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鋼の柩と一輪の偽善

 その場所は、世界で最も巨大な「引き出し」だった。

 エルリド連合国の首都を地表ごと数キロメートルにわたって垂直に抉り取り、その底に建造された超大型宇宙船、()()()()()()()()()。それは人類が自らの罪も希望もすべてを詰め込み、星の彼方へ持ち出すための収納箱だった。

 頭上を見上げても星空はない。視界を遮るのは、地表を模した巨大な「蓋」だ。


 その表面には、人影も灯火も消えたかつての首都が、静まり返る抜け殻として張り付いている。略奪者の目を欺くため、都市を丸ごと地底へ沈めたこの船は、自らの上に「かつての日常」という名の巨大な墓標を載せているのだ。


 その船の一角にある格納庫。聞こえてくるのは、核融合炉が発する低い地鳴りと、循環システムが吐き出す無機質な風の音だけだ。


 左右を囲む鼠色の金属板は沈黙し、天井からは血管のように太い高圧ケーブルや換気ダクトが幾本も垂れ下がっている。その直下には、連合国が誇る人型機動兵器、()()()()()()が、抜き身の剣のように整然と直立していた。


 整備用の鉄骨に腰掛け、その光景を無表情に眺める一人の少年がいた。

 男とも女ともつかぬ中性的な容姿に、白銀の髪。黒い軍服に包まれたその体はあまりに華奢で、少し大きめの軍帽が、彼に残る幼さを強調していた。

 少年はポケットから、数枚の錆びついたドッグタグ(認識票)と共に、古びた()()()を取り出した。


 角は丸くなり、埋め込まれた翠の石は、すり傷で曇っている。少年は壊れ物を扱うような手つきで掌に載せた。


「……僕には、誰も守れなかった。この耳飾りを贈った時、姉さんはあんなに喜んでくれたのに。僕を庇って……」


 自嘲気味な呟きが、鉄の冷気に吸い込まれて消える。彼は次に、ドッグタグの表面を指の腹でなぞった。刻まれた名前はもはや摩耗して判然としないが、指先に伝わる凹凸だけで、かつて背中を預け合った者たちの体温が蘇るような錯覚に陥る。


「みんな空の塵になったのに。僕だけが彼らの死をポケットに詰め込んで、冷たい機械の中で脈打っている。……あの日、一緒に連れて行ってくれればよかったのに」


 耳飾りに嵌まった翠の石を見つめるエメラルドグリーンの瞳は、虚ろに濁っている。その瞳の色は、皮肉なほどに手の中の石と同じ色をしていた。


(……僕は、どこで墜ちればいいのかな。この鉄の箱が空へ撃ち出される時、僕という部品も一緒に燃え尽きてしまえばいいのに)

 鋼鉄の巨神たちは沈黙を守り、少年の震える吐息を吸い込み続けていた。


「ここにいたのか、ロイド・レグフォーツ」

 背後から響いたのは、軍靴が鉄板を叩く重厚な足音。少年は瞬時に鉄骨から飛び降りると、着地の衝撃を完全に吸収するしなやかな動作で、声の主と向き合った。

 その瞬間、少年の顔に、精巧な作り物の「仮面」が張り付く。


「やあ、ラディウス教官。こんな陰気臭い所まで僕に何か用ですか? もしかして、出撃前の僕を抱きしめて激励でもしてくれるとか?」


 人懐っこい、どこか小悪魔的な笑顔。首を傾げる仕草は、可憐な少年のそれだった。だが、背後に隠された左手は、耳飾りを白くなるほど強く握り込んでいる。

「今日は人類が宇宙へ向け飛び立ち、新たな歴史を刻む日だと言うのに。式典にも出ず、こんな場所で何を油を売っている」


「別に、何もしていませんよ? ただ、ここが凄いなーと思って。目隠しをして連れてこられたら、まさか自分が地下数千メートルの宇宙船(ふね)の中にいるなんて、誰も思いませんよね……あ、もしかして教官もサボりですか? 意外と不真面目なんだなぁ」


 はぐらかすような言葉を投げ、ロイドはラディウスの反応を測るように目を細める。

 教官は呆れたように息を吐いた。


「お前もこの船への搭乗を許された軍人なら、選ばれた名誉を噛み締め、式典ぐらい参加したらどうだ。外には搭乗権を得られなかった数百万の市民が、羨望と呪詛を吐きながら見送ってくれているぞ」


「名誉、ね。……別になりたくてなったわけじゃありませんから。それに教官、あそこに並んでいる『彼ら』に聞いてみてくださいよ。式典のファンファーレと、敵を撃ち抜く火線の音、どちらが僕に相応しいかって」

 不意に漏れた不機嫌な本音。それを隠すように、ロイドは再び悪戯っぽく上目遣いで教官を見た。


「それより僕への用件は? 早く答えてくれないと、僕の貴重なサボり時間が減っちゃいますよー」


「相変わらず口だけは達者だな」

 ラディウス大佐は吐き捨てるように言ったが、その声には、痛々しいほど巧妙な少年の偽装を責めるような響きはなかった。


「ついてこい。お前に見せたいものがある」

 大佐は踵を返し、迷いのない足取りで歩き出す。

「えー、なにかなぁー。楽しみだなぁ。教官のことだから、期待外れの説教部屋とかじゃないといいですけど。もし僕を退屈させなかったら、さっき言いかけた『激励の抱擁』、一回だけさせてあげてもいいですよ?」

 ロイドはわざとらしく肩をすくめ、軽口を叩きながらその後を追った。


 二人が辿り着いたのは、格納庫の最奥に設置された、重厚な鉛色の隔壁だった。普段、一般兵士の立ち入りは固く禁じられている特殊区画、()()()()()()()。大佐は無言で胸元から黒い階級章を兼ねた暗号鍵を取り出し、センサーにかざす。電子音が鳴り、操作パネルが起動すると、彼は流れるような手つきで十数桁にも及ぶ複雑な認証番号を打ち込んだ。

 幾重ものロックが解除される重々しい機械音。現れたのは、通常のアルマティス格納庫にあるものとは比較にならないほど巨大な、高重力対応のエレベーターだった。


「どこまで下に降りるんですか?」

 ロイドが問うと、教官は「この船の底、第零デッキだ」とだけ答えた。

 エレベーターが動き出す。加速度がロイドの華奢な体に重くのしかかり、鼓膜に微かな圧迫感を残す。

 一分、二分、三分。

 エレベーターの液晶に表示される深度は、すでに千メートルを優に超えている。一隻で一個都市を丸ごと収容するマーティル・ナビス(超大型宇宙船)――その巨大な鉄の箱が、いかに物理的な常識を無視した怪物であるかを、ただ下降し続ける時間だけが証明していた。


「……まだ着かない。この船、本当に宇宙を飛ぶつもりなんですかね。地底を掘り進むドリルの間違いじゃないんですか?」


「この深さこそが、人類の執念の深さだ」

 教官の言葉に、ロイドは鼻で笑った。

 ようやくエレベーターが停止し、隔離扉が開いた瞬間、ロイドは思わず息を呑んだ。


 そこには、死にゆく惑星アースでは決して見ることのできない、眩いばかりの「緑」が広がっていた。人工太陽の光を浴びて生い茂る木々、せせらぎを作る人工の川。全盛期のアースを再現した保存庭園である。

 ロイドは足元の湿った土の感覚に、形容しがたい嫌悪感を覚えた。この豊かな緑も、澄んだ空気も、すべては電力と計算によって維持された虚飾に過ぎない。自分たちが滅ぼした本物の自然を、鉄の箱の中に閉じ込めて「保存」しているという事実に、吐き気がしていた。


「驚いたか? ここは亡きアースの美しき姿を我々人類が忘れぬための、そして新天地で環境を再生するための種子を保存する、最重要セクターだ」


 熱っぽく語る教官の横顔を、ロイドは冷たい目で見つめた。希望、再生、未来。教官の口から出る言葉は、死んでいった仲間たちの無念や、姉が最期に残した温もりをすべて塗り潰し、無価値なものに変えていくように感じられた。


「……くだらない。もし仮に僕らが宇宙の果てに辿り着いて新たな星を見つけたとしても、また同じことを繰り返すんでしょうね。今のアースを、草一つ生えない不毛の地に変えたみたいに。人間って、自分の罪を美化して持ち運ぶのが本当に好きなようですよね」


 瞬間、空気が凍りついた。教官の拳が僅かに震え、その鋭い眼光に一瞬、激情の炎が宿る。しかし、教官は大きく息を吐き出し、強引にその怒りを飲み込んだ。少年の冷めた瞳の奥に、かつて自分が拾った「取り返しのつかない傷」と、彼が看取ってきた名もなき戦友たちの墓標が、拭い去れぬ影として張り付いていることを思い出したからだ。


 気まずい沈黙を破るように、頭上の制御システムから、ぽつぽつと雨粒が落ちてきた。

 人工の雨はすぐに勢いを増し、ロイドの頬を濡らしていく。冷たい水滴は彼の白い髪を重く湿らせ、その面持ちと相まって、まるで止まらない涙のように見えた。


「……宇宙船の中で雨を降らせるなんて趣味が悪いですね。僕に対する嫌がらせですか?」

「いや、これは不可抗力だ。生態系維持のために、プログラムされた天候は常に変化している……すまないな」

 教官は申し訳なさそうに目を伏せた。

「……確かお前と初めて会った時も、こんな大雨の中だったな」


「もう過ぎたことです。感謝していますよ。あなたに拾われなければ、僕はあの雨の中で姉さんの死体を抱えたまま、別の兵士に殺されていたでしょうからね」

 ロイドは、雨を避ける素振りも見せず、ただ天を仰いだ。


「でも、何でわざわざ僕を助けたんですか? 復讐のために兵士を育てるなら、もっと扱いやすい、従順な子供がいたはずでしょう?」


「お前の瞳に、興味があったのだ。アースへの執着でも、復讐心ではない。すべてを焼き尽くして、自分さえも消し去ろうとする、底知れない『虚無』。お前なら、絶望の先へ行けると思ったからだ」


「絶望の先、ですか。……残念。そこにあったのは、ただの空洞でしたよ」

 自嘲気味に笑う少年の瞳に、大佐は鋭い眼光を向けた。

「ロイド。率直に聞こう。――お前、今日の作戦で死ぬつもりだな?」

 ロイドの貼り付けたような笑顔が、僅かに凍りつく。

「そんなつもりはありませんよ? 僕、こう見えても長生きしたいタイプなんです」


「いい加減取り繕うのはやめろ。お前の目は、すべてを諦め、自分の最期をデザインしようとしている奴の目だ。あんな場所でドッグタグと、そしてその耳飾りを握りしめて、一人で蹲っているお前を、俺が何年見てきたと思っている!」

 大佐の怒声が、静かな庭園に響き渡る。雨に濡れ、重みを増した白い花びらが、逃げ場を失ったように足元の湿った土の上へと力なくしがみつき、降り注ぐ雨滴に打たれていた。


 ロイドはゆっくりと視線を落とし、雨に濡れた手のひらを見つめた。

「……バレちゃいましたか。本当に、教官には敵わないな」

 ロイドの口から、仮面の笑顔が消えた。そこにあるのは、雨に打たれ、震えるのを必死に堪えている一人の子供の顔だった。

 彼は懐から、先ほどの耳飾りを取り出し、慈しむように、あるいは呪うように強く握り込んだ。


「死にたいわけじゃない……。ただ、生きている理由が、どうしても見つからないんです。この鋼鉄の棺桶と魂を同期させて、最後の一人になるまで敵を殺し続けて……。教官、その先に何があるんですか? 新天地に着けば、姉さんが笑って僕を迎えてくれるんですか?」


 ロイドの言葉は、最後には掠れた熱のようなものに変わっていた。


 教官は何も言わず、ただ、少年の肩を砕かんばかりの力で掴んだ。その分厚い掌の熱だけが、冷え切った軍服越しに、少年の凍りついた輪郭を辛うじて繋ぎ止めている。


「……死に(てい)なのだな、貴様は」

 ラディウスが、吐き捨てるように言った。その声は庭園の雨音よりも低く、重い。


「生きる理由がない、だと? そんなものはとうの昔に、俺が拾い上げた雨の中に捨ててきたはずだ。今の貴様を生かしているのは、姉の未練でも、ましてや貴様自身の意志でもない。……連合が、レグフォーツ家が注ぎ込んだ、莫大な血税と資源だ」


 ラディウスは掴んでいた肩を、突き放すように突き飛ばした。たたらを踏んだロイドを、射抜くような眼光が追い詰める。


「死にたければ、好きにするがいい。だが、その命はもはや貴様一人の所有物ではない。連合が作り上げた『最高級の部品』としての責任を、果たすまではな」

 雨が強まり、ロイドの白い髪から水滴が滴り落ちる。彼は唇を噛み締め、教官の言葉の毒を飲み下した。


「……役に立て、とおっしゃるんですか? こんな壊れたガキに」

「そうだ。絶望に浸って蹲る暇があるなら、その虚無を連合の盾として、敵を貫く矛として使い潰せ。貴様の思う全力を尽くし、最後の一滴までその価値を絞り出せ。……レグフォーツの名を背負った以上、無様に、無価値に死ぬことだけは、この俺が許さん」


 ラディウスは踵を返し、歩き出す。その背中は、どんな絶望も寄せ付けない鋼鉄の壁のようだった。


「戦場こそが、貴様に残された唯一の、そして最も相応しい葬送の場だ」

「わかってますよ。結局、僕はそれしかできないんですから」

 ロイドは濡れた髪を無造作にかき上げた。その直後、絶望に歪んでいた幼い輪郭が、不自然なほど滑らかになぞり直される。

 エメラルドグリーンの瞳から湿った熱が消え、そこには、すべての感情を絶対零度で凍結させたような「作り笑い」の仮面が、再び強固に張り付いていた。



 独り、ロイドは長い回廊を歩いた。

 船内を流れる冷え切った循環空気が、湿った軍服から容赦なく体温を奪っていく。

 ふと、視線の先に巨大な透過装甲、()()()()()が現れた。ロイドは足を止めて、その向こう側を凝視する。

 だが、そこには何もない。

 窓の向こう側に広がるのは、星空ではなく、人工的に削り出された煤けた岩壁の断層のみ。反射防止ガラスには外界の景色など一片も映らず、ただ、ずぶ濡れで青白い顔をした自分自身の影が、亡霊のように浮き上がっていた。

「楽しみだね。みんな、暗闇の中で僕を待っていてくれる」

 窓に映る自分の影――その不確かな輪郭を、壊れ物に触れるような指先でそっとなぞり、ロイドは力なく微笑んだ。窓に残された指先の跡は、すぐに冷気に晒されて白く曇っていく。その曇りが、自らの輪郭を吸い込んで消し去っていくのを、彼は愛おしむようにいつまでも眺めていた。

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