・・・いくつもの声が聞こえたんです。『君との婚約は破棄する!』と」
「いくつもの声?」と合いの手を入れれば、アビーは眉間にしわを寄せ頷く。
「はい、そのいくつもの声のうち、一つがゼインさまでした」
そう言って、アビーは膝の上で両手をぎゅっと握りしめた。なるほど、分岐のある予知だろうか?
予知だとしても、アビーにそんなことを言う自分が腹立たしい。可能性が万に一つもあったから予知されたのだと思うと、そんなわけあるかとすごくモヤモヤした。
いや、ちがう。
今、自分の気持ちはどうでもいいのだ。
「アビー、心配することはないと思うよ。そもそも僕はその聖女と接点がない」
いくらアビーが通ってるからと言って、さすがに学院に不法侵入とかしないよ?卒業生ではあるけれど、全く用事もないし。
僕の言葉に、アビーは少し迷った後、口を開く。
「あの・・・ゼインさまは、歴史学の教師として学院にいらっしゃいました」
言われて驚く。
「歴史学の・・・教師?」
そう言われて驚く。あと一週間で入学式だというのに、僕にはそんな打診は来ていない。
これはどういうことだろうと、首をひねっていると、アビーは不安そうに僕を見て言った。
「聖女様の言葉で、聞き取れたものがあります」
僕が目を瞬かせると、アビーは言った。
「『これで整うのです』と」
意味深だが、その言葉だけでは予想を立てづらい。場が整うということか?婚約破棄の?
「・・・アビー、この予知は僕以外に誰が知っている?」
あれこれ考えながらアビーに確認すると、「先ほど父には報告しました。予知を見てそう間を置かずに、ゼインさまがいらっしゃる時間だったので」と答えてくれる。
なるほど、わかった。
「アビー、ファルーク伯爵と話をさせていただきたいんだが、取次をお願いできるだろうか」
僕の言葉に、アビーが少しほっとしたように頷き、侍女に指示を出す。アビーの予知の精度をファルーク伯爵に改めて確認してから、少し気は進まないが一番頼りになる人に相談しなくてはと、ハーブティーを一口飲んで、軽く息をついた。
昨日、ファルーク伯爵家から帰り、急ぎ先方にお伺いを立てたところ、今日の午前に時間を作ってくれた。
王宮の美しい廊下を侍従と近衛兵に挟まれて歩く。
多忙なのに申し訳ない気持ちと、きっと自分だから優先してくれたのだろうという温かな気持ちを抱えながら、彼のいる執務室へ向かう。侍従がノックの後ドアを開けるから、僕は「失礼します」と言って部屋に足を踏み入れた。
「やあ、ゼイン。待っていたよ。さあ座って」
中にいた人物はそう言って書類作業の手を止めて立ち上がり、僕を誘導するようにソファーへ向かう。彼が座るのを待ち、「失礼します」と向かい側に腰を下ろした。
すると、すぐに香りのいいお茶が運ばれてくる。
「至急取り次いでほしいとのことだったけど、何かあったのかい?」
向かいに座る体格の良い男性に小さく頷いた。
「この度は、お時間を作ってくださりありがとうございます、陛下」
20歳で国王に即位し在位25年になる陛下に、僕は座ったまま礼をする。
そうすれば、国王陛下は肩をすくめた。
「当たり前だよ。かわいい弟の頼みだからな。本当は昨日、泊まりに来てくれてよかったのに」
そう言われて、「さすがにそれは、ちょっと」と苦笑いして答えれば、「そうか、じゃあまた今度な」と楽しそうに微笑まれた。
僕は国王陛下の弟ではあるが、王位継承順位はそう高くない。
そもそも陛下と僕は異母兄弟なのだ。国王陛下の母君は南の王国の姫君なのだが、この国に嫁いで陛下を御産みになった後、冬の寒さが体に障り、離縁して国に戻った経緯がある。
僕たちの父である先代の国王は、在位中に後添えを迎えることはなく、王位を譲ってから再婚し生まれたのが僕だ。だから国王の子ではない。大公となった先代の国王のもとに生まれた子ども。
大公令息というのが僕の立ち位置ではあるが、跡継ぎ問題などが起こらぬよう、ファルーク伯爵家への婿入りが決まっている。
それをたぶん、兄は不憫に思ってくれているのだろう。
折に触れて、僕に声を掛けてくれる優しい人だ。
僕は息を整えて、真っ直ぐ陛下を見る。
「実は、アビゲイルが予知をしたんです。聖女が現れると」
陛下は僕の言葉にきょとんとした後、眉をひそめた。
「聖女とは・・・あの聖女だよな?」
そう言いたい気持ちはわかる。聖女の記録と言えば、遺跡にあるって印象が強いし。僕自身は、アビーが聖女の出現を予知できたことに対しての動揺が大きかったけど。
「そうです、あの遺跡に記録が残されている、聖女です」
陛下は「ふむ・・・」と顎を撫でる。こちらの話を待つようなそぶりを見せたので、慎重に口を開いた。
「アビゲイルが見た様子では、来週の学院の入学式に王太子殿下と同じ学年で現れるようです」
僕の言葉に「随分すぐだな」と陛下は苦笑いした。
その気持ちに同意する。今から警備の編成し直しなど、指示をする方も頭が痛い。
僕はアビーから聞いた話と、ファルーク伯爵に確認したアビーの予知の精度を陛下に伝える。
途中「婚約破棄か・・・さて、誰が言うことになるのだろうな」と僕を見るから、「僕以外の誰かですよ」と肩をすくめて答えておいた。
「『これで整うのです』とは、また意味深だな。いったい何が起こる?」
最後は、僕にではなく自分自身に問いかけるように陛下は呟く。そして、僕は昨晩あった出来事を伝えた。
「そして、僕が歴史学の教師となる件ですが、昨晩お世話になっている歴史学の先生から打診が来ました。腰を痛めてしばらくは絶対安静だそうで、代理を頼めないかと」
大公令息という扱いにくい立場の僕には、政治的な仕事はない。普段は歴史学研究所で国の歴史の編纂を手伝っているのだ。
だから、歴史学の教師をしろと言われて、できないことはないだろうが・・・。
アビーの予知を聞いたときは、今回は外れるのではと思ったけれど、むしろそういうことだったのかと納得した。
「気は進まないか?」
陛下の心配そうな声に、素直にうなずく。
「知識があり授業を受けた経験はあっても、教鞭を取るとなると、あまりに質が違いますから」
それに陛下は深く頷いて言った。
「確かにそうだな。・・・よし、では不安がないよう、急ぎ学院から教師をお前のところに派遣させる。歴史学の教師として、聖女の動向の確認を頼みたい」
ガクッと肩を落として、僕は陛下を見る。陛下はにっこり笑った。
「弟が歴史学に詳しくて、兄は嬉しいぞ」
「・・・はい、承知しました」
笑顔の圧に負けつつ頷いた。こういう時、兄はやはり国王陛下だと思う。僕の気持ちより、国のことを優先してくれるところ、すごく、尊敬している。
教鞭をとることに多少不安は感じるが、兄の役に立てるのはやはり嬉しい。
細部を詰めるとまでは行かないが、聖女専属の警備の増員は、王家の影にも動いてもらえることになり、ホッと一息つく。
歴史を振り返ると、聖女はいつもこの国に幸せを連れてきてくれた。
だから国として、聖女が現れてくれるというならば、歓迎しないという選択肢はないのだ。
無事入学式を終え、僕は与えられた歴史学科の研究室で休んでした。
ここ数日は、本当にバタバタだったけれど、何とかなって良かったと思う。
新入生代表の挨拶をしていた甥っ子は、またしっかりと成長していて頼もしかった。
僕が抱っこした二人目の赤ちゃんだ。あんなに小さかったのに、こんなに立派になって!とちょっと涙腺が緩んで泣いてしまいそうだった。いや、泣かなかったけど。耐えたけど。
入学式の最後の教員紹介では、僕の名が呼ばれたのでその場で立ち上がったのだけど、そのとき、ちょっとどよめきが起こった。
気持ちはわかる。僕だって、高位の爵位の息子が学院の教師になったと聞いたら、思わず「なぜ?」と聞き返すと思う。もちろん、好きでその仕事を選ぶ者がいないというわけではないが、こういった労働を貴族は好まないからね。個人授業を行う家庭教師ならば、わからなくもないけれど。
ニコッと笑った後、軽く礼をして腰を下ろすと、悲鳴のような声が上がる。
え?そんなに悲劇的だったかな?いや、僕も事情があってここにいるけれど、日々の暮らしに困窮して働きに出てるわけではないから、そんなに心配しなくて大丈夫だと思うんだけど。
などと、振り返りながらお茶を飲む。
本格的に授業が始まるのは数日後だ。ある程度準備は進めているから、そんなに焦ることもない。ただ先ほど、新入生のホームルームが終わったはずだ。
きっとここもすぐに賑やかになるだろう。
控えている従者も、カップをいくつか用意してくれている。
楽しみにしていれば、廊下に足音が聞こえ、遠慮がちなノック音。
「どうぞ」
そう許可を出せば、ドアが開き「失礼します」と生徒数人が入ってくる。
僕が立ち上がって迎えれば、「来たよ、ゼイン兄さん!」と、王太子殿下が明るい笑顔を見せた。叔父にあたる僕を、兄と慕ってくれる優しい甥っ子。
その甥っ子がそっと後ろに視線を動かす。
そこにはアビーと、アビーに寄り添うようにキョロキョロしている女子生徒。
「よかった。聖女様は見つかったんだね」
そう言いながらみんなにソファーに掛けるよう促す。
女性が好みそうなかわいらしい菓子とお茶を、従者が人数分ローテーブルへ並べた。
「アビゲイルが一目見てすぐに気付いたんだ。それで、『聖女様』って普通に声に出してさ」
殿下の言葉に、アビーが「す、すみません。あまりに驚いてしまって」と謝る。それはしょうがないと苦笑いしていたら、アビーの隣で小さくなっていた聖女様が慌てた。
「そんな!アビゲイル様がそう言ってくださって、私は救われたのです!1週間前にいきなり知らない知識が流れ込んできて、自分は聖女だって思ってしまって・・・私、自分がおかしくなったのだと、ものすごく怖くて、ううっ・・・」
泣き出してしまった聖女様も予知と同じ1週間前に覚醒されたのか、と驚きつつ従者に視線を向ければ、綺麗なハンカチを彼女に渡してくれる。
よかった。僕からは遠いし、殿下がハンカチを手渡すとそれもややこしい。出しかけていたアビーには申し訳ないが、良い落としどころだったと思う。
落ち着いたところで彼女から話を聞くと、彼女は子爵家の令嬢で一週間前に領地から王都のタウンハウスへ引っ越してきたらしい。その時に聖女の知識と使命を得たのだという。
「その使命というのは、聞いてもいいのかな?」
緊張が出ないよう、穏やかな声を意識して問いかける。すると彼女は真剣な顔で頷いた。
「はい、私はこの国に、普及したい施設があります」
「施設?」僕がコテッと首を傾げると、聖女が「ひぇっ」と声を上げて真っ赤になり、殿下とアビーは苦笑いしている。「僕、何かおかしかった?」と殿下やアビーに確認すれば、殿下が首を振って答えてくれた。
「いや、ゼイン兄さんは悪くない。けど、自分がどれほど美人か、もっと自覚すべきだとは思うよ」
それにアビーと聖女が大きく頷いている。それに肩をすくめた。
「全く、何を言うかと思ったら・・・大人をからかうものじゃないよ。それより、施設の話を聞かせてくれないかな?」
僕の言葉に「ゼイン兄さん、全然分かってないな」「そのようですわね」と殿下とアビーが残念そうに話している。しかし、聖女は気にせず真面目にその施設について説明してくれた。
『サウナ』というものらしい。
部屋をかなり高温にして湿度を上げる。聞くだけだと、危険を感じてしまうのだが、大丈夫なんだろうかと心配したら、安全な入り方があるのだそうだ。水風呂と休憩するための椅子の用意も大事なのだとか。ただし、体に不調を抱えている者、妊婦そして子供は避けた方がいいらしい。健康な大人であれば、疲れがとれて気力が充実するというのだ。
安全な入り方を聞いたけれど、とても安全に感じなかったし、殿下もアビーも一様に驚き、若干引き気味だ。
にわかには信じがたいが、彼女は自信を持って言った。
「これで整うのです」
ハッと僕がアビーを見たら、アビーがコクコクと泣き出しそうな顔で頷いている。
そうか、この言葉がアビーには聞こえていたのか。
ここまでの話を聞いてホッとする。とにかく、何か大きな惨事が起こるということはなさそうだ。その『サウナ』という施設については、追って国で試験、調査が必要となるだろうが、聖女の言葉ならば試してみる価値はある。
試してみて上手くいったなら、その時、彼女を聖女として国で記録し後世に伝えればいい。
大々的に今発表して、彼女の身に注目を集めることは、得策ではないだろう。
というわけで、彼女が聖女ということは国家機密に。
アビーが教室で彼女を聖女様と呼んでしまったとき、殿下が機転を利かせて、「アビゲイル、そんな運命的な出会いなのか?」と冗談で誤魔化したので、誰も気にしてなかったらしい。
というか気にしないと思う。
聖女様という言葉は、神様という言葉に近いものだ。
貴族の中では、聖女は過去に大きな功績を上げた女性という認識が一般的だ。
王家のように、聖女という存在をより正確に認識しているわけではない。
聖女は他者から認められる功績をもってそうたらしめるのではない。聖女として自認していることが先にあり、自認と同時に理解する使命を持って国を助け、国を発展させる。
それに聖女と言いながら、性別も必ずしも女性とは限らない。
だた、本人のみが自らを聖女だと認識しているだけだ。
(そう、本人だけが・・・)
僕のように。
アビーは聖女との連絡役になってくれるようだ。
聖女本人にも、できれば身内や周りの者に自分を聖女だと明かさないで欲しいと伝えたら「もちろんです!」と同意された。
「アビゲイル様に声を掛けてもらえるまで、自分がおかしくなってしまったと、恐怖でいっぱいでした。とても誰かに話したいなんて思えません。今も、できる限り誰にも知られたくないです」
子爵令嬢の苦しそうな表情に、うんうんと頷く。
「大丈夫。サウナが上手くいったら、その後相談しよう」
僕の言葉に殿下やアビーも頷く。子爵令嬢はホッとしたように笑顔になった。
「みなさま、ありがとうございます」
そう言って、ソファーに掛けたまま深く頭を下げてくれた。
その後、サウナは軍の施設で有志の協力により、効果を確認するに至った。
不思議なことに、体験したものは皆口をそろえて言うのだ。
「整いました」と。
いや、まったく意味が分からないけどね。
ただ、厳しい冬の時期、発汗するほど体を温められるようになったことで、体の不調を感じるものが激減したのは、大きな成果だった。これから、病院と併設して、徐々に国民に普及させていく予定だ。
サウナの報告書をみて、「これがあったら、母も国には帰らなかったのかな」という兄の呟きに、幼き頃の兄の寂しさが思われて少し胸が痛かった。
一定の成果が出たので、アビーに連絡を頼み、僕と殿下の名で歴史学科の研究室に聖女を呼びだした。
成果を報告すれば、聖女は幸せそうに頷き「みなさんに、整うことをわかっていただけて嬉しいです」としみじみ言う。
それに対して、僕と殿下はいまいち整うという現象を理解できていないので、何とも言えない気持ちであいまいに頷いた。アビーは「よかったですわね!」と聖女と一緒に喜んでいる。
アビーも聖女と親しくなったおかげで、学院生活を謳歌できていて、それについても僕は感謝しているのだ。
「何か望む報酬はないだろうか」
そう、殿下が彼女に言うと、「報酬なんて!」と首を振る。「じゃあ、聖女であることを公表するかい?」と僕が言えば、余計に必死で首を横に振られた。
「私にとっては、サウナを作っていただけて、みなさんに整うことを味わって貰えたことが何よりの報酬です。それに・・・聖女という肩書は、子爵家の娘には荷が重いですから」
聡明な判断に頷く。そうだね、この肩書は、ただただ重い。
しかし殿下がきっぱりと言う。
「そうは言っても、サウナの発案者に対して、それなりの支払いは国からさせていただくから、覚悟しておいてくれ」
彼女は「ひぇっ」と震えあがっていた。それに僕とアビーは顔を見合わせて笑い合った。
それからも、つつがなく日々は過ぎていった。
一応お世話になっている歴史学の先生の腰は回復されたのだが、聖女が卒業するまで僕も教師を続けることになった。
『君との婚約は破棄する!』という言葉は、すっかり忘れた頃、3年目の学院祭の演劇で出会うことになる。聖女が脚本を書いたというその劇は、学院内で一大ブームを起こし、そのセリフを冗談めかしてみな口にしていた。
(これは確かに、いくつもの声になるね)
そう傍目で見ながら過ごしていたら、授業中、生徒から先生にも言ってほしいとリクエストされた。それもアビーのいる貴族クラスで。
そうか。僕の婚約者は随分前にアビーと決まっているけれど、大々的に発表する立場にもないから、知らない貴族も多いのかもしれない。
ならばここで披露するのも悪くないか。
不安そうに僕を見ている一番後ろの席のアビーにニコッと笑うと、僕は教壇をおりて彼女のところに向かった。そっと手を差し出し彼女の反応を待つと、覚悟を決めた顔でそっと手を載せてくれる。
大丈夫なのに。
何の心配もいらない。
立ち上がったアビーの腰にそっと手を回し、くるりと振り返り誰もいない教壇へ向かって穏やかな声で言う。
「君との婚約は破棄する」
そして、側にいるアビーへ優しく微笑んだ。
「だって僕にはアビゲイル・ファルークという、大切な婚約者がいるからね」
ね、かわいい大切な僕の女の子。
教室に悲鳴が溢れ、騒がしくなった。
軽く引き寄せているアビーが、真っ赤になってアワアワとしている。
アビーの隣の席の甥っ子が、「ゼイン兄さんは、自分の破壊力を知らな過ぎ」と苦笑いしていた。しまった。よくわからないが、やらかしたようだ。
そんなある日、陛下にサウナへと誘われた。
一緒に整うとやらを味わおう、と。
僕はもちろん頷いた。
これが僕の聖女としての使命だから。
前に合わせがあり、袖がないひざ丈の羽織を着てサウナに入るようだ。
こんな姿で襲撃を受けたら、ひとたまりもないだろう。
着替えを終えて楽し気な陛下と熱さにおびえ気味の僕。
ともに初体験のサウナへと向かう。僕はふと、その時が来たと感じて、サウナに入る直前の陛下の手を引いて入れ違いになる。その瞬間、背中に衝撃がきた。
僕の使命は、陛下の命が狙われる今日、身代わりになること。
7歳の時、それを知った。
その時僕は・・・・・嬉しかった。
生まれの都合で、僕は絶対に国政に携わってはいけなかった。
大好きな兄のために、何もしてはいけないと言われていたのだ。
政治の勉強に興味を持てば王位を狙ってると思われ、鍛錬を始めたいと言えばクーデターを疑われた。
だから僕はただ、歴史書を眺め過去へ思いを馳せるくらいしかできなかった。
でも、これなら、兄上の役に立てる。
この使命なら、僕が適任だ。
「ゼイン!!!」
兄の声に、控えていた近衛兵が駆け寄り、影に潜んでいたものが僕を襲った人物を捕らえていた。
それは兄の侍従の一人。
幼い頃から、僕が王宮を訪れるといつも兄のもとへと連れて行ってくれた人だった。
ホッとする。
やっと、やっと使命を果たすことが出来た。
やっと・・・・兄の役に立てた。
「ゼイン!ゼイン!」と何度も呼ばれ、体格の良い兄に体をゆすられて、僕は目が回りそうになりながら口を開く。
「兄上、大丈夫です、大丈夫」
「だが、血が!」
兄の手が震えている。僕を失うと、思って。
それに申し訳なく思う。
「それ、血糊です」
そう言った途端、兄がきょとんとした。
「ちのり?」
「はい、血糊」
兄が恐る恐る、僕から身を離す。
僕はホッとして言った。
「今日のことは、アビーが昨日予知しまして。この羽織の下には、学院の演劇部の者の協力もあり、即席の防刃ベストを着ております」
演劇部の備品になぜかあった筋肉ムキムキのスーツをベスト型に切り、背中側には血糊や防刃板を仕込んだのだ。試しに着てみたら、体格が良くなったように見えて嬉しかったのだけど、周りは崩れ落ち、息も絶え絶えに笑っていた。僕の行動にそんなにも笑てくれるなんて!新鮮な反応がすごく嬉しかったな。
とりあえず、ナイフのようなものでドンとぶつかられたみたいだから、打撲の痛みはあるけど、刺さってはいない。
僕もまさか、これをアビーが予知するとは思っていなかった。
幸い、僕が聖女であることに、アビーは気づいてなくて、いろんな意味でホッとしたよね。
やっぱり僕は男なので!
好きな女の子に、聖女だと知られるのはさすがに恥ずかしい。
「じゃあ、無事か?ゼイン」
兄の震える声に、頷く。
「はい、兄上」
安心してもらえるようにニコッと笑ったら、兄にぎゅっと抱きしめられた。
「よかった・・よかった・・・」
大きな体の兄が体を震わせて泣いている。
それに僕も涙が出てきた。
「僕も、兄上が無事で、嬉しい・・・」
聖女であることを重く感じなかったわけじゃない。
もしかしたら自分が死んでしまうかもしれない、という恐怖も感じなかったと言ったらウソだ。
いつだって怖さはあったし、アビーに対する後ろめたさを感じていた。
でも今は、王家と聖女を支え続けた、予知能力を持つファルーク一族への感謝でいっぱいだった。
きっと昔から、聖女はこうやって予知に支えられて、困難な使命を果たしてきたんだろう。
会いたい。
アビーに、会いたい。
これでやっと君に伝えられる。
僕と結婚してくださいって。心から君を愛しているよ、と。
その後、兄にはなぜ先に予知のことを教えなかったのかと怒られた。
それはそうだ。僕が逆の立場でも怒る。なので、予知では僕の背中が刺されるものだったことを説明した。そして、僕が聖女としての使命を持っていたこと、今はその使命が果たされた感覚があることを告げた。
「なぜ今まで使命のことを言わなかった」
きびしい表情の陛下に僕は肩をすくめた。
「終えるまで言うことが出来ない縛りのようなものがありました。今、はじめてちゃんと説明できてホッとしています」
子どもの頃、父や兄に話そうと試みたことは何度かある。
だが、声に出そうとした途端、息が詰まって何も言えなくなるのだ。繰り返しそういう目に遭っていれば、さすがにどういうことかわかってくる。
今やっと口に出せてたことで、自分でもこれで使命が終わったのだと安心できた。
そして一人で抱え込んでいた重荷を下ろせた気がする。
使命が果たされて本当に良かった。
子爵令嬢もこんな気持ちだったのだろうか。
確かにもう、報酬も何もいらないな。あの息苦しさから解放されて安堵の気持ちでいっぱいだし。
「いつから使命を抱えていたんだ?」
兄にそう問いかけられて、「7歳の頃から」と答える。
僕の言葉に兄がつらそうに目を伏せたあと、僕を真っ直ぐ見て言った。
「よくぞ使命を全うした。国王として深く感謝する」
それは、何よりのご褒美で、何よりも嬉しい言葉だった。
感極まってボロボロと涙を零す僕に、兄上が「どうした!?どこか痛いのか?」とオロオロする。声が詰まって出てこなくて、とても嬉しいのだと説明するのに少し時間がかかってしまったが、使命が言えなかった時と違って、不思議とその時間さえ幸せな気持ちだった。
兄を刺そうとした侍従は、南の国の王家の血が入っている王子が国王となったことに、ずっと不満を持っていたらしい。そして、先代の王とこの国の貴族の娘との間に生まれた、美しい僕を王にと願っていたそうだ。いや、美しいって・・・何も取り柄がない僕に対して、頑張って絞り出した誉め言葉かな?
そういうこともあって、僕が兄と入れ替わった瞬間、慌てて勢いを殺したらしい。
おかげであの程度の即席の防刃ベストでも、何とかなったのだと後から分かった。
アビーたちは何事もなく卒業式を終え、僕は国の歴史の編纂の手伝いへ戻った。
今までよりずっと穏やかな気持ちで過ごせていて、毎日が楽しい。
最近アビーに積極的にアプローチしていたら、「もう少し、小出しでお願いします」と真っ赤な顔でお願いされてしまった。可愛かった・・・。
悩みが何もなくなったと言いたいところだけれど、一つだけ悩んでることがある。
自分が聖女だという記録を残すかどうかだ。
とはいえ、ここの記録は外へ発表するものではない。
王家が過去の歴史を正確に理解するための記録だ。
甥っ子にもいずれバレてしまうなと苦笑いしながらも、諦めて書き記すことにした。
サウナを作った聖女の記録とともに。




