第13回
# **Tri-go**
**Tri-go**(トライゴ)は、22世紀後半に開発された三次元拡張型の抽象戦略ゲームである。 従来の囲碁を基礎としつつ、盤面を立体構造へと拡張し、白・黒・灰の三色の石を用いる点に特徴がある。 主に仮想空間内でプレイされ、PV(Photonic Veil)や各種ディスプレイ上に立体投影される形で普及した。
ーーー『Tri-go』 - Omnipedia(最終更新2244年8月23日、閲覧2045年2月26日)
結果がどんなによくても、選択の余地がない結果というのは、あまり気持ちよく受け入れることができないものだ。ぼくが手に入れたものは、経済的にはあらゆる観点から満足できるものだった。ただのエンジニアがシャール居住区に自宅を所有する、というだけでも、現代のおとぎ話みたいなことだ。
ぼくの仕事場の部屋の窓からは「塔」が見える。鏡のようになめらかな、深い紫色の外壁が日光を反射して、紫水晶のモノリスのようだ。あの中に、ぼくの「飼い主」がいる。ぼくは見えない首輪が気になるように、指先で首筋を掻いた。
窓と反対側の壁のPVに、何かが映り、それが窓に反射してちらりと見えた。ぼくが振り返ると、壁に内蔵されているスピーカーからデイジーの声が聞こえた。
「カルメン氏からのメッセージを受信しました」
「どうぞ」
PVに正方形のウィンドウが開かれると、そこにトミーの顔が映った。いつもの薄暗いリビングを背景に、こざっぱりした身なりの初老の男が、こちらに向かってわずかに手を上げた。それがトミーのあいさつの仕方だった。
「調子はどうかね、アランくん」
「まあまあですよ、トミーさん」
ぼくは窓から離れて、トミーの方に近づいた。トミーの隣りのウィンドウにはぼくのお気に入りのベーコンを扱っているオンラインマーケットの広告が映し出されていた。今夜はベーコンステーキにしようかな。
「IEIが広告配信プログラムの更新を行った」
トミーの脇からアンドロイドが彼の前に手を伸ばした。画面の下からティーカップを取り上げると、何かトミーに言ったらしかったが、選択的音声キャンセリングによってその声はぼくには聞こえなかった。トミーが首を振り、ぼくの方を見た。
「更新プログラムは今年、これで4回目ですよ」
「わかっている。だが、今回は今までいちばん変更点の多いものだった」
「みたいですね」
「その様子だとあまり影響はないのかな?」
ぼくは肩をすくめた。
「なくはないですよ。今すぐお手上げというわけではないけど、向こうさんはとにかくこっちのやり方に気づいた。だから、今までみたいに好き放題にやれるということはなくなりました」
「まあ、予想されたことだね」
「そうです」
ぼくはデスクのそばの椅子に腰かけ、足を組んだ。
「早ければ半年くらいで、すべての『穴』が塞がれて、そうなればもう指一本中に入れることができなくなると思いますよ」
「驚くような話ではないね」
PVの右端に玄関のドアが開錠されたことを示す黄色いシグナルが現れた。買い物からディアナが帰ってきたようだ。ぼくはデスクの上の「ワラシ」の方を見た。
「デイジー、ディアナに荷物を片づけたら、リビングで待っててくれるように伝えてくれ」
「はい」
「アランくん」
トミーの声の調子がわずかに変わり、ぼくはほんの少しだけびっくりして、PVに目を戻した。
「アランくんはあまり動揺してないようだね」
「あなたも言ったように想定内のことですからね」
「それに、きみにはもう次の手を考えてある、だからだね?」
ぼくはにやりと笑って首を振った。肯定にも否定にもとれるように見えていたら成功だけど、トミーを納得させるような演技するのは、オペラ座で『ジーザス・クライスト・スーパースター』の主演を務めるより難しそうだ。
「もちろん、いくつかアイデアはありますよ」
「そうだろう。誰にだってアイデアならある。完全な能無しではない限りね」
「そのうちのひとつはほぼ実用段階にありますよ。今すぐ代替させられるほどの完成度じゃないけど」
トミーがソファにもたれたので、その表情はさらにわかりずらくなったが、それは彼が興味を示したときの動きだった。彼は自分の心の内を、13歳の少女が自身の日記を父親に読まれるのと同じくらい忌避しているようだった。
「試してみたのかね?」
「仮想空間上のネットワークでは試してみました。だいたいはうまくいったんですが、現実の世界での不確定要素の影響はまだ…」
「2週間後に会おう」
ウィンドウの闇の奥からトミーの声が、最高裁の裁判長のように厳粛な響きをもって聞こえてきた。
「そのときに、パシックの中枢ネットワークエリアに侵入できるか試してみよう」
「パシックの中枢ですか。あのレベルのセキュリティシステムは現時点ではまだ難しいと思いますが…」
「2週間で可能にするんだ」
ウィンドウが閉じると、ぼくはため息をついて椅子から立ち上がった。
(どんなオプションを選択するにしろ、2週間で全部かたをつける必要があるってことだ)
リビングに行くと壁のPVにはTri-goの盤面が映し出されてた。ディアナがデイジーを相手に遊んでいるらしい。ディアナは外出用のワンピースドレスを着てソファに座っていた。ぼくを見ると、自分の横に座るように手でソファをポンポンと叩いた。
「デイジーったら、同じ戦術ばっかり使うのよ」
「『4-7-4』だろう。それがいちばん勝率の高い戦術だからね」
「ちがうわ。途中まで『4-7-4』に見せかけて、実際は別の展開をねらった打ちまわしをするの。こっちの裏をかこうとしてね。でも、見え見えなんだもの。もう、私、3連勝よ」
ぼくはディアナの隣りに座ると、彼女の肩を抱き、髪にキスをした。
「どっちにしろ正攻法じゃ、デイジーは君には勝てないよ。だから、裏をかく戦術しかないんだろう」
正攻法で勝てないのは最初からわかっていたことだ。
「ぼくも途中までは『4-7-4』でいくつもりだ。ぎりぎりまでね」
ディアナが不思議そうにぼくを見上げた。
「投了します、ディアナ様」
デイジーの悲しそうな声がリビングに響いた。
かわいいアンドロイドといちゃいちゃするだけの話にするつもりが、どんどんめんどうな展開に…
ちょっとスピードを落としますかね。




