#1 任務失敗と理不尽な人事
天井裏は、思いのほか脆かった。
「きゃっ!?」
どさっ、という間抜けな音と共に、眠水小春は会議室の床に転がり落ちた。
闇に溶けるような黒いボディスーツの少女が、天井板の破片と一緒に降ってくる様は、およそ暗殺者らしからぬ光景だった。
「いたたぁ……」
埃が舞い上がる中、長テーブルを囲んで座る十数人の男たちは全員が小春を凝視していた。
会議中に、見るからに不審者が天井から落ちて来たのだから無理もない。
暫し、気まずい沈黙が流れる。が、その中でテーブルの奥に座っていた一人の青年は、舞い上がる埃で咳き込んでいた。
そして、呼吸が落ち着いたところで、青年は無表情のままで小春を指差す。
「これにする」
青年の言葉に、周囲の男たちは慌てて彼を見る?
「な、何を言ってるんですか? 」
「こんな怪しいガキ、そばに置いとけるわけないでしょう!? 」
盛り上がる男たちについて行けず、小春は首を傾げる。
「え? 何のこと?! 私、暗殺に来ただけなんだけど……」
「じ、自白かこいつ!」
組員の一人が叫んだ。侵入者をようやく思い出したかように改めて騒然となる。
「暗殺だと!?」
「捕まえろ!」
「待って待って! 今のは違くて……きゃあっ!」
組員たちが一斉に立ち上がり、小春に殺到した。
小春は慌てて立ち上がる。ターゲット以外は無闇に傷付けてはならない。それが家の教えだ。
飛び掛かって来た男をかるく避け、次の男の攻撃を受け流そうとしたーーが、床の瓦礫に足を滑らせてひっくり返る。
「今だ! 捕まえろ! 」
「な、何でよー! まだ何もしてないのにー! 」
「天井壊しただろうが! 」
背後から羽交い締めにされ、小春はあっさりと捕まった。
「離してー話せばわかるって! 」
「黙れ! どうせ永さんを狙って来たんだろう! 」
組員たちも小春も、視線が先ほど「これにする」と言った青年に向いた。
涯非永。涯非組組長の実の息子。
間違いなく、小春の今宵の標的である。
彼は椅子に座ったまま、相変わらず無表情でこちらを見ていた。
その瞳には、何の感情も浮かんでいない。まるで、天井から暗殺者が降ってきたことなど、日常茶飯事とでも言いたげに。
「永さん、こいつどうします!? 殺しますか!?」
組員の一人が物騒な提案をする。小春はぷうっと頬を膨らませた。
「ちょっと待ってください! 私まだ若くて、これから楽しいことたくさんあるはずだし、せっかく都会に出て来たから、し、渋谷?とかにも行ってみたいし、流行りの甘味を全部食べるって決めて来たのに……」
「護衛にする」
永が淡々と言った。
再び、会議室が静まり返る。
「永さん……本気なんですか?」
「こいつを、私の護衛にする。藤の代わりだ」
永は立ち上がり、小春の方へ歩いてきた。至近距離で見ると、彼は長身で整った顔立ちをしていた。だが、その表情は能面のように動かない。
(目が、黒じゃない……)
小春は永の顔をじっと見上げた。
永の瞳は長めの髪で影になっているせいで黒く見えていたが、光が当たると紫がかった灰色に見えた。
(きれい……)
「お前、名前は? 」
自分に聞いていると気付いて、小春は慌てて返事をする。
「眠水家次期当主、眠水小春」
そこ言葉に、組員たちの顔色が変わった。
小春を捕まえていた組員が、慌てて小春を離して距離を取る。
「眠水って、あの眠水家か……! 」
「まずいな、トラブルになりたくないぞ」
「……しかし、眠水のわりに随分とドジな奴がいるんだな」
「ああ、忍びの末裔って聞いているが、派手に天井から落ちてくるんだもんな……」
「ちょっと! 聞こえてますよ! 」
こそこそと聞こえてきた会話を、小春は大声を出して遮った。
眠水家は、代々忍びとして裏社会に名を馳せる一族。諜報任務、護衛、そして、暗殺。依頼を受ければ何でも行う。
そして涯非組も、過去に何度か眠水家の世話になっていた。
「眠水の娘を殺したら、組ごと潰されるぞ」
組員の誰かが呟いた。
眠水家は昔ながらの商売方法で、義理堅く依頼人を詳細に調べて信頼関係を築いている。
が、それは眠水に何かあった場合に、一族郎党を皆殺しにするためだ。復讐のためなら手段を選ばない。
「このまま逃せば組の沽券に関わるが、護衛として生かしておけば問題ない」
永の言葉に組員は苦々しい顔をした。
「しかし、こいつは永さんを殺しに来たんですよ! 信用できるわけが……」
「信用はしてない。ただ、お前らに護衛されるよりかはいい」
その一言に、組員たちの空気が険悪なものになった。明らかに不快そうな表情を浮かべる者もいる。
永が組織内で好かれていないのは、小春も事前情報で知っていた。
組長の息子で次期組長候補でありながら、組員たちからは疎まれている。
理由は様々だが、この彼の無愛想な態度と言葉を見ていれば、普通に嫌われるだろうなぁと小春でも納得が行った。
「……分かった」
組員の一人が渋々と頷いて、小春の前に立つ。小春は彼の歩き方を見て、右足を引き摺っていることに気付いた。
「だが、こいつが何かしでかしたら、容赦はしないからな」
「好きにしろ」
「あー……全く。まぁいい、解散」
彼がそう言って、会議は終了したらしい。
組員たちは天井の修理と瓦礫の片付けに動き出している。
「あの……本当に護衛になるんですか、私?」
小春は尋ねたが、誰からも返事が返ってこなかった。




