銀翼の落日
「そろそろ、見えてくるかな……」
ロイド・レグフォーツは、加速し続ける心音を無視し、外部映像とレーダーの数値を冷徹に網膜へ焼き付けていた。目線の先、燃える大気の中では、二機の友軍機が七機の反乱軍機に包囲され、絶望的な防戦を強いられている。
無慈悲に降り注ぐ赤光の一条が、友軍機の右肩を無惨に貫いた。超高温のプラズマが装甲を融解させ、腕ごと引きちぎる。バランスを崩した機体へ、さらに三条の追撃が容赦なく突き刺さる。断末魔を上げる間もなく、一機が紅蓮の爆炎となって、エルリドの陥没穴へと吸い込まれていった。
「っ!」
ロイドは顔をしかめ、長距離からシェイトローレスタの銃口を向ける。純白の閃光が二条、真空に近い高空を切り裂いた。だが、相手も死地を潜り抜けてきた精鋭だ。一機は紙一重のロールでこれを回避し、もう一機は脚部を損傷しながらも、機体制御を維持したまま反転する。
「狙撃じゃ、届かないか」
その視界の端、乱戦のさらに後方に、不気味な質量を捉える。自機と同等ほどもある巨大な「鉄の塊」を背負った八機目のアルマティス。レーダーの[ Target ]座標と完全に一致した。
「間違いない、あれがEMPボムか!」
標的に向けてスラスターを全開にしようとした刹那、包囲網から五機が離脱。真銀の死神を確実に仕留めるべく、扇状の迎撃陣形を組みながら進路を塞いだ。
「『随分と手厚い歓迎だね』……なんて、皮肉を言う余裕もなさそうだ。一気に片付けさせてもらうよ」
ロイドは冷たく囁くと、コンソールの隅にある禁忌のスイッチに指をかけた。
モニターの端で、非情なカウントダウンが刻々と減り続けている。[ 00:01:00 ]。
それはマーティル・ナビスが次元の彼方へワープし、この星から人類が消え去るまでの猶予だ。そして同時に、重力圏を脱する推力を持たないロイドにとって、この空に溶けて消えるまでの、短すぎる執行猶予でもあった。
ロイドは躊躇なく、そのスイッチを最奥まで撥ね上げた。
「――同調開始」
瞬間、コックピットの全モニターが暗転した。
代わりに、ロイドの首に嵌められた黒いリングが牙を剥く。肉を貫き、神経束へと直接プラグが突き刺さった。脳髄へバハムートの全センサー情報が、濁流となって流れ込む。
「くっ、ああぁぁッ!!」
神経を直接焼却されるような激痛に、ロイドは背中を反らせた。操縦を「思考」ではなく「感覚」の領域まで高める代償。それは、機体に掛かる全負荷をダイレクトに脳へ叩き込む「諸刃の剣」だ。
だが、代償と引き換えに得た世界は、一変していた。
――静かだ。
脳内を駆け巡る情報処理速度が、物理的な時間の流れを追い越し、置き去りにしていく。逆噴射するスラスターの火花のひと粒ひと粒が、宝石のように空中に静止して見える。大気を引き裂く赤色光線の軌跡は、粘りつくような遅滞の中にあった。
ロイドは、止まった世界を滑るように機体を駆った。
機体右手に装備されたシェイトローレスタが、限界を超えた咆哮を上げる。本来なら二射ごとに必要な排熱シーケンスを、同調による強引なバイパスで無視。冷却を待たず、自動装填装置がパワーセルを強制的に叩き込む。
『ガキンッ、シュゥゥゥッ!』
異常な高熱を帯びた銃身が悲鳴を上げ、大気が焼ける異臭がコックピットまで届く。排熱を捨てた代償に、攻撃のサイクルは通常時を遥かに超えて加速していた。
「一機も残さない」
一閃。先頭の敵機のコックピットが蒸発する。
二閃。反転しようとした二機目の背を、純白の閃光が貫通した。
銃身はすでに真っ赤に熱せられ、腕そのものが高熱で歪み始めていたが、ロイドは自身の神経が焼ける痛みさえあざ笑うように引き金を絞り続けた。三機目、四機目。光速の槍が、回避を試みる敵の予測軌道上に、狂気的な精度で次々と突き刺さっていく。
だが、その全能感を、空間から飛来した「見えざる死」が打ち砕いた。
「……ッあがぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
脳を直接抉られるような、耐え難い激痛。
バハムートの左肘から先が、最新鋭機から放たれた極超音速徹甲弾によって消失した。
護衛艦隊の影に潜んでいた反乱軍最新鋭機のレールガンライフルが、極限まで研ぎ澄まされたロイドの感覚をも欺いたのだ。
「はぁ、はぁ……っ。不意をつくなんて、中々やるじゃないか……」
視界が真っ赤に点滅し、思考が混濁する。それでも加速した感覚だけは、非情にターゲットの動きを捉え続けていた。
前方、マーティル・ナビスへと肉薄するEMPボム。そして背後から迫る、死神の首を狙う猟犬たち。
シェイトローレスタは、もはや真っ赤に焼けた鉄の塊だ。銃身は高熱でひび割れ、いつ暴発してもおかしくない。
だが、ロイドの気迫に応えるように、最後の一撃――予備のスラグバレットが無理やり装填された。ガリガリと金属が削れる嫌な音が神経を逆撫でする。
「これが最後……」
目の前には、パージされ自律飛行を開始したEMPボム。そして、それを守るように壁を作る敵機群。ロイドは叫び、肩部コンテナを開放した。
「邪魔をするな!!!」
一度きりの一斉掃射。十六発の小型追尾ミサイルが扇状に爆ぜ、爆炎のカーテンを作り出す。ロイドはその地獄の火中を、回避を捨てて突き進む。背後から、側面から。無数の赤色光線が真銀の装甲を剥ぎ取り、右足が消失し、尾翼が吹き飛ぶ。
それでも、銃口の照準は、一点の曇りもなくボムの信管を捉え続けていた。
「届けぇぇッ!!」
ワープまで残り数秒。ロイドは、もはや感覚のなくなった右手で、最後の一撃を放った。
――発射。
スラグバレットが吸い込まれるようにボムの基部へ命中し、黄色い電磁の狂乱を撒き散らして、破滅の種子を大地へと墜とした。
「まに……あった……」
安堵が冷たい静寂となって脳を支配した瞬間、限界を超えて酷使され続けた主機スラスターと、真っ赤に焼けた銃身が、同時に爆鳴を上げて誘爆した。
『ドォォォォォォン!!』
バハムートの背面で太陽が生まれたかのような大爆発が起き、真銀の翼は見る影もなく引き裂かれる。衝撃はダイレクトにロイドの意識を叩き、鼻と目から鮮血が吹き出した。
「ああ……っ、あ…………」
コントロールを失い、キリモミ状態で落下していく機体の中で、神経接続が強制遮断された。加速していた世界が消え、残酷な重力が彼を地上へと引き戻す。
空を仰ぐ。
そこには、二十機のマーティル・ナビスが空間を歪ませ、星々の彼方へと消え去っていく光景があった。カウントダウンが[ 00:00:00 ]を指し示し、眩い光の奔流が、死にゆくアースの空を焼き尽くす。
それはロイドを迎えに来るものではなく、彼をこの地に残し、未来へと逃げ去るための、美しくも冷徹な断絶だった。
「……あはは。置いていかれちゃったな……」
真っ赤な警告アラートに染まった、音のないコックピットの中で、ロイドは力なく口元を綻ばせた。
真銀の翼は、燃え盛る大穴の深淵へと、吸い込まれていった。




