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第5話 眠る前に、捨てるか―俺はまだ“名前”を守れるか

焚き火は、小さな音を立てて燃えていた。

ぱち、ぱち。

乾いた薪がはぜるたび、赤い火の粉が夜へ散る。


湿った土の匂い。

焦げた木の匂い。

霧の冷たさが、頬を撫でる。


膝の上で、幼いドラゴンが丸くなって眠っていた。

体温が高い。

掌に伝わる心音が、とく、とくと規則正しく刻まれている。


――今日を、生き延びた。


その事実だけが、ここにあった。


セリアは焚き火を見つめたまま、ぽつりと言った。


「あなたの名前、聞いていい?」


胸の奥が、きしりと鳴る。


名前は、覚えている。

忘れていない。

だからこそ――触れられるのが、怖い。


「今は……触れないでほしい」


声は、思ったより静かに出た。

言葉にした瞬間、分かる。


これは“代償の候補”になる。


この世界は、そういうふうにできている。

大切に思えば思うほど、奪う準備を始める。


セリアは、すぐには答えなかった。

焚き火がぱちと弾け、火の粉がひとつ、夜に溶ける。


やがて、彼女は小さくうなずいた。


「分かった」


それで終わると思った。

けれど、彼女は続けた。


「でも……」


一拍、間を置いて。


「あなたを“呼んだ事実”は、私の中に残す」


胸に、重たいものが落ちた。


名前は共有していない。

それでも、“呼んだ”という関係だけが残る。


――覚えている側が、また一人増えた。


幼いドラゴンが眠ったまま、尾を小さく動かす。

ふると、喉を鳴らした。


否定でも肯定でもない。

ただ、分かっている、という音だった。


俺は焚き火を見つめたまま、息を吐く。


今日は、捨てなかった。

だが、今日の出来事はすでに重い。


セリアを守ったこと。

ドラゴンの体温。

名前を呼ばれた、その一瞬。


――明日も、守れるとは限らない。


そのときだった。


森の奥で、音が消えた。


風が止まり、虫の羽音が途切れる。

代わりに、耳の奥だけが異様に冴える。


視界の端、霧の向こう。

人影。


距離は遠い。

だが、皮膚が先に理解する。


――見られている。


黒衣を纏った、背の高い影。

月明かりが当たっても、顔は見えない。

ただ、視線だけが、まっすぐこちらを捉えている。


歩き方が異様だった。

土を踏んでいるのに、音がない。


セリアが息を止める。

ドラゴンが、眠ったまま体を強張らせた。


俺は剣に手をかける。

だが、その影は、止まらない。


十五歩の距離で、立ち止まる。


「――記録、確認」


低い声。

感情が、ない。


「対象、転生個体。

記憶代償、二回行使」


背中を、冷たいものが走った。


「効力――戦闘理解、空間把握。

拡張を確認」


全部、見ていた。

昨日の逃走も。

夜の選択も。

今朝の戦いも。


「……誰だ」


俺の問いに、黒衣はわずかに首を傾けた。


「名は、不要」


即答だった。


「我々は……管理する側だ」


――我々。


複数。

組織。


それ以上、語らない。

語る必要がない、という態度。


黒衣は、幼いドラゴンに視線を移す。

空気が、変わった。


ドラゴンが、低く唸る。

明確な拒絶。


黒衣は、何も言わないまま、霧の奥へ溶けるように消えた。


残ったのは、冷たい夜気と、焚き火の音だけ。


「……今の、誰?」


セリアの声が、かすれている。


俺は首を振る。

分からない。


だが、分かることがひとつある。


偶然じゃない。

この世界は、俺たちを観測している。


そして――明日は、今日よりも酷い。



夜が深まる。


セリアは薬草を煎じ、俺の背中の傷を手当てした。

苦い匂いが、鼻の奥に残る。


「明日……どうするの?」


答えは、決まっている。


「眠る前に、記憶をひとつ捨てる」


言葉にした瞬間、喉が詰まる。


セリアは何も言わない。

聞かない、という選択を守ってくれている。


俺は目を閉じた。


前世の光景が、浮かぶ。


白い蛍光灯。

体育館のワックスの匂い。

拍手の音がぱん、ぱんと反響する。


卒業式。


隣で笑った、誰か。

顔は曖昧だ。名前も出ない。

それでも、胸の奥だけが痛む。


――捨てたくない。


だが、霧の向こうの視線が、脳裏をよぎる。


俺は、選んだ。


卒業式の光景。

「またね」と言った声。

戻れるかもしれない、という期待。


胸の奥で、それがほどけていく。


すう……

熱が引く。


音が遠のき、世界の色が一枚薄くなる。

指先が、氷水に浸したみたいに冷える。


ドラゴンが、かすかに鳴いた。

きゅ……


「……大丈夫だ」


自分に言い聞かせる。


「俺は、まだ俺だ」


意識が落ちた。



朝。


目を開けた瞬間、身体が整いすぎていて、怖かった。


剣を握る。

重さは“感じない”。

代わりに、情報として分かる。


重心。

角度。

踏み込み。


体が、勝手にやり方を知っている。


――名前を覚えたんじゃない。

“やり方”が残っただけだ。


森の霧が、線で見える。

風の流れが、触れる前に分かる。


「……何か、変わった?」


セリアの声。


「見える」


それだけ答えた。


そのとき、**ずる……**と土を擦る音。


一つじゃない。

二つ、三つ。


霧の向こうに、黒い影。


影狼。

群れ。


ドラゴンが、低く唸る。


俺は一歩、前に出た。


怖い。

だが、足は止まらない。


影狼が跳ぶ。


半身でかわす。

枯葉がしゃっと舞う。


刃を横に走らせる。

ぎんっ。


一体が、霧に戻る。


挟み撃ち。

体が勝手に、風に合わせて動く。


――《風歩》。


そう呼んだのは、俺じゃない。

体が、そう呼んだ。


距離がずれる。

爪が空を切る。


ドラゴンが飛び出し、噛みつく。

がぶっ。


その隙に踏み込む。


――《裂剣・一文字》。


ざんっ。


霧が裂け、影狼はほどける。


終わり。


俺は立っていた。

勝った。


なのに、胸が痛い。


卒業式の匂いを、思い出そうとして――

思い出せない。


「……何を捨てたの」


セリアが小さく言った。


俺は首を振る。


「言わない」


言えば、また奪われる。


ドラゴンが、俺の足に頭を擦りつけた。

ごつと。


俺は森の奥を見る。


あの黒衣。

あの視線。


これは、始まりだ。


捨てるのは、守るため。

名前は、まだ守る。


――まだ、守れる。


続く


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


この物語では、

**「記憶を捨てることで強くなる」**という選択を描いていますが、

正解は、まだ用意していません。


もしこの世界に来たのが、

主人公ではなく あなただったら――

何を捨て、何を残すでしょうか。


それは

大切な人との時間かもしれないし、

名前かもしれないし、

あるいは、もう戻らない日常かもしれません。


この物語は、

「答え」を与えるためのものではなく、

問いを一緒に抱えて進むための物語です。


ブックマークや評価は、

「続きが気になる」という合図として、

とても励みになります。


そしてもしよければ、

感想欄で

「あなたなら何を捨てるか」

教えてもらえたら嬉しいです。


それはきっと、

この物語の“もう一つの続き”になります。


次の夜、

主人公が何を選ぶのか。

一緒に見届けてもらえたら幸いです。


――百花繚乱

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― 新着の感想 ―
「名前を守る」という選択に、観測者=管理する側の登場が重なり、個人の喪失が世界の構造そのものに組み込まれていると示されたのが見事です。 アクションの高揚感と、記憶を削った後に残る“空白の痛み”の対比が…
とても静かで、そしてとても怖い回でした。 「名前を呼ぶ/呼ばれる」という、こんなにも小さくて温かい行為が、 この世界では“代償の候補”になってしまう―― その設定の残酷さが、焚き火の音や霧の冷たさと…
感想一覧
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