第5回
オンライン通販グループのパシック(PACIKは11月23日、「データナッピングによるご注文受付停止のお知らせ(11月22日更新)」において、同社サイトがデータナッピング被害を受け、全ての業務を停止していると発表した。
同社は「登録ショップ及び顧客データの外部流出については現在調査中」として、現時点での被害状況を後日開示予定…
ーーー『Asian Area Times』11月24日朝のニュース記事より
ふっとぼくの頭の上で何かが揺れた気配がして、すぐにいつもの香りとともにディアナの小さな手がぼくの肩に触れるのを感じた。
「おはよう、アラン」
ディアナが後ろからぼくの首に腕を回し、頬に頬をすりつけてきた。彼女(もちろん彼女と同じ型のアンドロイドも)の愛情表現は8338608パターン存在し、さらに各パターンは16段階の強弱レベルが付与される。どんな感受性豊かな人間より豊富な表現力がある、と人工精神構造学の第一人者サラ・タロット博士は常々公言している。ほんとかどうか知らないが、たぶんぼくよりはるかに多いことはたしかだ。ぼくは知人たちの間では古代遺跡の石像より表情の乏しい人間だと思われていた。
「ディアナ、おはよう」
ぼくは彼女の手の甲にキスをして、ソファの真ん中から少し横に座りなおした。ディアナはすぐにぼくの隣りに座り、からだをぴったりとぼくのからだに寄せてくる。
「今日は早いのね」
ぼくは目の前のウォール・ディスプレイに目をむけた。右上隅の表示は「06:06」だった。
「なんだか早く目が覚めちゃってね」
ぼくはディアナの肩に手をまわした。
「でも、昨日寝たのはおそかったでしょ?」
「うん。仕事が長引いてね」
ディアナが心配そうな表情でぼくの顔をのぞきこんだ。灰色がかった青色の瞳がぼくの眼をじっと見ている。彼女はぼくが顔を近づけると目を閉じて両手をぼくの頬に触れ、ぼくのキスを迎えた。ぼくの口の中にミントの香りが満ちて鼻から抜けていく。彼女の唾液には虫歯と歯周病予防効果のある薬用成分が含まれていた。フレーバーは毎朝彼女が自分で選んでくれた。
「体には気をつけてね」
ぼくが顔を離すと、ディアナはそう言ってぼくの唇に右手の人さし指でそっと触れた。
「わかってるよ」
ぼくは笑って彼女を引き寄せると、膝の上に仰向けに寝かせた。
「君のローンだってまだいっぱい残ってるしね」
ディアナがわずかに眉をひそめて、目を伏せた。
「ねえ…無理しないでね。私は今のままでじゅうぶん満足だから…」
「どういう意味だい?」
「だって、また私の服、買ったでしょ?こないだ買ってもたったドレスだってまだ一度も着てないのに」
ぼくはディアナを抱き起して、その頭を胸に抱きしめると、人間より細くなめらかな、直径0.008mmの髪に指を絡ませた。このアンドロイド特有の髪の感触に違和感を感じ、より人間に近い太さと材質のものを選ぶ人もいるみたいだが、ぼくはこの、乾いた砂に指を入れたときのような手触りが好きだった。
「たしかにね。最近忙しくてディアナといっしょに出かけてなかったからな」
ぼくはディアナを抱いたままソファにもたれかかった。仕事は今ひと段落して、とりあえずぼくができることはなにもなかった。
「明日はふたりでどこか出かけようか。どこか行きたいところはあるかい、ディアナ?」
ディアナが顔を上げて、ぼくの顔を見た。彼女の最優先事項は所有者であるぼくの意向だ。しかし今は、ディアナが行きたいところを知りたいというのがぼくの要求だから、ディアナとしては「自分が」行きたいところを回答するのが最善だと判断するだろう。一昔前のタイプなら、ぼくの好みを考えて、マップからランダムに選んだ店やレストラン、娯楽施設を提案したことだろう。でも、最新モデルL01iは、そんな子供だましの回答をするようには設計されていない。ぼくの嗜好と現在の健康状態、予測される気分などとともに、ディアナに与えられた「人間性プログラム」に基づいて、もっとも「ディアナらしい」、あるいはもっとも「ディアナらしいとぼくが受け取ると予測される」回答をするはずだ。ディアナはぼくの顔を見たまま、微笑みを浮かべた。それはあっさり言えば時間稼ぎのための表情、「わたしのかわいらしい顔を見ながら、しばらくお待ちください」ということだ。ぼくは喜んでその笑顔を鑑賞した。ふだんのディアナはせいぜい10代前半のように見える顔立ちだが、この笑顔のときは、どこか大人びた、ほんの少し打算的とも言えるような、少し大人びた表情に見えた。
「そう…そうね」
数秒後、ディアナが笑顔のまま、口を開いた。
「フォンジー地区に行ってみたい」
あまりに予想外の回答にぼくはすぐには返事ができなかった。
「フォンジー地区…あそこはビジネス街だよ。デートをするには向いてないと思うんだけど」
「見たいところがあるの」
「どこだい?」
「パシックセンター」
それはフォンジー地区中央駅周辺で最大のビルであり、アジアで最大手のオンライン通販グループのパシックが所有していることでも有名だった。




