第6話 彼女は地図を指し、俺は“明日”を捨てる
朝の森は、静かすぎた。
霧は薄く、しかし重い。
木々の輪郭ははっきりしているのに、奥行きだけが掴めない。
それが、俺の視界とよく似ていた。
剣を腰に下げ、呼吸を整える。
踏み込み、重心、間合い――身体は今日も正確だ。
強くなっている。
だが同時に、**削れている**。
「……ねえ」
背後から、セリスの声。
振り返ると、彼女は荷袋を整えながら、こちらを見ていた。
視線は鋭いが、声は柔らかい。
「昨日の“あれ”、戦うためだけの存在じゃないよね」
俺は一瞬、言葉に詰まる。
「黒衣のことか」
「うん。戦ってこなかった。
見て、数えて、消えた」
彼女は地面に膝をつき、小枝で簡単な地図を描き始めた。
森。
川。
岩山。
そして――人の集落らしき点。
「ねえ。もし、あれが“管理する側”なら」
枝が止まる。
「どこかに、管理する“拠点”があるはず」
胸の奥が、**ひや**と冷える。
俺は気づく。
セリスは理解していない。
だが、**追い方を知っている**。
「書庫とか、神殿とか……」
「あるいは、王都」
「情報が集まる場所」
彼女は顔を上げ、俺を見る。
「真相を掴むなら、
戦う前に“知る”必要がある」
――剣だけじゃ足りない。
それは、俺も薄々感じていた。
足元で、ドラゴンが低く鳴いた。
黒衣の気配を嫌うあの拒絶。
だが、セリスの言葉には反応しない。
「……候補は三つだ」
俺は口を開く。
「① この森の外れにある古い神殿」
「② 川沿いの交易都市」
「③ 王都。黒衣が最初に現れそうな場所」
セリスは、即座に答えなかった。
代わりに、俺の顔をじっと見る。
「……どれを選ぶかで、
あなたが“何を捨てるか”も変わるね」
核心だった。
旅の目的が決まれば、
**必要な力が決まる。**
必要な力が決まれば、
**捨てる記憶も選べる。**
俺は焚き火の残り火を見る。
今日の戦いは、勝てた。
だが、情報は足りない。
次は――罠かもしれない。
「俺は……」
言葉を探す。
「追われる側じゃなく、
追う側になりたい」
セリスは、少しだけ笑った。
「それなら、王都ね」
即断だった。
「情報、噂、人の流れ。
全部そこに集まる」
ドラゴンが、短く鳴いた。
同意とも、拒否とも取れない音。
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昼、移動中。
霧の中で、気配が動いた。
影狼ではない。
だが、森に溶け込む別の“異物”。
敵だ。
戦闘は短かった。
だが俺は、意識的に剣を振らなかった。
「……来る」
俺が言うと、セリスが即座に位置を変える。
ドラゴンが前に出る。
敵は姿を見せない。
気配だけが、右から左へ流れる。
――見えている。
いや、**予測できている**。
俺は気づく。
剣技じゃない。
これは――
> 《戦闘理解》ではなく
> **《状況読解》**
音、風、沈黙。
敵が“現れない理由”まで、分かる。
「罠だ」
俺は、あえて踏み込まない。
すると、敵は去った。
戦わず、消えた。
セリスが小さく息を吐く。
「……今の、どうして分かったの?」
俺は首を振る。
「分かった、じゃない。
“そうなると分かってしまった”」
剣を振らずに勝つ。
それが、次の段階だ。
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夜。
焚き火が**ぱち、ぱち**と鳴る。
セリスは地図をもう一度描き、王都に印をつけた。
「明日から、ここを目指す」
ドラゴンは焚き火のそばで丸くなる。
俺は、目を閉じる。
王都に行くなら――
必要なのは、剣技だけじゃない。
* 人を見る力
* 嘘を見抜く力
* 見られても“掴まれない”力
そのために、捨てる記憶。
前世の記憶。
“人を信じすぎた失敗”。
誰かの言葉を、
疑わずに受け取ってしまった夜。
――あの甘さ。
それを捨てれば、
俺はもう、同じ間違いをしない。
捨てたくない。
だが、王都ではそれが命取りになる。
セリスは、聞かない。
だが、そばにいる。
ドラゴンの体温が、膝に伝わる。
俺は、選んだ。
信じたくて、信じてしまった記憶。
人の善意に、甘えてしまった感情。
それを、切り離す。
**すう……**
胸の奥が、静かになる。
熱が引き、視界が少しだけ冷たくなる。
だが同時に、世界が“整理”された。
「……大丈夫?」
セリスの声。
俺は目を開け、頷いた。
「王都に行く。
黒衣の正体を掴む」
彼女は、迷いなく頷く。
「じゃあ、行こう。
あなたが削った分、私が見る」
ドラゴンが、小さく鳴いた。
眠りに落ちる直前、思う。
俺は今日、
**明日のために、優しさを捨てた。**
それが、正しいかは分からない。
だが――
この旅は、もう始まっている。
(つづく)




