図書室の返却期限
投稿者:二年A組 白井藍
一つ、お願いがあって。
この話を読んでもし怖いと感じても、図書室とか本を借りることは怖がらないでほしいです。
私は図書委員なんですけど、できるだけ多くの人に図書室に来てほしいと思ってるんです。
うちの学校の図書室って、わりと最高だと思っていまして。
新刊も入るし、エアコン効いてて静かだし、勉強するにはこれ以上の環境はありません! さすが私立! さすが進学校!
さあ、皆さんぜひ図書室へ集い、高額な学費の元を取りましょう!
三年かかっても読み切れないほどの物語! 詩! 辞典に学術書、記録に図録! 勇猛果敢な犬の勇者から追い詰められた理論物理学者まで何にだってなれる広大無辺の世界への架け橋、今と昔、静と動、光と闇、弛緩と硬直、慎みと爆発が入り乱れる本棚という名の宇宙へともに旅立ちましょう!
だけどたったひとつ、ちょっと変なルールがあります。
もっとも、図書委員以外の人には関係ないので、気にせず図書室へ来てくださいね。
そのルールは、「返却期限を過ぎた本があるときは、勝手に“返却済み”ステータスに直さないこと」というもので。
図書委員のマニュアルに小さく書いてあります。
最初、意味が分からなかったです。
ある日の放課後、いつものように貸出返却の処理をしてたら、端末の画面に赤い表示が出ました。
《延滞冊数:1
利用者:風岡完太郎》
それは見覚えのある名前でした。
春になる前に転校した先輩、伝承遊び部の人。
入学初日の朝に正門のところで〈超高速かもめかもめ〉をやっていたのが目に焼き付いてる二年生は多いと思います。
貸し出し中の本は一冊。
題名はたしか、『みんなが読んでる怪談集』みたいな感じ。
作者名は「不明」。
棚にも在庫はなく、データ上では「貸出中」のまま。
風岡先輩とは話したことはありませんでしたが、あの通り破天荒な人なので、借りたまま転校してしまうのも不思議と納得というか、怒るだけ徒労という気持ちになります。
さすがにもう返ってこないだろうと思い、返却処理をしてあげようと、ついボタンを押しかけました。
そのとき、図書室のどこから「バコン」と、蓋の固いクッキー缶を乱暴に開けたような音がしました。
見回しても、まもなく施錠時間だったので誰もいませんでしたし、そもそも図書室でそんな音の心当たりはありませんから出所はまるでわかりません。
自分でも不可解ですが、まるで突然背中に水滴が落ちたようなぎくりとする緊張感を感じました。
そこで私は、マニュアルの一文を思い出して指を止めました。
「勝手に“返却済み”ステータスに直さないこと」
結局、その日はステータスをいじらずに端末を閉じました。
それから何日かして、また図書室当番の日。
端末を立ち上げると、延滞冊数の表示が増えていました。
《延滞冊数:2
利用者:風岡完太郎》
二冊目の本のタイトルは『甘実比売と雨乞いの民俗史』。
やっぱり棚にはありません。
貸出履歴を見ると、《貸出:自動処理》とだけ書かれています。
変だと思っていると、背後から司書の鶴田先生が声をかけてきました。
「その延滞は、処理しないでおいてくださいね」
理由を聞いても、「昔からそうしているから」としか教えてくれません。
「返ってこない本なのに?」と聞いたら、先生は少しだけ考えてから、ためらいがちにこう言いました。
「“読んでいる人”がまだいるかもしれないから、だそうです」
その夜、家で眠れなくて、本当はあまりよくないんですけど学校のOPAC(蔵書検索)に繋いでみました。
利用者検索で「風岡完太郎」と入れると、貸出履歴の一覧が出ます。
『みんなが読んでる怪談集』
『甘実比売と雨乞いの民俗史』
『冨田地区伝承遊び研究報告』
全部、返却期限は《**》。
文字化けみたいにアスタリスクで隠されています。
リロードすると、貸出中の冊数が増えました。
新しく一冊、見覚えのないタイトルが増えていたのです。
『あなたはまだ読んでますか? メール怪談集』
貸出日:今日。
貸出方法:自動処理。
利用者:白井藍。
私の名前でした。
慌てて画面を閉じると、窓の外で雨の音がしはじめました。
予報では晴れだったはずなのに。
翌日、図書室のカウンターに座っていると、返却ボックスから「トン」と何か落ちる音がしました。
中を覗いても、本は入っていません。
代わりに、薄い紙片が一枚。
『もう返しました よんでくれてありがとう』
丸い字でそう書かれていて、その下に「かざおかかんたろう」と読めるような、かすれたサイン。
かすかに鼻を突くにおいのする紙は湿っていて、指先に冷たい水が移りました。
端末の画面を見ると、延滞冊数が一冊減っていました。
《延滞冊数:1
利用者:風岡完太郎
貸出中:あなたはまだ読んでますか? メール怪談集》
今度の貸出方法は「手動処理」となっていて、処理をした司書の欄には、
《白井藍》
……また私の名前です。
覚えのない操作をしたことになっています。
それ以来、図書委員の間では、こんなルールが暗黙の了解になりました。
延滞一覧に「風岡完太郎」の名前があっても、触れない。
『あなたはまだ読んでますか?』というタイトルの貸出履歴を見ても、開かない。
誰もいない放課後に図書室の奥から金属音がしても、気にしない。
私だって、クマ高生全員が本好きになってくれるなんて本気で信じてはいません。
借りた本の中身をちゃんと読んでいる人なんて、何人いるのでしょうか。
それでも、そう、「読んだ」という記録だけは、どこかに残るらしいのです。
たまに、端末の隅にこんな表示が出ます。
《読了確認:1件》
誰が、どこで、何を読み終えたのかは分かりません。
でも、延滞冊数の数字は、少しずつ減っていきます。
不気味さを覚えるとともに、それでいいじゃないかとも思うのです。
この話を友達にしたら、笑われました。
「図書室の幽霊とか、地味すぎ」
「どうせ在庫管理のバグでしょ」
そう言われて、私も笑って流しました。
でも一昨日、返却ボックスを閉めようとして、中に一冊だけ、見覚えのない本を見つけたのです。
『みんなが読んでる怪談集』
表紙は濡れて、インクが少し滲んでいます。
奥付には「非売品」とだけ印刷されていて、貸出バーコードはありません。
それでも端末の画面には、こう出ていました。
《返却完了:1件
利用者:風岡完太郎
処理担当:白井藍》
濡れてしまった本の処理方法はとても地道なもので、普段なら気分が重いのですが、その時の私は勝手に自分の名前で処理が行われたことへの怖い気持ちと、律儀に返却されたことへの可笑しい気持ちとでどう考えればいいのかわからず、傍から見れば落ち着き払っているように見えたでしょう。
カウンターの上に本を置き、ページを一枚一枚めくりながらすべてのページの間にコピー用紙を挟んでいきます。
なんとなく、内容は読まないほうがいいような気がして、一心不乱に紙を差し挟んでいきました。
とても静かな時間だったように思います。
思い返せば、雨が降ってもいないのに雨音が聞こえていたような記憶があるのです。
最後のページの一番下に、鉛筆か何かで小さな字が書いてあることに気づきました。
『だいじょうぶ つぎは あなたのばんじゃないから』
その一行は、赤茶色の何かで書かれていました。
私は本を閉じて、その上にそっと重しとしての古い辞書を置きました。
早ければ数日で乾いて読める状態に戻っているはずです。
貸出ステータスには、まだ《延滞冊数:1》が残っていました。
『あなたはまだ読んでますか? メール怪談集』
誰も借りていった覚えのない本が、どこかで誰かに読み続けられているらしいのです。
返却期限は、やっぱり《**》のままでした。
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5A-01
風岡先輩が死んだみたいになっとるがな。
でも生きてるとは限らなくない?




